第71話 Epi 霧島賢治
「あー、クソッ! 鬼と戦うより、こっちの方がキツいぜ……」
京都市内、某ホテルの一室。
賢治はまったく進まない報告書とにらみ合っていた。
テーブルの上には、ぐちゃぐちゃに書き直した紙の山。
その周りには、空になった缶コーヒーが無造作に転がり、灰皿は吸い殻で埋まっている。
タバコの煙が部屋に充満し、ぼんやりと視界を霞ませていた。
「……やってらんねぇ……なんで俺だけこんな目に……」
ペンを放り投げ、乱暴に紙を丸める。
——ぽいっ。
ベッドの上には、すでに丸めた紙が積もり、まるでクシャクシャの雪山のようになっている。
賢治はちらりと時計を見た。
時刻は14時23分。
(……昨日の夜から書き始めて、まだ一文字もまともに仕上がってねぇ)
賢治は思わずテーブルをバンッと叩いた。
「ったく……説明なんざ散々しただろうが! なんで一人ずつ報告書を書かねぇといけねぇんだよ……!」
苛立ちながら、ぐしゃぐしゃになった髪をかきむしる。
(こんな机にかじりつく作業、大嫌いだ)
書いては丸め、放り投げる——その繰り返し。
ペンを握り直し、もう一度紙に向かう。
が、また手が止まる。
「あー、無理だな……」
大きくため息を吐き、タバコの箱を手に取る。
一本抜いて口に咥え、ライターをカチリと鳴らす。
(……ちょっと、気分を変えるか……)
賢治は手元の缶コーヒーを開け、リモコンを取ると、適当にテレビをつけた。
画面には、スタジオで険しい表情をした司会者やコメンテーターたちが映っていた。テロップには『未曾有の霊障、陰陽師協会の対応は適切だったのか?』とある。
(……ああ、またこの手の話か)
重い気分のまま、タバコをくわえながら缶コーヒーを一口。
『それにしても……これほどの災害級の霊障を、事前に把握できなかったんでしょうか?』
賢治は鼻で笑った。
「……現場も知らねえで、気楽なもんだぜ。そんなの分かるわけねえだろ……こっちは鬼退治に必死だったぜ……」
缶コーヒーをもう一口。
『本当に“突発的”なものだったんですか? 封印されていたなら、過去に何らかの兆候があったはずですよね?』
「……兆候ね……神様でもねえのに、そんなの分かるわけねぇだろ……」
ぼそっと呟きながら、タバコの灰を灰皿に落とす。
「……でも……今更だが……確かに夜叉王の封印が解けた時点で府民に警報を出してもよかったかもな……ったく、どうすりゃよかったんだ……」
思わず額を押さえる。結果論は簡単だ。
後になって考えてみれば、もっと良い手があったのかもしれない。だが、現場では常に手探りの中で最善を尽くすしかなかった。
『それに、なぜ陰陽師協会は単独で動いたのか……? “異能管理庁”と協力するべきだったのでは?』
「はぁ? 異能管理庁だぁ!?」
賢治は思わず声を荒げた。
「アイツらと連携なんて取れるわけねぇだろ……? あいつらと組むくらいなら、鬼と酒でも酌み交わした方がマシだな……」
胸の奥に苛立ちが募る。現場を知らない奴らが、好き勝手に言いやがる。
『結果的に、陰陽師協会は後手に回り、被害を最小限に抑えられなかった……』
——痛いところを突かれ、賢治はグッと歯を食いしばる。
「クソッ……」
——テレビ画面では、錦市場や京都駅の被害状況が映し出されていた。
それを背景に、コメンテーターが続ける。
『当日、京都市内には特級陰陽師が3人いたと確認取れています。賀茂千紘氏以外の陰陽師達は何をしていたんでしょう……?』
「……は?」
賢治は思わず固まった。
「……俺のこと言ってんのか?」
『賀茂千紘氏の奮闘がなければ、鬼達が広範囲に広がり、もっと被害が拡大していた可能性が高いと見られています』
「……嘘だろ」
賢治はタバコを落としそうになった。
「……おい、冗談はやめろ……」
千紘が、東寺で鬼とやり合ったのは知っている。だが、まさか——こんな風に報道されるとは。
——“賀茂千紘がいなければ、被害はさらに拡大していた”。
「……ふざけるな……!!」
(アイツは……鬼と戦いたいがために、俺らを出し抜いて、一人で勝手に動いたんだろうが……!)
なのに、まるで救世主みたいに報道されている。
「……クソッ……」
テレビの音が耳障りに思えて、リモコンを取り上げると、乱暴に電源を切った。
苛立ちとともに、賢治は霊障事件の夜を思い出した。
——雷鳴が散発的になり始めた頃、異様な感覚とともに結界が緩み始めた。
無限にループする呪詛混じりの結界。
どれだけ動いても同じ場所に戻る、あの悪夢のような空間が、気づけば霧が晴れるように解けていた。
「よし! 行くぞ!!」
賢治達は鞍馬寺を一気に駆け下りた。
今さら何がどう作用して結界が解けたのか、それを考える暇はなかった。
頭の中は、なぜ結界が解けたのかではなく、その間に鬼がどれだけ京都市内に流れ込んだのか——それだけだった。
焦燥感に駆られながら山道を下ると、ちょうど彼らを探していた大阪支部のメンバーと鉢合わせた。
「探したんやで! どこにおったんや!」
「それは後だ! 鬼が出ただろ? 京都市内はどうなってる!」
「……なんで、知っとるんや?——と、とにかく、詳しい話は、車ん中で……京都の状況、ちょっと信じられんで……」
車が発進すると、大阪支部のメンバーが説明を始めた。
「結論から言うと……鬼はほぼ消えた。それに……もし鬼が出てきても問題あらへん」
「……ちょっと待て……誰か殲滅したのか?」
「いや、それが……雷に打たれてん」
「……雷に?」
「ああ、最初、何が起こってるのかわからんかった……けど、ほんまに、雷が鬼を撃ち抜いとるんや」
「……冗談だろ……」
皆、絶句するしかなかった。
——雷が勝手に鬼を狙って殲滅するなんて、そんな話があってたまるか。
「……その雷は、自然現象なのか?」
「いや、わからん。ほんまに、わからんのや……鬼たちが雷に打たれ、片っ端から消えていったんや……」
(……そんなことが、ありえるのか……?)
