第57話
私はカウンター席でコーヒーを飲みながら、こっそりマスターの顔を盗み見る。
穏やかにコップを拭いているマスターは、いつもと様子が変わらない。
この人が旦那様か……。
そんな将来なんて、実感が湧かない。
結婚とか、どんな感じなんだろう?
夫婦で喫茶店経営とかして、今まで通りお客さんを幸せにして。
そこまではわかるけど、それ以上がわからない。
マスターが穏やかな口調で告げる。
「そんなに悩まないで。
結婚しなきゃいけないって決めつけないでね」
――うわっ! そうだ、マスターは心が読めるんだった!
マスターがクスクスと笑みをこぼしながら告げる。
「ごめんね、隠す気が感じられなかったから。
でも僕と結婚することだけが
大人になったら変わっていく。
それは人間なら、当たり前のことだよ」
「マスターは
どこか辛そうな微笑みでマスターが応える。
「もちろん寂しいよ?
だけど
「正直なところを聞かせて、マスター。
マスターが困ったように微笑んだ。
「それは内緒。言わない方が良いと思うんだ」
「マスターって神様でしょ?
歳を取ったらどうなるの?」
マスターが吹き終わったコップを片付けながら応える。
「僕の姿が変わることはないよ。
ずっと昔から、この姿のままだからね」
そっか、やっぱりマスターは一緒に歳を取ってくれないのか。
そりゃあ神様だもん、歳なんて取らないよね。
私だけが年老いていくのか。
それはなんだか、ちょっと寂しい気がした。
マスターが自分のコーヒーに口を付けながら告げる。
「だから、無理に自分の将来を決めないで。
神と結婚するのは、神と添い遂げてもいいと思える巫女だけでいい。
そうじゃなければ、人間社会で普通の人生を歩んだ方が幸せになれるよ」
私はカップを握りしめながら尋ねる。
「そう、なのかな。
この喫茶店で働き続ける未来より、そっちの方が幸せ?
大学を出て、就職して、普通の人と結婚した方が幸せなのかな?」
「僕と結婚をすると、どうしても神様と人間の違いを思い知ることになるからね。
それを覚悟できないなら、人間と結婚する道の方がいいんじゃないかな」
「あのさー、今どき結婚できる保証なんてないんだよー?
あとから『あのとき、マスターと結婚してれば!』なんて後悔しても遅いんだから。
いいじゃん、若年結婚だって。
マスターなら、
「これだけのイケメンが、ずっとイケメンのままなのよ?
それはむしろお得じゃない?
マスターなら浮気なんてしないだろうし、一生安泰なのよ?」
私はうつむいて応える。
「それは、そんな気がするけどさ。
だからって結婚とか、出産とか。
まだ高一なのに、決められる訳ないじゃん」
「だから孝弘さんが、一生懸命走り回ってるじゃない。
それまでに心を決めちゃいなさいよ」
マスターが静かな声で告げる。
「人間はいつまでも同じではいられない。
特に子供で居られる時間は、あっという間に過ぎてしまう。
この場所はそんな『子供の時間』に許された特別な場所。
そう思って忘れてしまうのも、ひとつの道だからね」
……私は、どうしたいんだろう。
ここはネバーランドみたいな、子供だけの世界なのかな。
やっぱり就職した方が、いいんだろうか。
私は悩みながら、手の中でカップを揺らしていた。
****
カランコロンとドアベルが鳴って、孝弘さんが姿を見せる。
「お、いたいた。
ちょっとみんなと確認しておこうと思うんだけど、いいか?」
私たちがきょとんとしていると、孝弘さんがカウンター席に座る。
鞄から紙を取り出して、カウンターに置いた。
「クソ爺がこの辺りの古文書を探し尽くして、ようやく探し当てたページだ」
神を覗き込むと、古い本のコピーみたいだった。
何が書いてあるかはさっぱり読めない。
「なんて書いてあるの?」
「この辺りにひとつだけ竜神伝説があってな。
悪さをしていた竜がいたらしい。
そこを弁財天に成敗されて、二人は結婚したっていうな。
それ以来、竜はこの
竜の名前まではわからなかったけど、これが
マスターがうなずいて応える。
「そう、その伝説が
よくそんな本が残っていたね。
江戸時代くらいで、僕の信仰は失われたんだけど」
私は思わず声を上げる。
「マスターって、
「いや、そういう訳じゃないんだけど。
伝説がそんな風に語られるようになったのは確かだね。
だから僕と
伝説でも、
私が口を曲げていると、マスターが私に微笑んだ。
「ただの民間伝承だから、気にしたら駄目だよ。
最初は結婚なんて話はなかったんだけど。
弁財天は人気だから、地元の竜とくっつけたかったのかな」
――あ、もしかして?!
「
マスターが困ったように微笑んだ。
「彼女が僕に執着するのは、それが大きいんじゃないかな」
知られざる! マスターと
ぐぬぬ、とこぶしを握っていると、
「どうするのー? 放っておくと、正妻の座を奪われるよ?」
「奪われないもん!」
「じゃあ、結婚する気になった?」
「それは?! まだ、決まらないけど……」
孝弘さんが私の頭にポンと手を置いた。
「まぁそうあわてるな。
少なくとも高校在学中は俺が持たせてやる。
進路を決めるのは、卒業後でもいいだろ」
私はため息をつきながら告げる。
「ちょっと前は中学生で、大人の世界なんて遠くに感じてたのに。
高校生になったら、あっという間に大人が近づいてくるんだね」
「俺の時もそうだったなぁ。
高校生で居られる時間なんて、あっという間だ。
大学に入っても、目的を探してるうちに卒業しちまった。
今を大切に生きとけよ」
やっぱりそうなのか……。
私は将来、どうしたいんだろう?
マスターが出してくれたケーキを食べながら、自分の心を見つめ続けた。
****
カランコロンとドアベルが鳴り、若い女性が姿を見せる。
私はエントランスに駆け寄って声を上げる。
「いらっしゃ――あれ? 恵さん?」
金髪の女性――恵さんがニコリと微笑んだ。
「美味しいコーヒー、頂いても良いかしら」
「はい! お席にご案内しますね!」
恵さんが注文したブレンドをテーブルに届けるついでに、尋ねてみる。
「半妖半人って聞いたんですけど、ご両親はどういう関係だったんですか?」
恵さんはコーヒーを一口飲んでから、私に応える。
「私の場合、母が『あやかし』混じりの人間で、父が人間だったの。
学生結婚だったらしいけど、いいわよね。そういう相手が居るのって」
私はおずおずと尋ねる。
「人間と『あやかし』が結婚して、困ることとかなかったんですか?」
恵さんがクスリと笑みをこぼした。
「そりゃあもう、あったらしいわよ?
私が赤ん坊の頃は、泣くだけで影響が出たって聞いたわ。
小学校で歌う時も、歌う振りをしたり。
やっぱりそれなりに苦労はあるわね」
「それで後悔とか、しなかったんですかね?」
「父は母にべた惚れだったから、そういうことはなかったみたい。
今も仲の良い夫婦でいるわよ?」
そっか、『あやかし』と結婚しても幸せにはなれるのか。
じゃあ神様と結婚しても、幸せにはなれそうだな。
恵さんが私に微笑んで尋ねる。
「それがどうしたの?」
「いえ! ちょっと個人的な事情で悩んでまして!
ごめんなさい、恵さん。ごゆっくりどうぞ!」
私はあわててカウンターに戻っていった。
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