第30話 銀の鳥かご
リナが記憶を思い出すことはないまま、店は次の定休日を迎えた。
昼過ぎにフェデリカが来て、セロとアロイもやってきた。今日は、魂を移し替える日だ。
私は、大人の拳ほどもある大きな魔結晶を取り出した。あの夜仕留めた、エルゴリンエルクの魔結晶だ。
「フェデリカ、これを……」
「あら、立派な魔結晶ね。これほどのサイズはなかなか見ないわ」
「今回の……その、報酬というか、必要経費というか、手付けというか……」
ごにょごにょと言いながら、私はフェデリカの手にその魔結晶を押しつけた。
「そういえば、報酬は言い値で支払ってくれるんだったかしら」
受け取った魔結晶を検分しながらフェデリカが笑う。
「もちろん! 貴重な魔法だって使ってくれたんだし、この後も使うんだろうし……それにあの魔法陣を3枚も書くのに、時間も労力もかかったろうし。足りなければあとは現金でも、私の店にある売り物や素材でも、何でも……」
言い値も何も、そもそも相場などないのだ。今回のことに前例や類似例なんてないのだから。
「報酬なんていいわよ。別れた男からむしり取ったなんて人聞きも悪いしね。でも、この魔結晶は遠慮なくいただいておくわ。毒属性は研究でよく使うからありがたいの。それに、これくらい受け取っておいたほうが、あなたも気が楽でしょうから」
うぐっ。見透かされている。
「さて……じゃあ少し説明するわね」
集まった面々を見て、フェデリカが切り出す。
私の家のリビングでテーブルを囲んでいるのは、私とフェデリカ、フェデリカの隣にリナ、その足もとにモモ。そして見届け人として来てくれたセロとアロイだ。
「先日、3枚の魔法陣を使って、3つの魂を繭で包んだわ。本来、ただの光の塊でしかない魂を包んだことで、体から離れても散らずに形を保てるのと、体から離れた時に外にいる人間にその形が視認できるの」
フェデリカの言葉に、セロが両手の人差し指と親指を丸くくっつけて、掲げてみせる。
「勝手なイメージとしては、これっくらいの丸い光って感じだけど?」
セロの言葉にフェデリカが、小さく笑う。
「ふふ、そうね。もう少し大きいわ。このくらい。形は綺麗な球体よ」
このくらい、とフェデリカが手で形づくってみせたのは、大人の頭くらいもあるサイズだ。
「まずはこの部屋に結界を張るわ。魂の入れ替えをしている最中は、肉体から魂が抜けることになるから、空いた体に他の魂が入り込んでも困るでしょう?」
フェデリカの言葉にアロイが頷く。
「そうだね。僕とセロは事故で本体から魂が抜けたところに入り込んだわけだけど……稀人の発生条件は体や脳に大きな損傷がないことと、体から魂が抜け出た状態なわけだから、条件が完全に整ってしまうことになる」
「体を探してる魂なんて、普段からそんなに漂っちゃいねえだろうけど、そんなことあるわけないって、俺とアロイだけは言えねえもんな」
そう言ってセロは笑うけれど、もしもそんなことになってしまったら、笑うに笑えない。
「そんなことになったら、体が足りなくなっちゃうじゃないか」
私がそう言うと、書類ケースから魔法陣を出していたフェデリカが、なんでもないことのように答える。
「そうなったら適当な使い魔の形を作ってあげるわよ。あなたのために可愛らしいのを」
フェデリカは、魔法陣と一緒に魔道具をひとつ取り出した。
小さな……手のひらにのるくらいの、銀製の鳥かごのような魔道具だ。鳥かごの中には薄緑色の魔結晶が入っている。フェデリカはそれをテーブルの上に置いた。
そして、ソファから立ち上がり、手に持っていた魔法陣を広げる。
リビングの中央には、私たちが横たわれるように毛布を敷いてあった。
フェデリカはその毛布の上に、間隔をあけて3枚の魔法陣を置いていく。普段、私が書くような魔法陣よりもかなり大きい。最近、オスロンでも5日に1度売られるようになった新聞の倍はあるサイズだ。
そう思っていたら、セロがぼそりと呟いた。
「でかいな。日本の新聞の片面サイズはある」
セロたちの世界では、新聞は毎日発行されていたという。あの魔法陣と同じサイズの新聞が毎日だなんて、ニホンはそんなに新しい情報があふれてるのだろうか。
「じゃあ、支度をしてちょうだい」
フェデリカの言葉に促され、私とリナが立ち上がる。モモも、リナに促されて身を起こした。
「なんか……どきどきしちゃうね」
リナが私の顔を見上げた。私は微笑んで立ち止まる。
「リナ。……モモも、こっちにおいで」
四つん這いのままで近づいてきたモモと、その場に座ったリナを、私はぎゅっと抱きしめた。
「リナ、モモ。私たちはもう家族だ。それぞれがそれぞれの体に戻ってもだ。私はリナのお父さんの代わりにはなれないかもしれないけれど、気持ちだけはそのつもりでがんばるから。リナは不完全な術式で呼ばれたせいで、稀人としても不完全になってしまったけれど、足りない分は私が助けるから」
稀人というのは、こちらの体の知識と、前世のニホンでの知識をあわせ持つことで有利だと言われる。けれどリナは体ごと来てしまったので、“体の知識”というものがない。
リナが、うん、と頷く。リナの耳元にある柔らかい毛が私の頬を撫でた。
「大丈夫。昨日ね、アロイさんともお話したの。アロイさんが来た時も7歳だったから、こっちの知識はあまりなかったって。それでも、日本で学校に通って勉強してたなら、こっちの同世代よりはたくさん進んでるから大丈夫、って。それでも足りなかったら家庭教師してくれるって言ってたよ」
昨日、セロとアロイが揃って顔を出した。私がセロに、リナの記憶は戻らなかったようだと報告している間、別の部屋でアロイとリナが何か話していた。
私もできる限りのことはリナに教えるつもりだったけれど、アロイも手伝ってくれるならありがたい。勉強面では私とアロイでどうにかなるし、実生活で、女性として成長していくなら、それはセロが力になってくれるかもしれない。あの外見で魂が女性だったと言われても複雑だけど!
