「失敗は見えない」
「では、霊がこれらの怪異を起こしていると、ミズノさんはそう仰るわけですね」
茶色のセーターを着て、机を挟んで正面に座るミズノにカナエは聞いた。
「ええ、別の方に視てもらったときに、その方に言われまして、私は主人を亡くしてから、誰もいないはずの部屋から物音がしたり、無言電話が繰り返し来たりするものですから、やはり何か、主人が未練を残していたのではないかと思うのです」
「では、ミズノさんとしては主人の霊がこの家に怪異を起こすと」
「ええ」
「はい、全て分かりました」
カナエはそう言うと、床に置いていたバッグから、紙を人の形に切り抜いた人形を取り出した。そして、10センチほどの赤い糸を、その人形の首に当たる部分に巻き付け、糸の両端を持ち、ちょうど人形が首を赤い糸で吊っているように持ち上げた。
「こちらを持っていただけますか」
とカナエは言った。
ミズノはやや疑いつつも、カナエの作業を見守ることにし、赤い糸で吊られた人形を糸の両端を持って、吊り上げていた。
カナエは次にバッグから祝詞が書かれた紙を机の上に置き、ミズノに指示をした。
「ミズノさん。今からこの人形にマッチで火をつけます。火をつけて、人形の灰が全てこの祝詞の書いた紙の上に落ちれば、除霊は完了します。赤い糸と祝詞の紙は燃えませんので、安心してください。必ずこの赤い糸を持ち続けてください」
「この人形は主人なのですか」
ミズノは愛した主人を燃やすのかと思い、その行為に嫌悪感を抱いた。しかし、そのことは次のカナエの言葉で解消された。
「いえ、こちらは主人を形どったものではありません。この人形には式と呼ばれる私の使いを宿しています。その式がご主人を冥土へ導くことになっています。式は人の形をしていないのですが、依り代が人形であれば、ご主人も安心できると思いまして、この度、人形にさせていただきました」
「はあ、そうですか。少しほっとしました」
「それはなによりです。では、除霊を始めさせていただきます」
「はい」
ミズノは安心した穏やかな声でそう言うと、マッチで火を起こそうとしているカナエの方へと人形を差し出した。
ザガッ、ザガッ、 シュウウウ。
マッチが音を立てて火をつけた。カナエは、その火をミズノが差し出す人形の足にあたる部分に持ってきた。
火は人形に音もなく燃え移り、ゆっくりと人形の頭部へと向けて燃えていく。
人形がゆっくりと燃えていくと同時に、祝詞の書かれた紙の上に、灰となって静かに落ちていく。
ミズノはその様子をただ静かに、じいっと見つめ続けていた。
火が赤い糸で結ばれた首元へと達すると、支えをなくした頭部が火をつけたまま、ぽとりと落ちる。
祝詞の紙は燃えること無く、ただ人形の頭部のみが、今まで落ちてきた人形の灰の上で、ゆらゆらと燃えていた。
しゅう、と音がなり、頭部が燃え尽きる。白い煙が線香の煙のように1本、まっすぐに立ちのぼっていた。
一部始終を見届けたミズノは、カナエの顔を見た。カナエは口を真一文字に閉じ、目も閉じていた。
カナエにミズノが話しかけようとすると、先にカナエが口を開いた。
「全て良し。式にそう連絡されました」
「では、もうこれで怪異に悩まされることはないということでしょうか」
「はい、そうです。安心して生活できますよ」
ミズノは気になって聞いた。
「式がお連れになった霊は、やはり主人だったのですか」
カナエは後片付けしていた机から顔を上げ、ミズノを見つめ、2、3度口をつまらせてから、ミズノに話した。
「式は、人をお連れした、とだけ連絡してきましたので、どなたかは分かりません。けれど、ここを離れることに少々渋っていたとのことですから、もしかするとご主人だったのかもしれません」
ミズノはその言葉を聞き、机に肘を置き、顔を手で覆って、静かに泣いた。
カナエはそれを優しく見つめていた。
数十分ほどして、カナエが切り出した。
「では、そろそろ失礼させていただきます」
まだ涙が止んでないミズノは、無言で頷き、立ち去るカナエに小さな声で、ありがとうございます、と言った。
カナエはリビングから廊下に入って、まっすぐに玄関へと向かった。黒いローファーを履いて、ドアノブを回して、扉を開ける。
玄関の前には60代ほどの男がジャージ姿で、ミズノの部屋の前に立っていた。
古い木造建てのアパートに住む男、ミズノは自室である204号室から出てきたカナエに酒やけした声で聞いた。
「霊媒師さんよ、家のカミさんは成仏出来
たかい。前にも言ったが、怪異が無くならなきゃ料金は支払わないからな」
カナエは深くため息をして、ミズノ・イチロウに言った。
「ええ、たしかに成仏されました。あなたの奥様であるミズノ・ヨシエさんは、たしかに成仏しました」
「そうかい、やっとこれで静かに寝られるってもんだ。アンタとは大家さんを通して知り合ったからな。お金も大家さん経由で支払う。それでいいか」
「ええ、そちらのやり方で結構です」
んじゃ、とイチロウは言い、204号室に入っていった。
カナエは204号室の扉を一瞥すると、1階の地上へと通ずる階段を降りていった。
アパートの敷地の入口側にある管理人室へと向かい、呼び鈴を鳴らす。はい、と通話口から声がしたので、カナエです、全て終わりました、と言った。
扉のカギが外される音がして、中から40代くらいの女性があらわれた。
「どうでしたか」
管理人のキザキがカナエに聞く。
「ミズノ・ヨシエさんは成仏できましたが、ミズノ・イチロウさんのほうは、全くダメですね。まだ生活においての違和感が少ないからか、自分自身が亡くなっているという意識を持っていないようです」
カナエは残念そうにキザキに伝えた。申し訳ありません、とカナエは付け加えた。
「いえいえ、カナエさんでダメでしたら、仕方ないと諦められます。今回はありがとうございました」
「いえ、こちらこそお役に立てず、申し訳ありません」
――数ヶ月前
「事故物件になりかけている、ですか……」
カナエはファミレスで4人がけのテーブルにキザキを右斜め前に見ながら言った。
「そうなんです。そこでかの有名なМ神社の正統な後継者であり、霊能力者であるカナエさんのチカラをお借りしたいんです」
カナエの正面に座る男、キザキ荘の204号室の住人、オカザキは言った。声には必死さが感じられた。
「私の住んでいる部屋が、事故物件であるとは、キザキさんからは聞いてはいませんでした。だって、部屋の中で何かあったわけじゃないですからね」
「けれど、前入居者は今でも自分の家に戻ってくる……」
「そうです。キザキさんに相談したところ、ミズノという夫妻がここに以前は住んでいたんです。けれど、その2人は私が入居する1年以上前に交通事故で亡くなっているんです。キザキさんによれば、長年ここを居宅としていたミズノ夫妻ですから、まだ生きていると思い、帰って来るのではないか、ということです」
じっと黙って聞いていたキザキが口を開く。
「今回の件ですが、周囲に事故物件と言われる前に、なんとかしたいんです」
カナエは2人の話を聞き、除霊を了承した。
人は不思議なものである。
目に見えるものばかり重視するせいか、見えないもの、見たくないものに対してはあまりにも鈍感である。今回のように目に見える異変が起きてから、ことの重大さを知る。
カナエはそのことを人一倍理解していた。
だから、今回、М神社が封印を誤って解いてしまったことによる不始末も、見えない彼らには関係ないことだと、カナエは思っていた。
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