五年の差まで
翌日。
睡魔と戦いながら大学の講義を終え、地元の駅に降りた。親からのメッセで頼まれた夕食の材料を買い、バス停に向かう。野菜の重みでエコバッグが二の腕にずしりと食い込む。
駅前のロータリーで騒がしい集団が目についた。地元の中学生グループだ。学校からの帰り道、買い食いしているみたい。
その中に見知った顔がいた。
昨日からずっと頭から離れなかった幼馴染だ。
女子たちとも分け隔てなく接する様子に息を呑んだ。
今更だが好きな子とかいるのかな。
いたらやだ。
年下の女とか絶対敵うわけがない。
向こうもこちらを見つけた。
同年代とはしゃいでいた年相応の顔から問題を間違えてしまった優等生のそれに変わっていく。
ふっふっふ。
見ぃちゃった。
あんなふうにはしゃぐんだね。
咄嗟に、わたしはマウントを取ったように微笑む。
焦ったように俊くんは一団から離れてこちらへ駆け寄ってきた。少なくともあの中の女子に本命はいないとみた。
「重そうですね。持ちますよ」
「いいって。これくらい」
「そんな華奢で。見てるこっちが心配になるんですよ」
叱るような口調に胸がちくりと痛んだ。
わたしのほうが年上なのに。
あーもう。
また少年て言ってやろうかこいつ。
俊くんはわたしから野菜の入ったエコバッグをひょいと受け取り肩に担ぐ。重そうなそぶりを微塵も見せない。
遠くから「おーい俊、どうしたぁ」と男子の一人が声をかけてきた。
「悪りぃ。用事できたから俺抜けっわ」
またしてもわたしの知らない顔で応答する俊くん。
彼の学友たちは残念がりつつその場を後にしていく。
「どこかいく予定だった?」
「カラオケですよ。勉強の息抜きにって。クラスのやつらと一緒に部活仲間も誘ったんです。そしたら大所帯になっちゃって」
楽しそうに俊くんは語る。
ふーん。普段の学生生活はそんな感じなんだ。
家で勉強している彼が彼のすべてじゃない。
親といる時。
学校にいる時。
部活に励んでいた時。
わたしの知らない彼がいることなんて当たり前なのに、わたしは自分が知らない彼がいるという事実にやきもきしている。
わたしの知らない彼はあとどれくらいいるのだろう。
少年と呼んで俯かせたままじゃ、彼のことなんてわからないままだ。
俊くんのすべてが知りたい。
倫理観よ。メンゴ。
認めたくなくても認めるしかない。
わたしは緑川俊という五歳年下の男が好きだということを。
「どうしたんですか」
「ううん。なんでもないよ、少ね……俊くん」
ヤバ。癖になってしまったか危うくまた少年と言いかけてしまった。
チラッと俊くんの顔を覗き込むと、そこにはお預けを食らった犬のようにがっかりした顔があった。
「なんて顔してんの」
疑問がそのまま声に出てしまった。
ただ名前で呼んだだけなのに。
少年呼びするよりは全然いいはずなのに、彼はなにが不満なんだ。
俊くんはばつが悪そうに「なんでもありません」と言いながらバスに乗り込む。わたしもそれに続く。
ちょうど空いていたので、二人掛けの席に並んで座る。側から見たらわたしたちどんな関係に見られるか少し緊張した。
バスが発進し、駅から離れていく。
窓から見慣れた景色が流れ、坂の多い道を走る。そんなに乗客もいない車内に会話は生まれない。
降りるまで、わたしたちも言葉を交わさなかった。気まずかったからではない。昨日の件もあり寝不足だったこととちょうどいい揺れだったのでわたしは俊くんの肩に頭を傾けていた。
爆睡していたのだ。
家近くのバス停に着くと彼が揺さぶってくれた。年上の威厳はとうに失せていた。
「もう〜恥ずい」
全身が沸騰しそうになっているわたしと肩に涎が垂れたのを気にもしていない俊くん。こんなざまでよく家庭教師なんてやれているなわたし。
「ごめんね、シャツ汚しちゃって」
「汚れたうちに入りませんよ」
でも、と言い募るわたしに、
「こっちは無防備な寝顔見ちゃったんで。おあいこ、てことで」
俊くんは、ニカっと笑った。
目に焼きつけておきたい笑顔だ。
いますぐ好意を伝えたくなったが、理性がギリギリのとこで踏みとどまった。
自宅に着き、親に挨拶する俊くんを部屋に誘った。
「お茶くらい淹れるからさ。ゆっくりしてってよ」
ささっと部屋を片付け、彼を通し、リビングで茶葉を見繕っていると母から「俊くんまだ中学生なんだからね」と念を押された。わかってるつーの。娘の心配はしないのかよ。
お盆に湯呑みを乗せて自室に入る
俊くんは部屋の真ん中で置物のごとく正座していた。カチカチに固まって窓のほうしか見ていない。
「そんなに緊張しないでよ」
「……俺、女の人の部屋入るの初めてなんです」
「昔ここで一緒に遊んだでしょ」
小さかった時のことには触れない暗黙の了解を破って聞くと、
「いや、そりゃそうだけど……。あの頃はまだお互い小学生だったし。男が、女性の部屋入るのは難易度ハードすぎて」
どきまぎしている俊くんの一挙手一動がいちいち可愛い。
二人きりの密室だと、自然にいつもの教師と生徒に近い空気になっていく。
嬉しいけど、このままの関係性が続いていくより、一歩踏み出したい。
小さなテーブルを挟んで彼と向き合う。
落ち着かせるように湯呑みを俊くんの前に出す。
「っと、いただきます」
お茶を手にしてフーフーと冷ます俊くんにわたしを意を決して、
「ねえ、なんで名前で呼んだらあんな顔するの?」
まっすぐに疑問をぶつけてみた。
俊ママも彼の友達も名前で呼んでいる。
なのにわたしの時とは違い、彼はがっかりしたふうでもない。
いったいわたしは他となにが違うのか。
俊くんはお茶を一口啜ってから、
「名前で呼ばれるのは嫌じゃないんですよ。ただ、その……」
と、ぽりぽり首をかき、言葉を探している。
嫌悪感を持たれてるわけじゃないのはわかってはいるが……。だとすると少年呼びになにか理由があるのか。
わたしは辛抱強く待った。ここは大人らしく包容力というものを見せてあげねば。ん、いや、忍耐力かな。
「……引かないでくれます?」
おそるおそる彼は上目遣いで言った。
母性本能がくすぐられたわたしは答えを聞きたい欲も相待って首を何度も縦に振った。
「その前に、お願いがあります」
「お願い?」
首を傾げるわたしに、俊くんは一度深呼吸をしてから、キリッと目を見据え、
「「少年」って呼んでみてください」
汚れのない瞳に吸い込まれそうになっていたわたしは耳を疑った。
「……俊くん? あの、どういう」
「後生ですから」
今時の中学生が使う言葉じゃないだろ後生なんて。
とりあえず言ってみるか。
「え、と、少年……?」
「違います。そんな恥ずかしがらずに。堂々と、いや飄々としてお願いします。深く考えないでください、勉強教えている時と同じようにでいいんです。できたら、こう、斜め上から見るような感じ。でも見下してるわけじゃなくて、どこか期待に満ち満ちて。あと気持ちダウナーな風味も加えてください」
注文が、注文が多い!
ええ、と。つまりいつも通りなんだな。
うむ。
んっんん。
ひとつ咳払いをし、
頬杖をつき、
口角を曲げ、
舐るような目で、
「少年……」
なるだけ勉強を教えている時と同じくらいおちょくるように囁いた。
俊くんは、
「…………ッ!!」
俯き、肩を震わせている。
屈辱ゆえに、ではない。
いまのわたしにはわかる。
これは────歓喜に打ち震えているのだ。
「そう……! これなんです!」
バッ、と俊くんは顔を上げる。
「大人の余裕を持った年上の女性からからかわれるような「少年」呼び。ご褒美ですよ!」
え。
「逆じゃない? むしろ嘲られているような感じしない?」
わたしとしては明確に上下関係を示したのだ。
節度を保つための境界線。
その時は嫌われてもいい腹づもりだったが、いまはとてもできない。彼のそばにいたい。
そんなわたしの思いとは裏腹に俊くんは滔々と、
「そんなことありません。年上の女性からの「少年」呼びはとても希少価値の高いものなんです。重くない肯定で安心をくれるようで、ともすれば数秒後にはどこかに去っていってしまいそうになるミステリアスが生むアンバランス。俺たち思春期の男に享受できるこの二人称は福音なんですよ」
めっちゃ語るじゃん。
「じゃあ俊くん的には嬉しかったわけね少年呼び」
「はい!」
引きはしなかったが、ぐわん、と身体から力が抜けていった。
この数日のわたしの悩みはなんだったのか。
少年呼びがまさか真逆の性質で受け取られていたとは。
半ば呆れてるわたしを見る俊くんの瞳に濁りはなかった。
マゾとは違うのだろうけど、なんと厄介な性癖を持っているんだ。
「しかもずっと好きだったお姉さんから言われるなんて、俺もう嬉しくて嬉しくて」
照れながら俊くんはありのままを伝えてくる。
のだが、聞き捨てならない部分があった。
ん。
んん?