だから……とリナが続ける。
「だから、大丈夫。――ね、モモもこの体に入るなら、前と毛の色は一緒だね」
おん? とモモが首をかしげる。
「前もモモは黒い犬だったんだ?」
私が聞くと、リナは頷いた。
「うん、黒ラブ……えっとね、大きさは今のあたしくらいで、毛足がもっと短くて耳が垂れてたの」
「垂れ耳もよかったなぁ。よし、じゃあ魔法陣の上に行こうか」
私がリナとモモから体を離すと、リナが勢いよく頷いた。
「うん!」
「心の準備はいい?」
私たちが移動したのを見て、フェデリカが言う。手には、小さな鳥かご型の魔道具を持っている。
「まずはわたしがここに結界を張るわ。そして、あなたたちの魔法陣を起動させる。そうすると、体から少しだけ魂が浮き上がるから、そこから先は自力で浮かび上がってね」
「自力で!? え、そんなことしたことないけど、どうすればいいんだ?」
私の問いに、フェデリカは肩をすくめた。
「わたしはやったことがないからコツはわからないわ。ただ、今までの魂に聞くところによると、普通に起き上がれば、体を置き去りにして浮かび上がるらしいわよ。わたしやセロさん、アロイさんの目からは、白い光の玉が浮かび上がってくるように見えるけれど、魂同士なら、それぞれの元の姿が見えるらしいわね。体から充分に離れた後、それぞれ自分の体の近くに行けば、魂は吸い込まれていくわ。――魂はね、そのままでは不安定なものなのよ。繭で包まないと外に出られないくらい。だからできるだけ早く、体に戻ろうとするものなの。一旦、体から出てしまうと、ふわふわ漂うことになるから、移動には少しコツがいるらしいけれど、がんばってちょうだい。モモはわたしが誘導するわ」
「誘導なんてできるなら、私やリナの魂も誘導してくれても……」
私がそう言いかけると、フェデリカが首を振る。
「だめよ。モモは本来、人間の体に入る魂ではないから、わたしが触れても問題ないけれど、あなたたちの魂はわたしが触れたら、わたしの体に入ろうとしてしまう。でも、わたしの体には既に魂があるでしょう? そうなると、あなたたちの魂は結界も越えてどこかに弾き飛ばされるわよ。あなたたちを包んでる繭は10日もすれば魂に吸収されて消えてしまう。つまり、弾き飛ばされたら10日後には繭もなくなって散ってしまうわ」
それでもいいの? と聞かれて、思わず「うひぃ」と首をすくめる。
「10日の内に、違う体に空きがあれば、それに入るのはオッケー?」
セロが、名案とばかりにフェデリカに聞くけれど、そんな、集合住宅に空き部屋を探すみたいな……。
「空きが見つかればそれでもいいわね。実際、モモはそうして、ベルナールの体に入ったんだし」
そうか……オッケーなんだ。
いやいやいや、そういう問題じゃない!
「始めるわよ。魔法陣の上で寝て……リナちゃんとモモは伏せてもいいわ。意識を失うことになるから、倒れて頭を打たないように低い姿勢なら大丈夫よ」
フェデリカに言われて、リナはモモに伏せを指示する。ステイだよ、と言ってリナ自身も魔法陣の上に伏せた。リナが中央でその両隣に私とモモが横たわる。
フェデリカが、手のひらの上に鳥かごのような魔道具をのせて、よく通る声で詠唱を始めた。
「【濁りなき
小さな銀の鳥かごがふわりと浮かび上がり、中に入っている魔結晶が薄緑色に淡く光る。銀の鳥かごは私たち3人の上、部屋の天井近くに浮かび、ゆっくりと回転を始めた。魔結晶から薄緑色の光がキラキラと降り注ぐ。鳥かごの回転に引っ張られるように、光の粒がゆっくりと、大きならせんを描いて回りながら落ちてくる。私たち3人を取り囲む、大きな光の半球が作られた。
私が作る結界の魔結晶も、発動させれば同じような色合いになる。けれど、フェデリカが作るこの結界は、とても美しいと思った。
この美しい光が、私たちの魂を守ってくれるんだ。
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