「で、出た!」
そこに現れたのは——赤黒い鬼
その瞬間——
——ゴロゴロゴロ……ッ!!!
空が裂けるような雷鳴が響いた。
——ドォォォォォン!!!!!!——
「……ッ!?」
次の瞬間、鬼の身体に “雷” が直撃した。
だが、それはただの落雷ではなかった。
天空から放たれた雷は、まるで意思を持つかのようにうねり、その形を変えていく。
——やがて、それは龍の姿となり、大地へと舞い降りた。
「……雷龍……!?」
まるで神話の一場面のような光景だった——。
「……と、とにかく、対策本部に向かわなあかんな」
———夜が明け、朝日が差し込む中、帝院学院に到着すると、正門の前には疲れ果てた人々がひしめいていた。
泣き疲れた子どもが寝息を立て、老人が虚ろな目で朝焼けを眺めている。
車を降りると、すぐに対策本部へ向かう。
学院の講堂が臨時の対策本部として使われており、扉をくぐるとすぐに見慣れた顔が並んでいた。
安倍輝守長官、土御門孝昌、賀茂千紘——
そして、なぜかそこには橘紗月と橘家の女の子が二人いた。
「……?」
賢治は一瞬、違和感を覚えたが、すぐにその理由を理解した。
賢治の異能の眼には、紗月の纏う尋常ならざる神気がはっきりと映っていた。
(……ちょうどいい。雷龍や神気……色々と聞きたいことがある……)
そう思った矢先——
——啜り泣く、呻き声。
遠くの避難所スペースでは、負傷者や霊障の影響で錯乱した者たちが横たわっている。
(……ちっ、今は、それどころじゃねぇな)
結局、長官に鞍馬寺での出来事を報告するだけで終わってしまった。
——そして今、報告書の紙と睨み合っている。
「あー、変なテレビ見たら……完全にやる気なくなっちまった……」
賢治は深いため息をつき、手元のタバコを灰皿に押し付けて火を消した。
書く気が削がれたまま部屋にこもっていても、報告書が勝手に完成するわけでもない。
だったら、一旦気分を変えた方がいい。
椅子を乱暴に引き、立ち上がると、適当に上着を羽織って部屋を出た。
向かう先はロビー。
霊障事件以降、政府が用意したホテルに関係者全員が移っていた。ロビーへ向かう途中、ふと目の前に見覚えのある姿が現れた。
「あ、賢治さん!」
三級陰陽師——大野悠希。
陰陽師協会の若手で、頭も切れるし仕事も真面目。おまけに愛想もいい。こういうタイプの人間が、一番損な役回りを引き受けるんだよなぁ……と賢治は内心思いながら、軽く手を上げた。
「よう、悠希……」
「お疲れ様です」
「あのさぁ、お前……もう報告書、書き終わった?」
「はい。終わりました」
「……マジかよ……」
賢治は愕然とした。
(……この短時間で終わらせたのか?)
いや、普通に考えたら終わってる方が当たり前なんだが、悠希の人の良さそうな笑顔が余計に腹立たしく感じる。
「なぁ、もし暇だったら……ちょっと手伝ってくんねぇ?」
悠希は一瞬きょとんとした後、満面の笑みで答える。
「いいですよ。どこまで終わってるんですか?」
賢治はすかさず親指を立て、堂々と言い放った。
「ゼロだ!」
「は、はい?」
「だから、まったく終わってねぇ!」
悠希の笑顔が固まる。
「えーと、俺……紅子さんに呼ばれてるんだった……」
悠希は、明らかに不自然な動きでロビーの出口にじりじりと後ずさり——ダッシュ!!
——逃げた。
「おいおい、そんな露骨な逃げ方するか?」
賢治は特級陰陽師の身体能力をフルに活かして一瞬で悠希の背後に回り込み、襟元をガシッと掴む。
「えっ!? えええっ!?」
「手伝ってくれるって言ったよなぁ?」
その声色には、いろいろな鬱憤が含まれていた。
「え、いや、あの、気のせいじゃないですかね……!?」
「いいや、気のせいじゃねぇなぁ」
「……ち、ちょっと待って、ほんとに待ってください!」
「ダメだな!」
賢治は強引に悠希の肩を抱え、そのまま部屋の方向へと引きずるように歩き出す。
「ちょ、そんな、理不尽な…!? け、賢治さん、話し合いましょう! 俺、まだ昼飯食べてないんです……!」
「缶コーヒーが沢山ある」
「……か、缶コーヒー……!?」
「タバコも分けてやる」
「……ひぃ……誰かぁ……助けてぇぇぇ!!」
こうして、悠希は半ば強制的に報告書作成に駆り出されることになったのだった。
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