第19話

 マスターがスッと立ち上がって浜崎のお爺さんに告げる。


「用件は以上だな? 車を出せ、源三。

 ――伊勢佐木いせざきさん、清水しみずさん、荒川あらかわさん、帰るよ」


 一呼吸で二つの声色を使うとか、マスター器用だな?


 私たちもうなずいて立ち上がった。


 浜崎のお爺ちゃんが口を開く。


「孝弘、帰りはお前が送れ。

 儂が居たのでは、辰巳たつみの怒りも鎮まらんだろう」


 浜崎さんが渋々と立ち上がった。


「何だかわかんねーけど、わかったよクソ爺。

 ――行こうぜ小金井こがねいさん」


 マスターがうなずいて、浜崎さんの後を歩きだした。


 私はマスターに背中を押されるようにしながら、座敷を立ち去った。





****


 助手席に浜崎さんが乗り、運転手さんに「潮原しおはら駅まで行ってくれ」と伝えた。


 後部座席の前列には早苗さなえ歩美あゆみ、後列に私とマスターが乗りこむ。


 車が走り出すと、早苗さなえがため息をついて告げる。


「なんか、とんでもない話になっちゃったね。

 なんで神社を維持するのに、結婚なんて話になるの?」


 歩美あゆみもあきれた様子で応える。


「時代錯誤も甚だしいわ。

 あのお爺さん、ちょっと頭が古いんじゃないかしら」


 浜崎さんが助手席から声をかけてくる。


「クソ爺のたわごとなんて忘れちまえ。

 俺だってまだ結婚する気もねーし。

 そもそも就職もしてねーし。

 宮司なんてやる気も起きねー。

 クソ爺の身勝手に振り回されるなよ?」


 私はおずおずとマスターに尋ねる。


「ねぇマスター、本当に神社が無くなっちゃうの?」


 マスターは穏やか笑みで、フロントガラスを見つめていた。


「んー、それは避けられないと思うよ。

 かんなぎの居ない神社は、維持することができない。

 たとえ立て替えても、すぐに朽ちてしまうんだ。

 今まで何度か浜崎家は神社の再建を試みたけど、全部同じ結果になった。

 あそこはかんなぎが中心となって信仰を集めないと、維持できない場所なんだよ」


 私はマスターの目を見つめて尋ねる。


「神社が無くなったら、マスターはどうなるの?」


「もっと力が弱くなって、そのうち消えてしまうんじゃないかな。

 元々が分身、『本体が残した力の残滓』だからね。

 今みたいにお店を営むことも、そのうちできなくなる。

 ――でも、できる間は営み続けるよ」


「……それって、何年くらい?」


 マスターは私の目を見て微笑んだ。


伊勢佐木いせざきさんが気にすることじゃないさ。

 君は高校を出て、大学に進み、社会に出て働くんだろう?

 忙しい日々の中、ふと思い出して立ち寄っても、もうそこに僕は居ない。

 ――ただ、それだけのことだよ」


 そんな、十年か二十年か、そのくらいで消えちゃうってこと?


「私、そんなの嫌です!」


 マスターが私の頭を撫でながら告げる。


「だからって君が孝弘と無理に結婚する必要なんかないよ。

 僕はもう忘れられた神、いつかは消える運命だ。

 君が神職を背負う必要なんか、まったくない」


 何か……何か方法がないのかな……。


 歩美あゆみがため息をつきながら告げる。


「その健二さんが、再開発を思いとどまってくれればいいんだけどね。

 マスターの声が聞こえないんじゃ、どうしようもないんじゃない?

 実の父親の話も聞かないんでしょう?」


 浜崎さんは両手を頭の後ろで組んで、フロントガラスの前に足を乗せていた――お行儀悪いな?!


「親父の頭の固さは、クソ爺といい勝負だ。

 親父を説得するのは無理だと思うぞ」


 早苗さなえがうつむきながら告げる。


「現実主義者って言ってたっけ。

 神様とか幽霊とかあやかしとか、そういうの信じてないんだろうね。

 そういった存在を信じられるようになったら、何か変わるのかもしれないけど……」


 ふと閃いて、私はマスターに尋ねる。


「ねぇマスター、その健二さんと会ったことある?!」


 きょとんとしたマスターが私に応える。


「ああ、もちろん会ったことはあるよ?

 向こうは僕が見えず、声も聞こえない。

 それも確認済みだからね」


「じゃあ! 健二さんと早苗さなえ歩美あゆみって、どのくらい違いがあるのかな?!

 お守りを持たせたら、マスターのことが見えたりする?!」


 マスターが眉根を寄せて私を見た。


「……健二を『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』に呼ぼうってことかい?

