第48話

 朝のホームルーム前、早苗さなえ歩美あゆみが私の机の前に駆け込んできた。


「それで?! どうなったの!」


 早苗さなえに続いて、歩美あゆみも興味津々で尋ねてくる。


「もういい加減、キスくらいはしたんでしょうね?」


 私は慌てて声を上げる。


「するわけないでしょ?!

 私を何歳だと思ってるの?!」


 早苗さなえが明らかにテンションを下げて私に告げる。


「十五歳でデートしておいてキスもしないとか、どんだけ奥手なの?」


 歩美あゆみはため息交じりで告げる。


朝陽あさひだもの。お子様だからね」


 ――二人までお子様扱いして!


「十五歳の健全デートが、そんなことになるわけないでしょ!」


 歩美あゆみが私の頬を指先でつつきながら告げる。


「デートの後だからかしら。

 肌の調子がいつもより良さそうね」


「――これは! 化粧水を昨日の夜につけたからだよ!」


 早苗さなえが目を見開いて驚いていた。


「うっそ! 朝陽あさひがスキンケアしたの?!」


「……しちゃ悪いの?」


 歩美あゆみがクスリと笑う。


「いい傾向じゃない?

 今から少しずつ、慣れておいた方がいいわ。

 そのうち放課後に化粧をすることも覚えたら?」


「余計なお世話ですー!

 ――あ、先生来たよ!」


 早苗さなえ歩美あゆみがあわてて席に戻っていく。


 そして今日も、平和な一日が始まった。





****


 放課後、学校を出ようとした私はびっくりして足が止まっていた。


 一緒に歩いていた早苗さなえ歩美あゆみが、私を見て小首をかしげる。


「どうしたの? 朝陽あさひ


 私はゆっくりと校門を指さした。


 その先に居たのは、笑顔でこちらに手を振る香織さんだった。



 お店に向かって歩く私たちの後ろを、香織さんがついてくる。


「助かったわ、あなたが見つかって。

 いくらあの喫茶店を探しても見つからなくて、困ってたのよ」


 早苗さなえが顔を寄せてきて、小声で告げる。


「どうする? あの人ついてきてるけど」


「そんなこと言われても……。

 私たちもバイトに行かないといけないし」


 マスターはスマホ持ってないし、お店には電話もない。


 助けを呼びたくても、連絡手段がない。


 歩美あゆみがため息をついてスマホを取り出し、画面をタップしていく。


 私はきょとんとしながら歩美あゆみに尋ねる。


「なにしてるの?」


「なんでもないわ。

 気休め程度の連絡よ」


 気休め? どういう意味だろう。


 なるだけバイトに遅れないように、でもゆっくりと歩いて行く。


 そろそろ喫茶店の看板が見えてくる――そう思ったところで、目の前にリムジンが止まった。


 孝弘さんが飛び降りてきて、私たちに告げる。


「――悪い、遅くなった!

 変質者に追われてるって、どこにいる奴だ?!」


 孝弘さんが辺りを見回していた。


 香織さんが心外そうに顔をしかめる。


「誰が変質者よ。私は喫茶店の客よ?」


 歩美あゆみが振り返って香織さんに告げる。


「バイトの女子高生を付け回す人は、充分に不審者よ」


「しょうがないじゃない、自力であの店に行けないんだもの。

 だったらお店への行き方を知ってる人について行くのが手っ取り早いでしょ?」


 孝弘さんが香織さんと私たちの間に割り込んで手を広げた。


「クソ爺にも連絡してある。すぐに警察官がやってくるはずだ。

 ここは俺に任せて、お前たちは先に行け」


 私たちはうなずいて、小走りでお店に向かった。


 最後に振り返ったとき、孝弘さんは香織さんと口論をしてるみたいだった。


 歩美あゆみの「ほら、行くわよ」という言葉にうなずき、私たちは『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』の扉をくぐった。





****


 私たちは服を着替える前に、マスターに全部打ち明けていた。


 マスターが深いため息をつく。


「しつこい人だね。

 あれだけやっても、まだ懲りないのか」


 私はきょとんとしながらマスターに尋ねる。


「『あれだけ』って、何をしてたんですか?」


 カウンター席に座る桜ちゃんが、ニヤニヤと私に告げる。


「昨日、ずっと朝陽あさひを追いかけてたんだよ。あの人。

 だから僕があの人を幻で惑わして、関東を引きずり回したんだけど。

 丸一日『幻』を追いかけても、まだ諦めないんだね」


「そんなすごい力を使って大丈夫なの?

 だって桜ちゃん、自分の神社から離れてるんでしょ?」


「だから昨日は、ずっと辰巳たつみに引っ付いてたでしょ。

 あれは辰巳たつみから力をもらってたんだよ。

 もしかして僕のこと、『ただデートを邪魔しに来た奴』とでも思ってた?」


 ――あの行動に、理由があったの?!


 マスターが小さく息をつく。


「桜、余計なことは言わなくていい。

 ――それより朝陽あさひ、早く着替えておいで」


 私たちはうなずいて、スタッフルームに向かった。





****


 喫茶店の制服に着替え終わった私たちがスタッフルームを出る。


 カウンターには桜ちゃんの他に、孝弘さんと浜崎のお爺さんが座って居た。


 孝弘さんが私たちに手を挙げる。


「あの変な姉ちゃんなら、警察に連れていってもらったぞ。

 少なくとも今日はもう大丈夫なはずだ」


 歩美あゆみがふぅ、と息をついた。


「ありがとう孝弘さん。

 悪いわね、急に呼び出したりして」


「気にするなよ、俺と歩美あゆみの仲じゃねーか。

 これからも気兼ねなく連絡をくれ」


「――だから! 名前を呼び捨てるな!」


 早苗さなえが笑う横で、私は歩美あゆみに尋ねる。


「いつの間に連絡先を交換してたの?」


辰霧たつぎり旅行の帰りのバスよ。

 あの時、早苗さなえと私は孝弘さんと連絡先を教え合ってたの。

 朝陽あさひは前の席でマスターといちゃいちゃしてたから、気が付かなかったのね」


「――いちゃいちゃはしてないよ?!」


 早苗さなえがニヤリと微笑んで私に告げる。


「バスの中で手をつないで眠るのは、充分いちゃついてるとおもうなー」


 私は顔を赤くしてうつむいてしまった。


 浜崎のお爺さんが楽し気な笑い声をあげた。


「ハハハ! ともかくあの人――若松といったか。

 若松さんは丁重にお帰り願う。

 それでも伊勢佐木いせざきさんを付け回すなら、対応を考えないとね」


 私は浜崎のお爺さんに尋ねてみる。


「マスターの電話って用意できないんですか?

 いざという時に連絡が取れないと困るなって、今日思ったんですが」


 浜崎のお爺さんが「ふむ」、と顎に手を当てた。


「そうだね、あった方が便利だろう。

 ここも書類上は私の店だ。

 業務用の契約で、いくつか端末を用意させよう」


「いくつか? マスターはひとりですよ?」


 浜崎のお爺さんがニヤリと笑った。


辰巳たつみの友人にも、持っていた方がいい『あやかし』がいるんじゃないかな?

 そんな人たちにも持たせられるよう、余分に用意するだけだよ」


 歩美あゆみがあっけに取られたように告げる。


「さすがお金持ちね……。

 さらっと『複数回線用意する』って言えるなんて」


「ハハハ! そんなものは大した額じゃない。

 税金対策みたいなものだよ」


 企業の偉い人の感覚って、やっぱりわからない……。


 私なんてようやく『バイト代でスマホのお金を払えるな』って喜んでるのに。


 マスターが私たちの前にコーヒーを置いて告げる。


「ともかく、疲れただろう?

 少しゆっくりしてから仕事を開始していいからね」


「はーい」


 私たちもカウンター席に座り、コーヒーを口にした。





****


 私たちはカウンター席で期末試験対策の勉強を進めていく。


 歩美あゆみがノートに向かいながら、桜ちゃんに尋ねる。


「香織さんに『幻を見せた』って、どうやったの?」


 桜ちゃんがニンマリと笑って応える。


「しょーがないなー。

 歩美あゆみは『蜃気楼』って知ってる?」


「ええ、それぐらいなら……」


 孝弘さんがポンと膝を打っていた。


「ああ、桜も竜神って話だったな。

 ってことは桜は『みずち』なのか」


 桜ちゃんが孝弘さんに拍手を送った。


「ピンポーン! だいせいかーい!

 良く知ってるね、孝弘」


 孝弘さんは得意げに鼻の下をこすっていた。


 私は孝弘さんに尋ねる。


「それが蜃気楼と、どういう関係があるんですか?」


 孝弘さんが得意げに応える。


「蜃気楼ってのは、中国で『竜が吐く息が作り出す幻』って言われていたんだ。

 その竜の名前が『みずち』だ。

 二千年くらい前、司馬遷が記した『史記』って本に記述がある。

 前漢時代の史書だな」


 歩美あゆみがあきれたように孝弘さんをにらんだ。


「なんでそういうことはやたらと詳しいのよ……」


「んー、大学では民俗学とか、神秘学とか、そういうのを勉強してたんだよ。

 ほら、身近に小金井こがねいさんっていうオカルトが居ただろ?

 だから興味がそっちに向いたんだ」


 浜崎のお爺さんが楽しそうに笑った。


「ハハハ! 悪くない頭を無駄遣いした結果だな。

 だがようやく経済学に本格的に取り組みだした。

 今からなら充分、間に合うはずだ」


「うるせー!」


 孝弘さんがそっぽを向いてすねるのを見て、私たちは笑い声をあげていた。





****


 五月下旬の中間試験が始まり、私たちはお昼で学校が終わった。


 『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』でお昼ご飯を食べていると、マスターが私たちにスマホを見せてきた。


「午前中に源三が来て、僕のスマホができたよ。

 みんなと連絡先の交換をしようか」


「――ほんとに?! しようしよう!」


 マスターに続いて、桜ちゃんもスマホを見せびらかしてきた。


「ふっふ~ん! 僕もスマホもらっちゃったもんねー!

 僕とも連絡先、交換してあげてもいいよ?」


「いいの? 桜ちゃん、私のこと嫌いだったんじゃ?」


 桜ちゃんが唇を尖らせた。


辰巳たつみの心が朝陽あさひにあるってのは、充分わかったし。

 あと百年ぐらいなら我慢してあげるよ。

 朝陽あさひが居なくなったら、今度こそ辰巳たつみの隣は僕のものだからね!」


 ……そっか、そうだよね。


 やっぱり人間は先に死んじゃう。


 それは神様たちにとっても、当たり前で自然なこと。


 私が肩を落としてると、桜ちゃんが私にスマホを差し出した。


「どうしたの? 朝陽あさひ

 連絡先交換、しないの?」


「――ううん、なんでもない! 交換しよう!」


 私たちが連絡先を交換していると、続々と来店者が訪れた。


「よぉ! 辰巳たつみ。俺たちにもスマホをくれるってホントか?」


「――秀一さん?! それに、財部たからべさんに薬師寺やくしじさんまで?!」


 財部たからべさんがニコリと微笑んだ。


「そろそろ月末だし、ついでに『補充デート』しようかと思ったの。

 あなたたちとも連絡先、交換してあげるわね」


 薬師寺やくしじさんも柔らかく微笑んでいる。


「私も今月は二回、補充してもらえる約束だしね。

 綾子あやこのあと、私の番にしてもらおうかなって」


 私はマスターに振り向いて告げる。


「一度に補充して大丈夫なんですか?」


 マスターがニコリと微笑んだ。


「最近は黒字続きだからね。問題ないよ。

 それより君たちは、試験勉強を進めなさい」


「はーい」


 秀一さんたちとも連絡先を交換したあと、私たちは時間が来るまで黙々と勉強した。


 午後四時になると、お店の制服に着替えてバイトの開始だ。





 ここは『宝石のような時間』を届ける喫茶店。


 優しい『あやかし』仲間と、お客さんたちが心を触れ合わせてくれる。


 意地悪なところもあるけれど、みんな優しくていい人ばかりだ。


 今日もカランコロンとドアベルが鳴る。


 エントランスに駆け込んで、とびきりの笑顔で私は応える。


「いらっしゃいませ!

 『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』にようこそ!」

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