第9話 欲望の過ち

 松田の逃亡で騒然とする岬ノ村。

 一軒の家屋の地下では、若い女がしきりに叫んでいた。


「ねえちょっと! ここから出してよっ!」


 女は木の格子で仕切られたスペースに閉じ込められている。

 艶のある黒髪やピンク色のニットは泥で汚れ、端整な顔立ちも不安と怒りに染まっていた。

 格子を掴む女は、どうにか扉をこじ開けようとしている。


 彼女の名前は佐伯。

 新人のセクシー女優で、デビューを控えている二十一歳の大学生である。

 第一作目の撮影で地方の山に来たところ、この村の人間に襲撃されて地下に閉じ込められたのだった。


 佐伯の他に三人の男性スタッフがいたが既に連れて行かれている。

 しばらくは悲鳴が聞こえていたものの、現在はぱったりと途絶えてしまった。

 銃声らしきものも続いたので、佐伯はスタッフの生存を諦めている。


(スマホがあれば通報できるのに……)


 佐伯は格子にもたれかかる。

 私物の類はすべて村人に没収されており、外部とは連絡が取ることができない。

 佐伯は恐怖と苛立ちで気が狂いそうだった。


 彼女が何度目になるか分からない叫びが上げていると、地上に繋がる階段から足音がした。

 現れたのは鉢巻きをした中年の男だった。

 男の姿を目にした佐伯は顔を引き攣らせる。


「来ないで!」


「ひひ、気が強いなあ。そういう女を躾けるのが最高なんだよ」


 下卑た笑みの浮かべる男は、格子の前までやってきた。

 男は舌なめずりしつつ天井を指差す。


「上が騒がしいが気にするな。よそ者が逃げ出しただけだ。すぐに捕まるだろうさ。あっ、お前さんの仲間は死んでるから別のよそ者だぞ」


「……私のことも殺すつもり?」


「とんでもない。お前さんは貴重な孕み袋じゃ。殺すわけなかろう」


 佐伯の中で絶望感が一気に増す。

 死よりも悲惨な未来が確約された瞬間だった。

 彼女は自分の肩を抱いてうずくまる。

 震える身体を見下ろす男は、猫撫で声で語りかける。


「気にするな。ちょいと味見をしに来ただけじゃ」


「……ッ」


「抵抗するなよ。手足を折ってもええんやぞ」


 男は格子の鍵を開けて中に入った。

 互いを隔てる物がなくなり、佐伯はぐったりと座り込む。

 彼女は地面を見つめて投げやりに言った。


「……分かったから。なるべく早く終わらせて」


「うんうん、物分かりがええ女は好きじゃ」


 満足そうに頷いた男は、カチャカチャと音を立ててベストを緩める。

 そうしてズボンを下ろそうとした瞬間、佐伯がいきなり蹴りを放った。

 爪先が男の股間にめり込み、ぐちゃりと嫌な音を立てる。


「うごおおおええええええぇっ!?」


 男が股間を押さえてのたうち回る。

 顔面蒼白で嘔吐し、まともに起き上がれなくなっていた。

 その間に佐伯は格子の外へ出ると、放置されたガラクタを漁り始める。

 彼女が掴み取ったのは錆びたネイルハンマーだった。


「ふっざけんな! あんたなんかにヤらせるわけないでしょ!」


 佐伯はネイルハンマーで男を殴りつける。

 一度で止めず、彼女は何度も執拗に殴り続けた。

 飛び散る返り血を浴びながらひたすら打撃を加える。


「死ね! 死ね! 腐って死ねッ!」


 滅多打ちになった男は虫の息となっていた。

 痣だらけの顔で唸ることしかできなくなっている。

 股間は出血だらけで原形を残していなかった。


 荒い呼吸の佐伯は、ネイルハンマーを片手に階段を上がる。

 その目は己に降りかかった理不尽に対する憤りを発露させていた。


「私は、絶対に、生き残ってやるから……!」


 佐伯は家屋の裏口から外に出る。

 他の村人に見られていないことを確かめながら慎重に進む。

 上手く死角を利用する佐伯であったが、ふと視線を感じて振り返る。

 そして凍り付いた。


 数メートルほど後ろに極彩色の鱗を持つ物体が佇んでいた。

 風に吹かれて微妙に揺れながら佐伯を凝視する。


 刹那、極彩色の異形は絶叫した。

 耳の痛くなるような金切り声だった。

 佐伯は泣きそうな顔で走り出し、村人に見つかりながら森の中へ逃げた。

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