第39話

 今日の午前は、葛城湖を遊覧船で見て回ることになっている。


 三台のリムジンで船着き場まで移動して、それから乗船だ。


 浜崎のお爺さんと秘書さんが一台目のリムジンに。


 保護者が二台目のリムジンに。


 私たちが三台目のリムジンに乗りこんだ。


 運転手を入れて六人乗りなので、もちろん秀一さんが乗るスペースはない。


 はず、だったんだけど。


 身軽にリムジンの屋根の上に飛び乗った秀一さんを見て、私は何も言えなくなってしまった。


 歩美あゆみがおずおずと秀一さんに尋ねる。


「あの……それで移動するの?」


「そうだが?

 なに、他の人間に俺は認識されん。

 機械で撮影されることもないから、問題はない」


 早苗さなえが「えっ?!」と言いながらスマホを確認していた。


「……あれ? でも写真には残ってるよ?」


 私はあわてて早苗さなえに告げる。


「消してね?! 見られると困るから!」


「大丈夫だよ。ロックしておくし」


「そういう問題じゃないから!」


 秀一さんがクスクスと笑った。


「スマホには俺と辰巳たつみが映り込むよう、調整しておいた。

 それがあれば、辰巳たつみをもっとからかえるのだろう?」


 マスターはむすっとしながらリムジンに乗りこんでいく。


朝陽あさひさん、みんな、早く乗って。

 秀一の言うことなんて気にしないで」


「はーい」


 車は静かに、船着き場に向かって走り出した。





****


 遊覧船に乗船すると、みんなでデッキに向かう。


 大人たちは、遠くで私たちを見守るように固まって話をしているようだ。


 少しずつ遠くなる陸地を見ながら、風を感じて体を震わせた。


「やっぱりこの季節は寒いねー」


 秀一さんがニヤリと笑う。


「なんだ? 朝のぬくもりがまた欲しいなら、いくらでも抱き着くぞ?」


「言ってないっつーの!」


 それにどちらかというと、秀一さんよりマスターの体温の方が――


 そこまで思って、顔が火照ってうつむいてしまった。


 どんなに追い払っても、目の前にマスターの胸元がある映像が頭から離れない。


 あんなに引っ付かれたのは初めてだし、マスターの吐息が聞こえるほど抱き締められるとか、もうないだろうし。


 気まずくなって、マスターから半歩離れた。


 その隙間に歩美あゆみがスルッと入り込んでくる。


朝陽あさひがいらないなら、マスターは私がもらってもいいよね?」


「――それはダメ!」


 歩美あゆみにすがりついた瞬間、みんなの視線を感じて私は両手で顔を隠した。


 クスクスと楽しそうな歩美あゆみの声が聞こえる。


「意地を張らないで、素直になればいいじゃない」


「そういうんじゃないから!」


 だってマスターは神様だし。


 誰かが独占していい人じゃないし。


 ただの、バイト先の店長だし……。


 思えば思うほど、なんだかドツボにはまっていく気がする。


 顔を火照らせている私に、秀一さんが楽し気に告げる。


「構わんだろう、別に。

 古来、神と婚姻する巫女もいた。

 現代でそれを禁止する理由など、なにもないからな」


 孝弘さんの声が聞こえる。


「それ、だいぶ古い時代の話じゃないのか?

 少なくとも神道じゃ珍しい形式のはずだぜ?」


「俺たちは神道の神じゃないからな。

 土着神の類だから、神道の常識は通用せん。

 影響は受けてるが、本質は変わらんよ」


 私は指の隙間から秀一さんを覗き見て尋ねる。


「土着神ってなーに?」


「各地域で発生した神や、日本に辿り着いて神格を持った神のことだ。

 俺や辰巳たつみのような竜神はほとんどそうだな。

 俺は東南アジア経由で日本にやってきた。

 辰巳たつみは中国経由だ。

 流れ着いた先で地元の神となり、今に至る」


「土着神と結婚した巫女は居るの?」


 秀一さんがニヤリと笑った。


「もちろんいるとも。

 むしろ神道の巫女より、土着神の方がそういった巫女は多かった。

 生涯を神にささげ、神に尽くして人生を終える巫女。

 それが『神と婚姻した巫女』だ。

 俺がかつて欲していた生贄も、それの類例のようなものだな」


 私はちらりとマスターを盗み見た。


「……マスターも、結婚した巫女がいたりした?」


 マスターは寂し気な微笑みでうなずいた。


「昔、一人だけいたよ。

 今の僕の名前は、彼女につけてもらった名前だ」


「……なんていう人?」


「それは朝陽あさひが知る必要がないことだよ。

 知ったところで意味がない――違うかい?」


 それは、そうなんだけど。


 秀一さんが、私の顔の前に顔を近づけてきた。


辰巳たつみの『二人目の巫女』なんてやめておけ。

 それより俺の『一人目の巫女』なんてどうだ?

 悪いようにはせんぞ?」


「お断りです!」


 プイッと顔を背けると、秀一さんが楽しそうに笑っていた。





****


 遊覧船が反対側の岸に辿り着く。


 そこで降りて、先回りしていたリムジンに乗りこんで近くのレストランに移動した。


 洋食メニューをみんなで頼み、ハンバーグやカレーなど、思い思いの料理を食べていく。


 歩美あゆみがふぅ、とため息をついた。


「美味しいけど、間違いなく太るわね……」


 早苗さなえがスパゲティを食べながら応える。


「帰ったら早朝ジョギングでも始める?」


「起きられる気がしないわ……」


 私はパクパクと止まらないフォークを突きさしてハンバーグを頬張っていく。


 そんな私を見て、歩美あゆみがあっけに取られていた。


朝陽あさひ、カロリーが怖くないの?」


「んー、なんでかわからないけど、すっごくお腹が減るんだよね」


 秀一さんがクスリと笑った。


「それはすまなかった。

 俺が居るせいだな、それは」


 私は小首をかしげて尋ねる。


「どういうこと?」


辰巳たつみだけじゃなく、俺の姿や声も朝陽あさひが中継している。

 朝陽あさひかんなぎとしての力が、俺を認識させてるんだ。

 その分、お前は消耗してるのさ」


 早苗さなえがゴクリと喉を鳴らした。


「それってもしかして、秀一さんとマスターが一緒にいるだけで、朝陽あさひはダイエットができるの?」


「ま、そういうことだろうな」


 歩美あゆみがダン、と机に拳を叩きつけていた。


「ずるくない?! それ!」


 私は思わず声を出す。


「いやー、ずるいって言われても……」


 私が自分で何かやってる訳じゃないしなー?


「こんなイケメン二人に取り合いされた上に、自動でダイエット?! 許されざる事態よ!」


「いや、取り合いして欲しい訳じゃないんだけど……」


 むしろ片方は、のしを付けてお返ししたい。


 秀一さんが楽し気に笑った。


「ハハハ! そんなつれないことを考えるなよ!」


 マスターが深いため息をついた。


「秀一、お前いつまで一緒にいる気だ」


「ん? そりゃあお前、朝陽あさひが俺の巫女になるまでだ」


 マスターが秀一さんを睨み付け、秀一さんも不敵な笑みで応えていた。


 ピリピリし始める空気の中、私が一言告げる。


「仲良くできないなら、私はもう帰るって言ったよね」


 コロッと秀一さんが猫なで声を出してくる。


「冗談だよ、辰巳たつみはからかい甲斐があるからな」


「マスターを困らせないで。

 そこは秀一さんの悪い癖だよ?」


「なんだ? 辰巳たつみに嫁ぐ気になったのか?」


 ボッと音がしそうなほど熱くなる顔を両手で隠しながら応える。


「何の話?! 全然意味がわかんない!」


 歩美あゆみのあきれたような声が聞こえる。


「その恰好で言われても、説得力がないわよ?」


「知らないもん!」


 孝弘さんが疲れたようにため息をついた。


「ともかく、飯を食ったら水族館だ。

 そこで歩けば、少しはカロリー燃やせるだろ?

 のんびり回っていこうぜ」



 食べ終わった私たちは、徒歩で水族館まで向かうことになった。

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