第26話

 カランコロンとドアベルが鳴る。


 歩美あゆみがエントランスに走っていき「いらっしゃいませ!」と声を上げた。


 入ってきたのは――長い髪の女性、土屋さんだ。


 前来たときと違って、外見はすっかり普通のお姉さんになってる。


 長い髪も後ろに流し、笑顔があらわになっていた。


 水を滴らせていた土屋さんは、もう居ないみたい。


「すごい混雑してるのね。入れるかしら?」


「カウンター席でよろしければご案内できますよー!」


「じゃあお願い」


 マスターが健二さんに告げる。


「ごめんね健二、土屋さんをもてなさないといけないから。

 ――土屋さん、いらっしゃい!」


 マスターが小走りでカウンターの中に戻っていった。


 健二さんは呆然と土屋さんの姿を見ているみたいだ。


「体が透けてる……まさか、幽霊か」


 私は笑顔で応える。


「そうですよ? ここは幽霊もやってくるお店なんです」


「ははは……もう、なんでもありなんだな」


 健二さんは力なく笑っていた。


 浜崎のお爺さんが私に告げる。


「すまんが、ブレンドのお替りを二人分くれんか」


「はーい、今お持ちしますね!」


 私もカウンターに向かって小走りで戻っていった。





****


 カウンターから健二さんたちを見ていると、彼はどうやら土屋さんを観察してるみたいだった。


 土屋さんは紅茶とチーズケーキ、それにクッキーアソートを美味しそうに食べている。


「凄いわ、今日のクッキーはこの前よりずっと上手に焼けてる」


 マスターがニコリと微笑んだ。


「今日は格別美味しいメニューを提供できてるんですよ。

 全部、朝陽あさひさんのおかげですけどね」


 土屋さんが私を見て微笑んだ。


「あなたのおかげなの?」


 私は頬を掻きながらうなずいた。


「あはは、そうらしいですね。

 私が何かをしたわけじゃないんですけど」


 マスターが優しい笑顔で告げる。


朝陽あさひさんは充分なことをしてくれてるよ。

 僕に力を分けてくれたし、今も接客してくれてる。

 君の笑顔と明るい気持ちが、みんなを心地良くしてくれてるんだ」


 なんだか恥ずかしくなってきたな。


 私、血を抜かれてバイトで接客してるだけなんだけど。


 でもお客さんが楽しい時間を過ごせてるなら、私も幸せだ。


 照れている私に、土屋さんが優しい声で告げる。


「ありがとう朝陽あさひさん。

 あなたのおかげで、ようやく私も終わりにできそうよ。

 ――ごちそうさまマスター。今までありがとう」


 土屋さんがレジに向かい、マスターがレジカウンターに入る。


 いつものようにポンポンとキーを叩き、決済キーが押された。


 今までで一番強い『何か』が土屋さんからレジに吸い込まれ、土屋さんの姿はほとんど見えないほど薄くなっていた。


『最後にあのクッキーを食べれて、本当に良かった。

 私、あなたのことを忘れないわ。最後までね』


 土屋さんは私にそう告げると、静かにドアベルを鳴らして店を出ていった。





****


 気が付くと、カウンターにいる私のそばに健二さんが立っていた。


「なぁ、あの女性はどうなったんだ」


 私は微笑みながら応える。


「未練をすべて清算したから、地上から解放されるんですって。

 死んだ人は、そうやって代金の代わりに未練を置いて行くんです」


「成仏したってことか……。

 まったく、とんでもない店なんだな。ここは」


 私は健二さんの胸に入っているお守りを指さして告げる。


「そのお守りがあれば、いつでもこのお店に来てメニューを味わえます。

 大切なものですから、失くさないでくださいね」


 健二さんは胸ポケットに手を当ててうなずいた。


「ああ、あんな美味いコーヒーが飲めるんだ。

 決して失くしたりはしないとも」


 微笑みを交わし合うと、健二さんはテーブルに戻っていった。





****


 席に着いた健二が、再びカップに口をつける。


 芳醇な香りとコク、驚くほど甘いのに後味が爽やかに残るコーヒーを、ゆっくりと味わう。


「なぁ親父、俺はこれからどうしたらいいと思う」


 源三もコーヒーを味わいながら応える。


「今日でお前は生まれ変わった。

 それなら明日から、お前は違った生き方ができるだろう。

 お前が『人のための企業運営』ができるようになれば、儂も安心してお前に会社を譲れる。

 あとはお前の努力次第だ」


「……ここはあの朽ちた神社だって言ってたよな。

 あの神社を再建することは、可能だと思うか?」


 源三がため息をついた。


