第69話 夢と記憶の交差

 ——まどろみの中。


 前とは違う。


 ぼやけていたはずの景色が、今は妙に鮮明や。


 まるで目の前で本当に起こってるみたいやけど、これが夢やってことはわかる。


 せやけど———なんでやろ。


 今度は、ちゃんと自分の言葉やって思える。


「清雅、また余計なこと言うてお祖父様に怒られたの?」


 自分の口から自然と出た言葉に、紗月は一瞬だけ戸惑った。


 でも、違和感はない。


「だって光昭様、俺に戦を止めて来いなんて無茶苦茶な命令するんだから……そりゃ、文句ぐらい言いたくなるよ」


 その返事を聞いた瞬間——


 紗月の心臓が、大きく跳ねた。


(——清雅!?)


 頭が一気に混乱する。


 なんで清雅がおるん?


 なんでうち、こんな夢を見てるん……?


 目の前の景色を俯瞰するように見ている。


 そこには、確かに清雅がいた。


 あの飄々とした態度。


 軽く口を尖らせながら、腕を組んでいる。


「それだけお祖父様が清雅を信頼してるのよ。普通、家人の陰陽師にそんなこと頼まないわ」


 ——言葉を発しているのは、自分や。


 でも、まるで他人が喋ってるみたいな感覚やった。


「おえー」


「ふふ、変な顔……私も清雅のことは信頼してるわ……」


(———う、うち、今、なんて……?)


 自分の言葉やのに、自分が言うてる気がせえへん。


 でも、それが違和感とは思えへんくらい、しっくりくる。


 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられるような感覚。



「な、なんだよ。急に変なこと言うなよ。まぁ、姫さんが困ってれば、いつでも助けに行ってやるよ」


「ありがとう……清雅……」


(——あかん、これ……)


 紗月は、夢の中で戸惑っていた。


 このやり取り———まるで“記憶”みたいや。


 前に見た夢は、ぼんやりしてて、わからんかった。


 でも、今回は違う。


———自分が、そこに“おった”感覚がする。


———そして、そこに“清雅もおった”ってことも、はっきりとわかる。


 夢の景色が、だんだんと薄れ、意識が浮かび上がる感覚。


(……これは、いったい……?)


 次の瞬間、紗月は目を覚ました。


「……ん、ぅ……」


(……ここ……?)


 紗月はぼんやりとした意識のまま、ゆっくりと周囲を見渡した。


 病院の中庭——。


(……ホンマ……なんやったんやろ……?)


 ぼんやりとした頭の中に、さっきまで見ていた夢の感触が残っている。


 鮮明すぎる夢——。


 自分やと分かる感覚——。


 でも、そこに確かに清雅がいた。


「……なんで、清雅やったん……?」


「紗月お姉ちゃん!」


 莉乃の声が耳に飛び込んできた。


「紗月お姉ちゃん、大丈夫?」


——その瞬間、現実が一気に押し寄せる。


「莉乃……? それに奈々ちゃんも……」


 紗月は息を呑み、焦るように二人の姿をじっと見つめた。


(怪我……してへんよな……?)


 傷の痕も、血もない。


 どこか痛そうにしてる様子もない。


——二人とも、まったくの無傷だった。


「……二人とも、大丈夫なん?」


 恐る恐る問いかけると——


「うん! 全然平気!」


 莉乃は無邪気に笑い、奈々も静かに頷いた。


「……奈々ちゃんも無事やったんな」


「……清雅さんが、直してくれた」


「……えっ?」


「……奈々ちゃん、清雅のこと……知っとったん?」


 奈々はこくりと頷く。


「前に、話してるの聞いた」


「……そっか……」


 奈々ちゃんが知ってた……?


 それには、紗月も驚きだった。


「それより、紗月お姉ちゃん!」


 莉乃が、ぱっと顔を輝かせる。


「めっちゃくちゃすごかったよ! みんな紗月お姉ちゃんが倒したんだから!」


「……え?」


 紗月は改めて、周りを見渡す。


 病院の敷地内。


 知らん大人たちが何人かおるけど、場はもう落ち着いてるみたいやった。


 戦いの気配も感じない。


「……うちが……?」


——その時。


 頭の奥で、気まずそうな声が響く。


(さ、紗月……悪いけど……また、身体使わせてもらっちゃった……)


「……また……勝手に……!」


 勝手に身体を使われるなんて、普通に考えたら許せない。


 けど——


 夢のことが頭から離れなかった。


(……なんで、あんな夢……?)


 清雅がずっと一緒にいた。


(あの夢は——本当にただの夢なんやろか……?)


 怒りたい気持ちはあるのに、どうしてか口をつぐんでしまう。


——それに。


 莉乃や奈々ちゃん、そしてうちを助けてくれた。


 みんな無事で、こうして笑ってる。


「……まあ……今回は、勘弁したる……!」


 清雅が、少し気まずそうに笑う気配がした。


 紗月は、ゆっくりと目を閉じ。


 そして、ぎこちなく——


「……ありがとう……清雅……」


 その直後——。


(まぁ、紗月が困ってれば、いつでも助けてあげるよ)


——その瞬間、紗月の思考が止まった。


(……え?)


 その響き。


 ——夢で、確かに聞いた。


 いや、夢の中だけじゃない。


 もっとずっと前、昔にも——。


 頭の奥がぐわんと揺れる感覚。


 遠い記憶の断片が、急激に鮮明になっていく。


(……うち、知ってる……この言葉……)


 光昭様、清雅——。


 お祖父様に怒られて、ふてくされた顔の清雅。


 笑いながら、からかうように言った自分。


「ふふ、変な顔……私も清雅のことは信頼してるわ……」


「な、なんだよ。急に変なこと言うなよ」


「まぁ、姫さんが困ってれば、いつでも助けに行ってやるよ」


「ありがとう……清雅……」


 夢の中でのやりとりが、現実の言葉とぴたりと重なった。


「……っ」


 言葉にならない感情が溢れ出し、気づけば——


——ぽろり。


「……あれ……?」


 自分でも、何が起こったのか分からない。


 涙の意味が分からずに、ただ、込み上げる感情が止まらなかった。


「……紗月?……え、ちょ……なんで泣いてんの?」


 泣くつもりなんてなかったけど、溢れてくる涙は止まらない。


(え、どっか痛いの? もしかして、どっか怪我してる?)


(違う……そうやない。けど、それをうまく言葉にできひん)


(もしかして……うちが、子供の頃から、ずっと……鏡の中から見守ってくれとったん?)


(えっと……ごめん? いや、ほんとに、どっか痛い?)


 紗月は涙を拭おうとするが、すぐにまた次の涙がこぼれる。


 その時、ふと気がついた。


——空が、明るくなってきてる。


 いつの間にか、東の空に光が差し始めていた。


 涙の滲む向こう、陽光が差し込み——


 涙の流れた頬を、そっと撫でた。


「……もう、朝やな……」


 ぽつりと呟いたその言葉は、朝焼けの空へ溶けていった。



『京都動乱編』 完

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