第24話 ランチタイム(アロイ視点)
5日に1度、首都に向かう蒸気機関車がこの街から出発する。ここより北にある街を2日前に出た機関車がオスロンに着いて、半日の整備の後に出発するのだ。逆に、首都から来る機関車も5日に1度だ。まだ数が少ない車体をなんとかやりくりして、北から南、折り返して南から北へと、人や荷物を運んでいる。
オスロンが新潟付近にあって、ここより北に大きな街はもう1つ、北海道の中央部に当たる。南は九州の……と言いたいところだが、ユラルの北部と南部は大陸にくっつく形になっているので、南部は特に、もとの日本の形を当てはめにくい。
首都はオスロンから南東、埼玉付近にある。オスロンからは蒸気機関車で2日ほど。天馬を飛ばしても、結局は途中で魔力切れになるし、馬にだって休憩は必要だ。機関車も日本と比べて速いとは言えないが、今のユラルでは、移動方法としては速いほうだろう。
収穫祭の最終日、僕は高等院で講義を受けていた。10月の29日だ。収穫祭は25日からの5日間だけれど、この世界では5の付く日と0の付く日は休みになることが多い。つまり、29日まで収穫祭で騒いだ街は、明日の30日にはあちこちが休みになり、ひっそりとする。まさに、祭りの後だ。ベルナールの魔法屋も明日は休みで、フェデリカが訪れることになっている。
フェデリカについてはベルから聞いた話しかわからないけれど、セロの山小屋で会った時の彼女に、悪い印象はなかった。自立した女性という感じで、若い頃からあんな感じだったのなら、ベルナールとは相性がよさそうだけれど……という話をセロにしたら、鼻で笑われた。
曰く、外から見て相性がどうのなんて関係ないとのことだ。あの日、フェデリカは、ベルナールが本気で頼み事をしてきたのは初めてだと言っていた。それが本当なら、ベルナールは彼女に遠慮しながら過ごしていたのかもしれない。
ついでに、彼らの5年前を少し想像してみる。僕たちはまだベルナールに出会っていなかった頃だ。今よりもうちょっとふんわりしていて、今よりもうちょっと自信のないベルナールだっただろう。魔術師としては優秀だし、優しい人柄だけれど、少し覇気がない感じの。顔の造作は普通。ひょろりとした長身で、少し猫背だ。
逆にフェデリカのほうはどうだろうと考えてみる。若く美しい、将来有望な研究者。研究内容は少々尖っているかもしれないが、第一線で研究するというのは、良くも悪くもそういうものだろうと思う。確かに、そういう点でもベルナールとは違うのだろう。ベルナールは、自分の手が届く範囲の魔法を丁寧に深めようとしている。魔道具作りだってその一環だ。フェデリカは多分、誰も手が届かないところに手を伸ばそうとしている。
うーん。なるほどね。
……どんまい、ベルナール。
ベルナールとフェデリカについて思いを馳せている内に、講義が終わった。今日の講義は数学で、前世でもう学んだ部分だ。受けなくても良かったが、この世界で数学がどういう扱いになって、どこまで解明しているのかを確かめたいという意図もあった。
「数学者が稀人として来れば脚光を浴びるかもな……」
思わず呟く。僕が前世で通ったのはそれなりに名の知れた大学ではあったけれど、トップクラスの大学というわけでもない。それに、数学を専門で学んだわけではないので、難しい定理や法則を自分の力で証明できるわけではない。一般教養としての数学は嫌いではなかったが、数学科の奴らが取り組むような問題は、読んでも目が滑って何も頭に入ってこなかった。
そんな僕の数学力と、この世界の数学力がほぼ同じなのだ。
例えば、無限という概念はこの世界にもある。ただ、その定義について、こちらの数学者たちの一部は頭を悩ませているらしい。なんと言ったっけ……昔、少しだけ習った。可算無限と、あと……なんだったか、もう忘れてしまった。スマホがあればすぐに調べられるのに、と思う。
知識と思考の積み重ね、そして壁を突破するブレイクスルー。日本の数学者がここにいれば、彼らにとってのブレイクスルーになれるだろう。
「君、稀人だったよね。数学に詳しいのかい?」
僕の先ほどの言葉を聞きつけたのか、同じ並びの席に座っていた学生が声をかけてきた。何度か講義で一緒になったことがある人物だ。
「稀人だけど、数学は専門じゃなくて全然だよ。今持っているこの教科書に書いてあることが、僕の知識の全てだ」
僕がそう答えると、彼は目に見えてがっかりした。
「そうか……俺もいくつか、解析したい問題を抱えているんだけどね……」
パラリとめくって見せてくれたノートには、びっしりと細かい文字で数式が書かれていて、僕にはお手上げだった。
「ごめん、既に何が書いてあるのかわからない。そんなに数学を先に進めてるなら、君は飛び級してもよかったんじゃないの?」
そう聞いてみる。目の前の彼は10代後半、20歳の手前に見える。
「俺は数学以外が、てんで駄目でね。今の講義は休んでも良かったんだけど、このノートに書き殴ってるだけじゃ思考が行き詰まったから、気分転換にきたのさ」
じゃあまた、と言って彼は立ち去った。
こちらの世界での初等院は日本での小学校と同じようなものだが、中等院はそのまま中学校ではない。初等院に6年通った後の中等院は5年あるので、日本で言う中学と高校を合わせたようなイメージだ。初等院は飛び級する子どもも多いので、中等院を卒業するのは15歳から17歳、そこで独り立ちして仕事をし始める者も多い。おそらく、セロがそうだっただろう。