 あの店を健二に見せて、それで思い留まってもらおうと?」


 私は力強くうなずいた。


 マスターが小さく息をついた。


「あのお守りは、そう簡単に作れるものじゃない。

 見込みの薄い計画に投資するのは、少し考えてしまうね」


 私は少し脱力して告げる。


「マスター……じゃあなんで早苗さなえ歩美あゆみのお守りは作ってくれたのよ」


 マスターがニコリと微笑んだ。


「だって二人が来てくれたら、伊勢佐木いせざきさんが喜ぶんじゃないかと思ってね」


 浜崎さんが楽しそうに笑い声をあげた。


「ハハハ! 小金井こがねいさん、伊勢佐木いせざきさんが大好きなんだな!」


 え、そんなこと言われると急に意識しちゃうんだけど。


 『ラブ』じゃなくて『ライク』なのはわかっていても、なんだか恥ずかしい。


 熱い顔を自覚しながら、マスターに頼んでみる。


「ねぇマスター、私はあのお店が消えちゃうのも、神社が消えちゃうのも嫌だよ。

 なんとかみんなの力で、健二さんを説得できないかな?」


 マスターが「ふむ」と顎に手を置いて考え始めた。


「……『みんなの力』ね。なるほど。

 それならやってみる価値はあるかも、だ。

 ――孝弘、お前も協力してくれ」


 浜崎さんが明るい声で応える。


小金井こがねいさんの頼みなら、俺は断らねーよ?

 俺にできることなら、協力は惜しまないさ」


「こうなると、源三も巻き込んだ方が良いだろうな。

 綾子あやこも呼ぶか……ちょっと出費が痛いが、失敗しても消えるのが早まるだけ。

 成功すれば元は取れると考えれば、打てる手は全部打つとするか」


 歩美あゆみが嫌そうに眉をひそめた。


「えー、財部たからべさんも呼ぶんですか?」


 マスターがニコリと微笑んで応える。


「こういう時、財部たからべさんは頼りになるからね。

 現実主義者の経営者なら、一番怖いのが財部たからべさんだろう。

 なんせ七福神、財運の神様だ」


 私はおずおずとマスターに尋ねる。


「『大赤字』って、そんなに力を使って大丈夫なの?」


 マスターが私に流し目で応える。


「んー、ちょっと伊勢佐木いせざきさんには、前払いで力を借りることになるかな。

 それで成功すれば、元通りになるから大丈夫」


 前払いで、力を?


 小首をかしげる私を、マスターは楽しそうに見つめていた。





****


 駅に車が到着すると、全員が車から降りた。


 マスターが浜崎さんに告げる。


「孝弘はさっきの話を源三に伝えておいてくれ。

 僕はあやかし仲間に協力を仰いでみる」


「ああ、それは任せとけ。

 クソ爺が嫌と言っても、頭を鷲掴みにして縦に振らせてやる」


 それは『力ずく』って言いたいんだろうか……。


 浜崎のお爺さんの方が強そうに見えたんだけど、大丈夫かな?


 私と浜崎さんの目があってしまい、浜崎さんが頬を染めて目をそらした。


「ともかく、あんたとの結婚なんて俺は認める気はない。

 そこは安心してくれ」


「はぁ、どうも。

 私もフリーターの男性と結婚する趣味はありませんし、安心してください」


 そんな経済的自立をしてない人と結婚しても、苦労するだけだし?


 浜崎さんがバツが悪そうに告げる。


「しょーがねーだろ! やりたいことがみつからねーんだから!」


「そういう人、良く居ますよねー。

 恵まれた環境にいるから言えることですよ?

 庶民はやりたくなくても仕事をしてお金を稼いで、毎日を生きて行くんです。

 地に足を付けて、まっすぐお日様に胸を張って生きて行くのが『まっとうな人間』ですよ?」


「ああもう! 親父やクソ爺みたいなことを言うなよ!

 わかってるよ、そんなこと!」


 私はため息をつきながら告げる。


「わかってないからフリーターなんじゃないですか?

 今おいくつなんです?」


「……二十三」


「なんだ、まだ若いじゃないですか。

 今からでも勉強しなおせば、それなりの企業に入れるんじゃないんですか?

 私たち庶民と違って、お爺さんのコネとかあるんでしょう?」


 マスターが楽しげに笑って私の頭に手を乗せた。


「ハハハ! そのへんにしてあげて、伊勢佐木いせざきさん。

 孝弘もちゃんと理解してるんだよ。

 頭の悪い子じゃないからね。

 ただ、心が納得するまで時間が必要なだけさ」


「ああ、お子様なんですね。納得です」


「納得するなよ?!」


 浜崎さんが真っ赤な顔で私に食って掛った。


 早苗さなえ歩美あゆみも、笑いを我慢しながらお腹を押さえていた。


 マスターが私たちの背中を押して告げる。


「さぁさぁ! 暗くなる前にみんなは帰りなさい。

 バイトが無いのに遅くなったら、ご家族が心配するよ」


「はーい」


 私たちはマスターと笑顔で別れ、改札を通った。

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