第16話
今朝の通学路でも、マスターは着流しで私を待っていた。
「おはよう、
はいこれ、お弁当」
受け取った巾着袋は、なんだかどっしりと重たい。
「なんか、量が増えてない?」
「
そんなに多くはないけど、おかずを奪い合ってたらバランスが崩れるよ」
ああ、そんなことまで気を使ってくれるのか。
「ありがとう。
――ねぇマスター、今日は定休日なんだよね?」
「そうだけど?
お店に来ても、神社が待ってるだけだよ?」
「いえ! そういうことなら、神社の掃除でもしようかと思って!」
マスターがクスリと笑った。
「そんなこと、気にしなくていいのに。
君たちは学生なんだから、勉強に専念しなさい。
掃除ならやってくれる人がいるから、大丈夫だよ」
「え? そうなの? どんな人?」
「地主さんの家の人間だよ。
元々は神主だった家系だね。
そのうち会うこともあるんじゃないかな。
――それじゃあね、
そう言ってマスターはお店の方向に向かって歩いて行ってしまった。
私もずっしりと重たい巾着袋を手に下げて、学校へ向かった。
****
「うわー! 煮物じゃん! それにこれ、西京漬け?」
自分の分の重箱を開けた
中には色とりどりの野菜の煮物と焼き魚が入っていた。
重箱には丁寧に付箋紙で名前が書いてあったので、これは
中にはシーザーサラダとスモークサーモン、チーズが入ってるみたい。
「一人一人、中身が違うのね。
――
私も三段重ねの重箱を開けてみる。
一段目は豆ごはん。
二段目がイチゴとほうれん草のサラダに卵焼きとかき揚げ。
三段目はなんとゼリーが詰まっていた。この香りは、レモンかな?
私たちは春の味を楽しみながらお昼の時間を過ごしていく。
「それでさ、この重箱を返しに行くついでに、神社の掃除をしに行こうと思うんだけど」
「でも、『そこまでしなくていい』って言われたんでしょ?
別に重箱を返して帰って来ればいいんじゃない?」
「
私も豆ごはんを口に運びながら考えてみる。
マスターの迷惑になっちゃうかなー。
でも朽ちた神社ってのも、なんだか寂しいし。
なんであそこは手入れをしてないんだろう?
「――よし、じゃあ放課後はみんなで掃除をしに行こう!
ゴミ拾いくらいなら、できると思うし!」
道具は現地で足りないものを確認して、商店街で買ってこようという話になった。
****
学校帰りに、喫茶店までの道を歩いて行く。
いつもならそろそろ看板が見える頃だけど、そこには何もない。
代わりに一台の自転車が止まっていた。
あれ? 誰か来てるのかな?
喫茶店があるはずの場所には、寂れて朽ちた神社がある。
そして境内でほうきがけをする、若い男性の姿があった。
髪は短くて、作務衣を着てるみたいだ。
おそるおそる近づいて、声をかけてみる。
「あのー、何をしてるんですか?」
男性がこちらに振り返って、明るい笑顔で応える。
「見ればわかるだろ?
境内の掃除だよ。
嬢ちゃんたち、高校生?