高等院は大学と同じだ。最初の1年は基礎を学び、2年目から専攻コースを選ぶ。僕は回復術を専攻しているし、ベルナールの在学中は魔法技術を専攻していたはずだ。フェデリカは召喚術専攻かもしれない。4年間の高等院を終えれば20歳前後だ。先ほどの彼は卒業間近の年齢に見えた。
高等院の先は、魔法関係なら魔導院になる。僕のように回復術関係なら、医術院に付属した研究機関だ。僕はまだ高等院があと1年残っているけれど、医術院のほうへ進む準備をいくつか始めている。
幸いなことに、どんな道に進んだとしても生活には困らないらしい。こちらの世界での父親にそう聞いた。父方の祖父が貴族の称号を持っていて、財産もそれなりにあるのだとか。ユラルは立憲君主制で、議会は貴族院と庶民院の二院制だ。祖父は貴族院に議席を持つ議員だが、父は次男なので後を継ぐ予定はない。父が結婚した時に、祖父からいくらかの財産を分与されて、父はそれを元手にしてオスロンの市内にいくつかの土地や工場を持っている。父は経営に熱心なほうではないが、周囲の人間に恵まれたのか、土地も工場も利益を生み続けていると聞いた。だから好きな道に進みなさい、と言ってくれた。僕が生きているだけでいい、と。
数学の講義が終わればランチタイムだ。僕は高等院の中にある食堂へ移動した。
メニューの数はあまり多くないけれど、手頃な値段でボリュームがある。いかにも学生たちが喜びそうな、腹に溜まるメニューも多い。ここに来ると日本の大学の学食に来たような気分になれるのがいい。
今日のおすすめになっていた、クラムチャウダーと海老ピラフのセットをトレイに載せて、僕は空いている席に座った。
――明日には、フェデリカがベルナールの店を訪れる。すぐに魂を移し替えることはできないけれど、まずはベルナールやリナから事情を聞くらしい。そして、魂を移すための下準備をしたいと聞いている。
もしも無事に魂を移し替えることができたら、リナは身寄りのない未成年の稀人ということになる。日本で死んでいないならば、ひょっとしたら戻る手段があるのかもしれないけれど、僕個人としては、それは望みが薄いと思っている。戻ったという事例は聞いたことがないし、そもそも、稀人の魂は死後の世界を通り抜けてこちらに来ると言うのだから、やはりリナは向こうで一度死んだか、それに限りなく近い状態になったと見るべきじゃないだろうか。
戻れるなら、もちろんそれがいいのだろうけれど、こちらで暮らすとなると、身寄りのない13歳の少女をどうするか……。ベルナールがそのまま引き取るなら、それはそれでいい。対外的にはリナはベルナールの姪ということになっているし。経済的に少し難しそうなら援助してもいいし、そもそもうちで引き取ってもいい。母親は先日うちを訪れたベルのことをいたく気に入ったようで、あの子は可愛かったわね、と言っている。女の子も欲しかった、と。
お嫁さんに来てくれればいいのにと言い出さないかが唯一の不安だ。そんなことになったら、セロが光源氏計画かよと言い出すに決まっている。
クラムチャウダーは二枚貝のスープだ。基本はアサリだが、時々、ハマグリかと見まがうようなサイズの貝が入っていて、港町ならではの豪快さを見せる。学校の食堂にはあまり稀人の影響がない。すぐそばに港があるし、郊外には牧場もあるから、稀人の手を借りるまでもなく、クラムチャウダーのようなメニューができるのは必然だろう。
食堂に稀人の影響が少ないのは、高等院以上に進むような稀人が多くないからでもある。冒険者の中でも魔術師を目指す者が数人通う程度だ。中等院までで生活魔法や魔法陣の使い方、基本的な魔力の使い方は習う。自分で魔法陣を書いたり、魔道具を作ったり、魔法を攻撃や防御に使う方法を習うのが高等院からだ。稀人に対しては補助金制度があったはずだが、それなりに学費もかかるので、自分の生活を整えながら学校に通うのはなかなか難しいだろう。リナが興味を持つようなら、学費を援助するのもいいかもしれない。
先日、ベルと話した時にも感じたことだけれど、この世界の人の多くは稀人に大きな期待をしている。何か役立つ知識を持っているんじゃないかと。そういう期待の目で見られると、申し訳ない気持ちにもなるが、ない袖は振れない。
(それに、一部の天才が歴史の針を少しばかり進めたところで……)
と、そう考えて、ふと前世のことを思い出した。たとえば、アインシュタインやノイマン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ニコラ・テスラ……向こうの世界で天才と呼ばれた人たちは、ひょっとして、と思う。特に多分野で様々な、“世界で初めて”を提唱した人物たちは、僕たちの住んでいた世界より進んだ世界から来ていたのではないだろうか。
彼らが稀人だったかどうかはわからないが、結果的には、一部の天才たちやマルチな才能を持つ人たちによって、僕たちの世界も進んだ。
稀人同士は顔見知りも多い。ひょっとしたら遠い未来、知り合いが偉人として歴史に名を残すのかもしれない。僕自身はそういう可能性は低そうだけれど、絵が得意な友人に、稀人たちの肖像を描いておくように進言するべきだろうか。いや、少し前に、誰かがカメラを作っていると言っていた。そっちの進捗を尋ねるほうが先かもしれない。
――日本にいた頃、最後の数週間は、遠からず自分は死ぬんだろうと思いながら、日々を必死に生きていた。1年どころか、数ヶ月後のことも考えられなかった。次の季節を迎えられるかどうかもわからなかった。
それが、数十年、ひょっとしたら数百年も先のことを考えているなんて。
僕は、上機嫌でランチタイムを終えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます