第33話

 お風呂から上がって脱衣所でドライヤーを使って髪を乾かす。


 歩美あゆみが水気がとれたくらいでドライヤーを止め、荷物をまとめ始めた。


「どうしたの? 生乾きじゃない?」


「マスターが待ってるかもしれないし、部屋に戻ってからきちんと乾かせばいいのよ。

 あまりマスターを待たせたくないわ」


 あー、そうか。男の人って髪が乾くの早そうだな。


 私と早苗さなえもドライヤーを切り上げ、荷物をまとめ始めた。



 脱衣所の入り口に戻ると、マスターが外で立って待っていた。


「別にゆっくり乾かしても大丈夫だよ?」


 私はおずおずと尋ねる。


「マスター、いつから待ってたんですか?」


「んー、内緒。

 そんなこと気にする必要はないでしょ。

 ――さぁ、湯冷めする前に戻ろうか」


 私たちはうなずくと、マスターを中心にして歩き始めた。





****


 歩きながら、こっそりマスターを観察してみる。


 体からうっすら湯気が出ている私たちと違って、マスターからは湯気が出てない。


「ねぇマスター、やっぱり結構待ってたんじゃ?」


「そんなことはないよ?

 僕から湯気が出ないのは、人間じゃないからだよ。

 見た目は人間だけど、僕は汗も出ないしね」


 ほんとかなぁ……。


 といっても、問い詰めたって『どれだけ待ったか』を教えてくれる人じゃないか。


 早苗さなえが眉をひそめて辺りを見回した。


「ねぇ、なんか変じゃない?」


 歩美あゆみ早苗さなえに応える。


「何か見えたの?」


「いやだって、夜の山だよ?

 鳥の声一つ聞こえないなんて、なんかおかしいよ」


 耳を澄ましてみると、耳が痛いほどの静寂が辺りを包み込んでいた。


 歩美あゆみも不思議そうに辺りを見回している。


「虫の声も聞こえないわね。

 季節じゃないから、居ないのかしら」


 マスターが穏やかな声で告げる。


「君たちは気にしないで大丈夫。

 それより、早くコテージに戻ろう」


 なんだか私たちを急かすマスターに背中を押され、私たちは道路を渡ってコテージに入った。





****


 コテージのエントランスでマスターが告げる。


「もう朝まで外には出ないで。

 どうしても出たかったら、僕に声をかけて。一緒に行くから」


 私は胸騒ぎがして、マスターに尋ねる。


「どうしたんですか?

 何かあったんですか?」


 マスターが困ったように微笑んだ。


「大したことじゃないよ。

 ただここは『僕の領域』じゃないから、コテージの中ぐらいしか守れないってだけ。

 へたに外に出ると危ないから、絶対にやめてね」


 ――それって?!


「なにか居るんですか?! 『あやかし』なんですか?!」


「そんな『もの』だと思ってくれればいいよ。

 孝弘が帰って来たら僕が迎え入れるから、それも気にしないで。

 君たちは朝まで、ゆっくり寝ておきなさい」


 私たちは訳がわからないまま頷き、ゆっくりと階段を上って部屋に戻った。


 部屋に入る前、エントランスに振り返るとマスターはこちらを見守るように立っていた。


 なんで部屋に戻らないんだろう?


 奇妙な違和感を覚えながら、私は歩美あゆみのあとに続いて部屋に入った。





****


 ベッドに座って髪を乾かしながら、早苗さなえたちに告げる。


「ねぇ、なんかマスター変じゃない?」


 二人がドライヤーを止め、私に応える。


「ちょっとピリピリしてない?」


「なにかを警戒してるみたいだったわね」


 やっぱりそうなのかな……。


 タオルで髪を乾かしながら、ふと目が窓に向いた。


 なんだか、カーテンの向こうから誰かに見られてる気がする。


 立ち上がってカーテンの隙間から、外の様子を覗いてみた。


 バルコニーの向こう側には、ただ真っ暗な闇が広がってるだけだ。


 どれだけ目を凝らしても、その中には何も見えてこない。


 空には星が輝いているけど、今夜は月が出てないみたい。


 だけどなんだか視線を感じる。


 怖い感じはしないけど、誰が見てるんだろう?


 私は窓の鍵を開けて、バルコニーに出た。





****


 冷たい夜風が体温を奪っていく。


「うー、寒い!」


 それでも感じる視線を探し、暗闇の中に目を走らせる――いた。


 やっぱり紫の髪をした、背の高い人が暗闇の中でぽつんと立っていた。


 彼は私をずっと見つめてるみたいだ。


 ということは、この視線はあの人のものなのかな。


 ――ちょっと待って?!