私たちはおずおずとうなずいた。
「マスターにお弁当箱を返しに来たんですけど……」
男性は納得したようにうなずいた。
「ああ、君らが新しいバイトか。
その巾着袋、
俺が預かっておくよ」
近づいてくる男性から思わず一歩後ずさりながら尋ねる。
「マスターの知り合いなんですか?」
「ん、なんか怖がらせちまったか?」
男性の背後から、いつもの声が聞こえる。
「ハハハ! 孝弘は不用意に近づきすぎだよ」
男性の背後に目をやると、神社の中からマスターが出てくるところだった。
着流し姿のマスターが、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
「ごめんね、
こいつは浜崎孝弘。朝言ってた、地主の家の子だ。
いつも掃除をしてくれる奴なんだ」
男性――浜崎さんが不満気にマスターに告げる。
「
「そうかい? きちんと感謝を込めてるつもりだけど。
でも女の子を怖がらせるのは、ちょっといただけないかな」
「どうしろっていうんだよ。
弁当箱を受け取ろうとしただけだろ?」
マスターが浜崎さんの肩をポンと叩いた。
「まず、きちんと自己紹介をして警戒を解いてから近づきなさい。
相手が誰かもわからなきゃ、女の子が怖がっても仕方ないよ?」
浜崎さんはガシガシと頭を掻いていた。
「めんどくせー、そんな怖い人間に見えるのかね?」
「ハハハ! もう少し女子を勉強しておきなさい」
私はおそるおそる浜崎さんに告げる。
「あの、びっくりしただけで、怖いとかは思ってないですから……」
マスターが私の前に来て、巾着袋を受け取った。
「無理をしなくていいよ。
孝弘は背が高いし、いきなり近づいて来たら怖くて当たり前だ。
ちょっとガサツなのが、孝弘の悪い癖だね」
私の背中に隠れていた
「お店の事情を知ってる人なんですか?」
「そうだよ?
お店の書類関係は、浜崎家の人間にやってもらってるからね。
だからあそこは書類上、浜崎家の店だ」
「幻のお店なのに、なんで書類なんて出したんですか?」
「飲食店をするならどうしてもゴミは出るしね。
今は廃棄物の処理も面倒だし。
『それなら届け出を出して、実在することにしてしまおう』って、源三――ああ、孝弘の祖父が言ったんだ」
マスターの手の中にある巾着袋が、空気に溶けるように消えていった。
私は思わず声を出す。
「わぁ、手品みたい。
こういうのを見ると、『マスターが神様なんだな』って思えるね」
「ハハハ! そりゃあ神様だからね!
――ん? どうしたんだい?
もう用は済んだんだから、帰っていいんだよ?」
私は掃除をしてる浜崎さんの背中を見ながらマスターに告げる。
「いえ、私たちも掃除をしようかと思って。
浜崎さん一人だと、大変じゃないですか?」
「孝弘は慣れてるし、君たちには勉強があるでしょ。
学生なんだから、きちんと勉強しておきなさい」
そっか、勉強か。
最近接客が忙しくなってきて、予習の時間が削られてるし。
お店が休みの日ぐらい、勉強した方が良いのかなぁ?
頭を悩ませている私がふと気づくと、浜崎さんがスマホをいじってるようだった。
浜崎さんがこちらに振り返り、私たちに告げる。
「クソ爺が嬢ちゃんたちに会いたいとさ。
これからこっちに来るから、それまで待っててほしいんだけど」
マスターが眉をひそめて浜崎さんに振り返った。
「源三が? なにをしに?」
浜崎さんが肩をすくめた。
「俺は知らんよ。
詳しくはクソ爺に聞いてくれ。
車で移動するだろうから、すぐに着くだろ」
すぐに清掃に戻った浜崎さんの背中を見たあと、マスターを見上げて尋ねる。
「どんな人なんですか? その浜崎さんのお爺さんって」
「悪い人じゃないんだけど、孝弘と同じで気が利かない奴だったね。
変なことを考えてないといいんだけど」
気が利かない……浜崎さんって、そういう評価の人なのか。
「ねぇどうする? 待たずに帰っちゃおうか」
「でも、『待っててくれ』って言われてるし。
どんな人か怖いけど、悪い人じゃないなら待つべきじゃない?」
話し合ってる私たちに、マスターが告げる。
「君たちは気にせず帰りなさい。
源三には僕から説明しておくから」
私はおずおずとうなずいた。
「マスターがそう言うなら、私たちは帰りますね」
浜崎さんにも別れを告げ、私たちは神社の入り口に向かって歩きだした。
――その目の前に、黒塗りの大きな車が止まった。
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