「いま、わたしのこと好きって……」
ピシ、と空間に亀裂が走った。
時間差で俊くんの額から汗が浮き出る。さすがもと運動部、代謝が早い、わけではない。
わたしはといえば、金魚のように口をぱくぱくしているだけ。
ということは、わたしたちの現在の状況は両思い。
こんなご都合主義展開あっていいものか。
いや、いい。
むしろウェルカム。
ノープロブレムだ。
天にも昇りそうになっているわたしとは違い、さっきまでの醜態近いものをかなぐり捨てるかのように、俊くんは思いの丈をぶつける。
「……はい。小さい時から。道ですれ違うたびに思いは強くなって、家庭教師にきてくれるって聞いた時は、いつか告白しよう、て決めてました」
「そ、そうだったんだ」
わたしよりずっと前からとな。
好意に気づけなかった自分のなんたる不甲斐なさ。
「部屋で二人きりになった時にはじろじろ見ちゃってすいませんでした。俺、女子とは気兼ねなく話せるほうだけど、意中の人がそばにいたらやっぱり気になっちゃって」
単に性欲で悶々としていたわけではなかったのか。
「でも」
でも?
なんだろう。まだなにかあるのか。
わたしがいま告白すれば、彼と晴れて付き合うことができる。
なんの問題も……。
いや。
問題だ。
大問題だ。
「俺、まだ中学生だし。未成年者と成人女性が付き合ってるなんて周りに知られたらそっちに迷惑がかかるんじゃないかと」
そう。
前提として法がある。
健全に付き合うだけならグレー寄りのセーフかもしれないが行為に及んでしまったら、アウト。
もしも俊ママあるいはわたしの親に出るとこ出られたらわたし速攻お縄。
多感な中学生が女子大生に色めくのは仕方ないだろうが、逆のパターンなら大人としてあまりにも情けない。
改めて自分が抱いていている恋情が罪深いことであるのを痛感させられた。
「ですから」
と、俊くんは身を乗り出してわたしにずいっと迫る。
意志の強そうな眼にくらっときてしまった。ついさっきこれはいけない想いであると気付かされたばかりなのに。
「俺が成人になったら、また告白します。だけど、いまそっちがどう思ってるか聞かせてください」
言い募る俊くんの台詞に熱がこもる。
「ずっと片想いでいるのは辛いんです。もし、俺のことが好きならイエスの代わりに──「少年」て呼んでください」
思わず、ズッコケそうになった。
この期に及んでまだこだわるのか少年呼び。
俊くんは真面目に言ってる分、余計にギャップが酷い。
「……そんなに少年呼びが好きなの?」
「大好きです。そして──」
わたしのことも、と再び愛の告白。
湯呑みから立ち上る湯気越しに俊くんは返事を待っている。
デートに行くとしたら親の同意を得なければだし、果たしてこちらをじろじろ睨め回す俊くんとプラトニックな恋愛ができるか、五歳差の二人に障害は次々と立ち塞がる。
それでも。
「わかった」
わたしは自分の気持ちと、ずっと好意を持っていてくれた幼馴染の男の子に向き合う。
「これからもよろしくね……少年」
だから、わたしは「少年」と呼び続ける。
■
五年後。
『今週もオリコン一位はThe・Marsの新曲。快進撃は止まりせんねえ。では次のニュースです』
朝のテレビ番組で芸能関連の速報が流れ出した。
「──のお二人は二十歳差。いやあ、なかなかの年の差婚ですねー。お二人は三年前共演した作品からの縁で──」
と、キャスターは呑気なものである。
わたしはスマホを弄りながら目下の役者ふたりの馴れ初めらしき共演作を調べてみた。
「あ、それ高三の時一緒に見にいったやつだね。サブスク見放題に入ってたかなあ」
淹れたばかりのコーヒーがわたしの前にそっと置かれる。
見上げると寝起きに良い俊くんの笑顔があった。ベッドで寝そべる彼もいいけど、わたしは起きてるほうが好き。
同棲を始めて一年経った。
わたしは彼の知らない一面を知る日々。
彼はわたしの知らない一面を見る日々。
社会人になって忙しないが、家に帰れば彼がいる。
互いに初めて身体を重ねたベッドでの寝心地はすこぶる快調。
良いこと尽くしだ。
ただ……。
「二十歳差。すごいな、もう親子だ」
俊くんはテレビに視線を移し、コーヒーカップに口をつける。
「わたしたちも人のこと言えないけどね〜」
「俺たちは誤差みたいなもんでしょ?」
と、続けて、
「五歳差だけに」
「…………」
五臓六腑に染み渡るコーヒーの温かみが一瞬で失せた。
うーむ。
このセンスには毎度困らされる。
五年前より精悍になった俊くんを、わたしはたしなめるようにこう呼んだ。
「少年……」
だからわたしは「少年」と呼び続ける〜男子中学生にときめく女子大生のわたしってギリセー……いやアウトですよねはい〜 タイヘイヨー @youheita
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