第38話 策謀
偽マジュヌーンがスークに雪崩れ込んでいく。
どの店を襲えとは指示しなかった。一本道の小さなスークだ。どうせ襲うなら丸ごと壊滅させた方が打ち漏らしもなく確実だ。
見る間にスークは蹂躙され、一方的な騒音だけが暴れ回る。成す術もなく襲われる店は存外静かなものだった。抵抗のあった店ほど騒々しく、そこにハシシを捌く連中が潜んでいるのは明白だ。次第に他の店を襲っていた偽マジュヌーンもその店に突入し、やがて一帯が静まり返った。
誰も外に出てこない。
報酬である新種のハシシを求めて偽マジュヌーンが飛び出してこない辺り、返り討ちにあったらしい。俺は曲刀を抜き、その店に歩み寄った。
通りに面した建物は小さく、大人一人が腕を広げた程度の幅しかない。突き破られた戸を跨いで中に入ると、物置のような狭い部屋は大量の石鹸に埋め尽くされていた。灯りが奥の通路の先から漏れている。破壊された扉の向こうからミスバか何かの灯りが入ってきているようだ。
崩落した石鹸の山を踏み越えて進むと中庭が見えた。死体がいくつも転がっている。微かに人の声も聞こえた。俺は石鹸一つを手に取り、中庭ににじり寄っていく。
人影は二つ、どちらも座っている。
一人はほとんど動かず、もう一人は細かく動いている。声音は一人が落ち着き、もう一人はたどたどしい。怪我人を手当てしているのだろう。地面に置かれたミスバが見えた。
俺はミスバに石鹸を投擲する。命中した。灯りが遠ざかっていく。
瞬間、俺は走った。音に二人が反応する。動いたのは一人だけ──そいつを一太刀で斬り捨てる。残る一人は脚を怪我していたのか。そいつも有無を言わせず始末した。すぐに周りを見る。
一人残っていた。俺に気付き、曲刀を構えて機を窺っている。転がったミスバは俺の背中側にあり、そいつから俺の姿は丸見えだろう。しかし迂闊に近づいてくる様子はない。
俺から動いた。敵が暗がりにいようがジンの眼には関係ない。一足飛びで近づき、上段から曲刀を振り下ろす。
避けられた。しかも前に出ながら躱された。突きが、俺の腹に迫ってくる。
戦い慣れた動きだ。そこらのゴロツキの練度ではない。だが、その動きは読んでいた。振り下ろした一撃は全力ではない。即座に曲刀を斬り返し、突きを払い落とした。返す刀でそいつの首を斬って終わらせる。
俺はミスバの灯りを消し、生き残りがいないか手早く調べた。入り口こそ狭いが建物自体はそこそこ大きく、中庭を囲む部屋は六つもある。誰もいないようだ。保管されたハシシも発見する。安全を確認して中庭に戻ろうとして、見覚えのある帽子が目に入った。
三角形の額当てが付いた帽子は、北方の遊牧民が好んで付けるものだ。つまりここを根城にしていたのはただのゴロツキではない。
マムルークだ。
偶然、調査不足、そのようなわけがない。リヤードに嵌められた。それ以外に考えられなかった。リヤードの薄ら笑いが脳裏に過り、頭の奥が熱くなった。
「殺しちまうのか?」
アスワドの笑い混じりの声で熱が消える。俺は曲刀を鞘に納めた。
「どうだろうな」
銀細工師の店に向かった。扉を叩いて家主を叩き起こそうとすると、リヤード本人が扉を開けて出てきた。
「まあ入りな」
眼が据わっていた。鎧兜を身に纏い、既に剣も抜いている。全て織り込み済みか。俺はリヤードに曲刀の切っ先を向けた。
「ボズクルトはどうなっている」
「俺を殺せば、お前の正体は暴露される手筈になってる」
「知っている。それで、ボズクルトはどうなっている」
「調査中だ」
俺は曲刀を動かそうとする。瞬間、リヤードが口を開いた。
「俺に嵌められたと思ってるんだろう?」
俺が無言で曲刀を構えると、リヤードも表情を変えずに剣を構えた。
「大丈夫、マムルークを襲わせたのは計画の内だ。これで今まで新種のハシシにほとんど無関心だったマムルークたちは自分たちの権益を守ろうと血眼になって鎮圧に動き出す。俺たちはその混乱の隙を突く」
リヤードに斬りかかった。あっさり防がれ鍔迫り合いになる。先ほどのマムルークよりよほど手練れだ。それでも俺の方が強い。力尽くで曲刀を押し込んでいく。
「俺を殺せば──」
「──死んだ後の事は気にするな」
俺の曲刀に押され、リヤードの剣が自らの鎖頭巾に触れた。その表情はここに至っても変化がない。
「ハシシが欲しいのはお前もだろう、ハリル」
鎖頭巾に自らの刃を食い込む。その寸前、リヤードはなんとか剣を寝かせた。
「ボズクルトを誘き出す為に新種のハシシを探していた、それが本音だろう? 裏社会の繋がり云々は建て前だ。城塞を襲った時に失ったマジュヌーンの代わりを求めたか?」
俺は曲刀の角度を変えて切っ先を下げ、鍔を使ってリヤードの剣を抑えつつ鎖頭巾の上から曲刀を食い込ませていく。
「口を割らせる術もない単独のお前が、俺を殺してどうハシシを手に入れるつもりだ。その上居場所まで失い、マムルークからも追われる事になる」
鎖頭巾の上から肩の骨を捉えた。俺はさらに力を入れ、骨を圧し潰していく。それでもリヤードの表情はぴくりとも動かない。
「今度は対等に手を組もうじゃないか。俺はハラーフィーシュのスルタンの首、お前は新種のハシシを手に入れる」
俺は、リヤードを蹴り飛ばした。
「スルタンは公言こそしていないが」
俺が話している間にリヤードが立ち上がった。距離が広がり膠着状態は終わりを告げた。互いに獲物を下ろし、リヤードの口元が微かに緩んでいる。
「明らかにマムルークとの戦いを避けていた。この一件で雲隠れでもされたらどうする」
「分かってる。どれだけデカい顔をしていようが所詮はハラーフィーシュだ。マムルークを敵に回せるわけがない。だから手を打った。不届き者は今日攻めた連中がマムルークだとは知らない。マムルークの方も俺が都合の良い日まで真実を隠蔽する。で、俺たちが動きやすい日に一気にマムルークを動かす。それで全面戦争の始まりだ。街はいきなり混沌に叩き落とされる」
街が混沌に堕ちる。悪くない言葉だ。
元々ここでリヤードを殺す気はなかった。リヤードが思う俺を演じつつ、リヤードの真意を知る為に脅しただけだ。
手柄を誇張する。それがリヤードの狙いだろう。
マムルークを襲撃したハラーフィーシュのスルタンに注目が集まり、誰もがスルタンの首を求める中、リヤードがそれを差し出す。密かに事を成すより遥かに褒美は豪華になる。上司であるアミール・ターリクに黙って俺と手を組んだのと根っこは同じだ。
「……いいだろう」
「これで交渉成立だな」
リヤードは笑みを浮かべて剣を納めた。俺も曲刀を鞘に戻す。
「ああ、そうだ。一つ礼を言わないとな。あのマムルーク、殺してくれて感謝するよ。顔を見る度に胸糞悪くてしょうがなかった」
醜いな。
思ったが、俺の感情は動かなかった。既に事は動き出した。大まかな動きは見えている。あとは状況を見て柔軟に対処するだけだ。
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