第21話 酒場
そうして簡単な買い出しも終えて、私が連れてきてもらったのは酒場だ。一番イグニスが出入りしている場所に行きたいとお願いした。
王宮の護衛仲間がいつも利用していて、安全な場所だという。イグニスもオフの時にたまに寄るとか。
そう……ここはオフの場所。見たり聞いたりしたことを外に出さないのは暗黙のルールらしい。実際、他の貴族の護衛やらなんやら知った顔があるけど、チラリとこちらを見てからあえて知らないふりをしてくれている。
「もう一度確認しますけど、酒は飲んだことがあるんですよね」
「ええ。ほんの少し前、十八歳になった時に多少は飲んでおいた方がいいと先輩に詰所で飲まされたわ」
「……仕事場で何やってるんですかね」
「私はオフだったもの。他の皆は幼い頃から嗜んでるみたいね」
「毒も酒も耐性があった方がいいので鍛えられるんですよ」
「……それで死んだらどうするのよ」
「どうもしない。その人の寿命だったってことですよ。私たちは使い捨てだ。あなたとは違う」
またそれね。
「カクテルにします?」
「ビールにするわ。ワインしか飲んだことがないの」
「それならこのオレンジビールはどうですか。オレンジとマンダリンとブラッドオレンジの三種のオレンジビールです。もしくは、爽やかな酸味が特徴のさくらんぼビールもお勧めですね」
「お勧めって……女性と来たりするの」
「なんでわざわざ。来るわけがないですよ、面倒くさい」
「そう……。なら、その二種類頼んで」
「はい。つまみも適当に頼んでおきますね」
慣れているわね。
そういえば、夜にイグニスがいない時もある。任務があるのかなと思ったけど、こっそりここに来る日もあったのかもしれない。
オフの日に関して、互いに干渉することはないしね。
「では乾杯しますか」
「イグニスはウォッカなのね」
「何を飲んでも酔わないですけどね。純度の高いウォッカなら多少は。あなたは飲んだら駄目ですよ」
「そんなに私に気を遣わないで」
「遣いますよ。はい、乾杯しましょう」
高いグラスではないので割れない。乾杯で初めてグラスとグラスをカンと合わせたかもしれない。
「ねぇ、ここにはよく来るわけ?」
「たまにですよ」
「いつ来てるの? 夜?」
「適当です」
そういえば、私とイグニスが同時にオフで部屋で一緒に過ごしたことが一度もない。夜寝る時にしか一緒にならない。
「もしかして私を避けたい時?」
「避けてませんよ」
ソーセージもピザケーゼもシュニッツェルも美味しい。オレンジビールも喉越しがいい。
「今までなぜか気づかなかったわ。そういえば避けられているわね、私」
「避けていないと言ってるでしょう」
「なんで避けるのよ」
「避けてません。いつも一緒に寝ているでしょう」
な……!
ここ、同業者がいっぱいいるのに!
今、一瞬視線が集まったわよ!
「に、任務みたいなものでしょう……」
実際今もプライベート訓練はされている。殺気にはもう飛び起きられるので、気配も殺気も消してもらいながら彼が武器を手に持った瞬間に起きる訓練だ。
私的特訓のために一緒に寝起きしていると皆に知られていたのは前のループの時。今は知っている人はほとんどいない。
「そうですよね、あなたは任務のために誰とでも寝られる」
「あんたね……! 任務のために夜に潜むことができるってことでしょうが」
「そうですね。任務で誰かを守るために夜、じっとしておくことはできる」
「そうよ」
ミセル様と同じ部屋で寝ていたという噂はあの時広まったものの、護衛していただけだろうと今は認識されている。学園で、私の鍛錬場でのアレを見た貴族たちがそう解釈したようだ。訳知り顔で吹聴しているらしい。ナイフも戻ってきた。私の実力として、ナイフの穴はそのままらしい。
きな臭い噂がある時は実際護衛体制も強化されるし、その一種だと思われたようだ。
「どうして貴族なのに、あんなに忠誠を誓えるんですか」
しゃべりながらもバカスカ飲むわね。全然顔色が変わらないけど。
うーん、今度はどれを飲もうかな。
「貴族なんて線引きはいいかげんにやめて」
「貴族ですから。イチゴのビアカクテルはいかがです」
「なら、それで。本当に嫌なの。仲間外れにされている気分よ」
「線引きはしますよ。あなたが護衛職についたことを理由に家から勘当されるのを待ってる奴だっていますよ。線引きしておかないと、変なのに狙われます」
「な、なによ、変なのって……」
そもそもこんな変わり種、狙う奴なんているとは思えない。
「イグニス侍従長ってば〜、なにさっきから喧嘩しちゃってるんですか〜」
うわ。出来上がってる知り合いが……。
顔真っ赤じゃない。酒に強いんじゃなかったの、護衛は。知り合いの貴族の護衛の一人だ。夜会の警備中にもよく見る。
「うるさいですね。近寄らないでくださいよ」
「ナタリー主任、飲んでます〜?」
「飲んでるわよ」
鬱陶しいわね。
「ナタリー主任、実は大人気ですよ〜。ほらぁ、綺麗で可愛い令嬢ちゃんがさぁ、一生懸命ご主人様に尽くすってもう男にはたまらないって言うかさぁって、いてててて!」
私の肩に手を回した瞬間に、イグニスに腕をひねられたわね。
「どこかに行ってください。とにかくナタリー、実はこんなのがいっぱいいるんですよ」
「そ、そう……」
武器を振り回す令嬢の何がいいのか分からないけど。
「痛いですって、もう。ナタリー主任と男の侍従が任務で一緒に行動できないようにイグニス侍従長とミセル様が結託していると、もっぱらの噂ですよ〜。そこんとこどうなんです〜?」
「もう一回、ひねられたいです?」
「ナタリー主任、今度俺とも酒を一緒にって、いてててて!」
「酔ってないでしょう、あなた。酔ったふりをしてナタリーに触らないでください」
酔っていないのか。
顔を赤くする技術もあるのかな。
「も〜、分かりましたよ。ナタリー主任はいつもピリピリした雰囲気をまとっているので話しかけにくいんですが、酔っていると少し違いますね」
「そう?」
「もっと話したいって男連中みんな思ってますよ。たまには話しかけていいですか?」
「駄目です。彼女は侯爵令嬢ですよ。おいそれと近づかないでください」
「同業者じゃないですか〜」
「駄目です」
全然男の侍従と打ち解けられないと思ったらそんな理由があったのか。
いや、私の性格によるところが大きいだろうけど。
「ミセル様の采配だったのね……」
「ナタリー主任の忠誠心も元からの護衛に負けず劣らずらしいですね〜」
「……私の血の一滴まで全部ミセル様のものよ。あの方のために生きて死ぬの」
それなら、ループも怖くない。たとえもう一度ループしたところで、きっと同じように信じてもらえる。
「あ〜、やっぱり噂通りですね〜」
「……でも、今は私の恋人ですよ」
「は?」
「私の恋人です。彼女は立派な護衛ですが私の恋人です。もう行きますよ、ナタリー」
「え、ええ」
あの人、呆然としちゃってるけどいいのかな。それに、どこに行くのよ……。
恋人呼びはなんだろう。ミセル様がパルフィにそう言っていたし、公言しておくべきことなのかしら。
分からないまま、もうすっかり夜になった王都の街を手を繋がれたまま足早に連れていかれた。
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