 このコテージ周辺は街灯もなくて、真っ暗だ。


 下を見ても真黒な世界が広がるだけ――なのに、なんであの人が見えてるの?!


 混乱する私の目の前で、遠くに立っている背の高い人の姿が掻き消えた。


 あわてて目をこすってみたけど、もう目の前には真っ暗な世界が広がるだけ。


「なん……だったの?」


 部屋の中から、早苗さなえの「朝陽あさひー! 寒いよー!」という声が聞こえた。


 私は「ごめんごめん!」と謝りながら部屋に戻り、窓を閉めた。





****


 歩美あゆみが私に告げる。


「どうしたの? 急に外に出るなんて」


「いや、なんか『誰かに見られてる』気がして……」


 早苗さなえが「やだ、変質者?!」と声を上げた。


 私は笑いながら応える。


「あはは、そういう変なのは、マスターが追い払ってくれるよ」


 そう、『このコテージの中は安全だ』ってマスターが言ってたし。


 中にいれば大丈夫なはずだ。


 歩美あゆみ早苗さなえは、

 私たちはそれから、他愛ない会話を交わした。


 歩美あゆみがスマホを見て告げる。


「もういい時間ね。

 孝弘さんったら、まだ帰ってこないのかしら。

 私たちは先に寝ちゃいましょうか」


 歩美あゆみに続いて早苗さなえもベッドに潜り込む。


 私は二人を見ながら告げる。


「じゃあ、電気消すよー」


 パチンという音で、世界が暗闇に包まれた。


 私は手探りで自分のベッドに向かって歩き始め――トンと、誰かにぶつかった。


「あれ? 早苗さなえ? それとも歩美あゆみ? どうしたの?」


 目の前からは、どちらの声も返ってこない。


 おそるおそる手を伸ばしてみると、誰かの胸に手が当たった――男の人?!


「え?! マスター?!」


 だけど目の前からは、マスターじゃない人の声が返ってくる。


「お前が辰巳たつみの巫女か。

 この俺に挨拶もなしとは、いい度胸だ」


 思わず飛びのいて、後頭部を壁にぶつけてしまった。


「――痛?! じゃない、あなた誰?!」


 暗闇の中から声が返ってくる。


「俺は秀一だ。覚えておけ朝陽あさひ


「なんで私の名前を知ってるのよ!」


「大したことじゃない。

 それより明日の朝、迎えに来る。

 今夜はしっかり寝ておけよ」


 それっきり声が途絶え、早苗さなえ歩美あゆみの寝息が聞こえだした。


 いなく、なったの?


 おそるおそる足を進めて手探りしてみるけど、手は空を切るばかり。


 壁際に辿り着いたところで、私はため息をついた。


「――帰ったのか」


 誰だったんだろう。


 あの背の高い男の人かな。


 明日の朝って、何時ごろ?


「せめて、時間ぐらい指定しなさいよ」


 そうつぶやいた私は、手探りでベッドを探り当て、布団の中に潜り込んだ。





****


 気が付くと、私は霧が出ている森の中を歩いていた。


 これは、夢なんだろうか。


 それとも、朝になったの?


 どこか現実感のないまま、足が勝手に前に進んで行く。


 ちゃぷちゃぷという音が聞こえ始め、森が開けた先には湖が広がっていた。


 湖のそばには、紫色した長髪の、背の高い男の人。


 その人の前まで行くと、足が止まった。


 背の高い人の顔を見上げて観察してみる。


 どこかマスターに似た空気を持つ男性は、びっくりするほど綺麗な顔をしていた。


 イケメンレベルはマスターといい勝負だ。


 目の前の男性がフッと笑った。


「『辰巳たつみといい勝負』とは、失礼なことを考える奴だな」


「――その声! 夜の人?!」


「俺は『秀一』と名乗ったはずだが。

 案外、頭が悪いのか?」


 私はおずおずと男性――秀一さんに尋ねる。


「あなた、『あやかし』なの?」


 男性が肩をすくめて応える。


「そうとも言えるし、そうでないとも言える。

 『辰巳たつみの親戚』と言えば、少しは理解できるか?」


 ――マスターの親戚?! じゃあもしかして、辰霧たつぎりの竜神ってこと?!

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