「儂や孝弘程度のかんなぎでは、再建しても維持は出来ん。

 伊勢佐木いせざきさんくらい強いかんなぎでなければ、再建は成功しないだろう。

 儂らにできるのは、老朽化を遅らせることぐらいだ」


 健二の目が、朝陽あさひと孝弘を見た。


「あの二人をくっつけるという手は?」


辰巳たつみが激怒した。

 二度と言わん方が良いだろう。

 それだけあの子は、神に愛されてるのさ」


 健二がふぅ、と小さく息をつく。


「惜しいな。あの子が孝弘に嫁げば、この店の味で商品展開が狙えたかもしれないのに」


「ククク……それでこそ健二だ。

 この場に居ても、商売につなげようと考える。

 ――だがそれでいい。

 お前はお前、健二なりに地域のためになる道を模索してみろ」


 健二はうなずいたあと、コーヒーを味わいながら飲み干した。





****


 お客さんたちが早々に帰り、店長が閉店処理を始めた。


朝陽あさひさんたちも、着替えておいで。

 駅まで送っていくから」


「はーい」


 スタッフルームに駆け込む私に、健二さんが声をかけてくる。


「君たち、歩いて駅まで帰ってるのか?」


「そうですよ?

 途中の道が暗いので、マスターが毎日送ってくれるんです」


「私たちの車で駅まで送ろうか。三人までなら乗せられる」


「あはは、ありがとうございます。

 でも神様のマスターが一緒だから、大丈夫です!」


 私たちはパタパタとスタッフルームに駆け込んだ。





****


 着替えながら、歩美あゆみが告げる。


「今日も大変だったわねー。

 もうあんなに混雑することはないかと思うと、ちょっと惜しい気がするわ」


 早苗さなえもスカートを履き替えながら応える。


「臨時ボーナスぐらい出してくれてもいいと思うんだけどね。

 ほんと、忙しくて目が回っちゃった」


 私もブラウスを着替えながら告げる。


「さすがにこんなことでボーナスなんて出ないよ。

 そんなバイト、聞いたことないし」



 学生服に着替え終わった私たちは、ロッカーを閉めてスタッフルームを出た。





****


 スタッフルームの外では、いつも通り着流し姿のマスターが待っていた。


 そのそばには浜崎のお爺さんと健二さん、孝弘さん、そして財部たからべさんが待っていた。


 健二さんが穏やかな表情で私に告げる。


「私と親父は車で帰るが、孝弘には駅まで付いて行かせる。

 いくら小金井こがねいさんが居ると言っても、浜崎家の店である以上、何もしない訳にはいかないからね」


 おや、別に大丈夫なんだけどな。


 でもここは書類上、『浜崎家のお店』だ。


 オーナーがそう言うなら、断るわけにもいかないか。


「わかりました!

 ――じゃあ孝弘さん、お願いしますね!」


 孝弘さんは何故か頬を染めてうなずいた。


「お、おう! 任せとけ!」


 マスターがクスクスと笑みをこぼす。


「張り切って転ぶなよ? 孝弘」


「だ、誰が張り切るんだよ!」


 顔を赤くする孝弘さんの額を、財部たからべさんが指で小突いた。


「あなたよ、あなた。

 本当に気を付けなさいよ?

 あなたは頭がいいけど、ちょっと抜けてるみたいだし」


 健二さんが楽しそうに笑った。


「ハハハ! 知恵の神である弁財天から『賢い』と認められたぞ?

 光栄だな、孝弘」


「うるせーよ!」


 賑やかな私たちは、集団で『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』の扉をくぐった。





****


 外に出ると、そこは神社の境内だった。


 そっか、閉店処理してたもんね。そりゃこうなるか。


 健二さんを見てみると、あわてて辺りを見回していた。


「……なるほど、こういうことなのか。

 本殿の扉が『喫茶店の扉』に置き換わってたんだな」


 マスターがニコリと微笑んで告げる。


「そういうことさ。

 あの店は神社の中にあるようなもの。

 実際には幻だから、入店している間はこの世にいないけどね」


 私は小首をかしげてマスターに尋ねる。


「それって、私たちは『あの世にいた』ってことになるんですか?」


「ちょっとちがうかな。

 『どこでもないどこか』。それがあの店のある場所だよ。

 だから色んな存在があの店を訪れることができるのさ。

 ――さぁ、早く帰ろうか。親御さんが心配するよ」


 私たちはうなずいて、マスターを先頭に歩き始めた。

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