綴り書き #27
「曇天さん。ありがとう。私、一人じゃないって気付けたよ。海へ潜って人魚のみんなが案内してくれたトンネルを通ったら、渦潮に巻き込まれて、気が付いたらここに居たんだ。けど、ここは、私が見てた八百姫村とは違ってた。もしかしてこっちの村が現実ってこと?」
肯定して頷く曇天。改めて村の様子を見たベルのアメジストの瞳は動揺と悲しみが入り混じったような色で揺れる。
「そっか。私はあの時、八百姫村が完全に滅びる前に紅パパの世界へ閉じ込められてしまってたんだね」
「そうですね。ですがそれは、無意識に貴方を守ろうとした、お父様の起こした事象の結果に過ぎないかもしれません。もう、訊くことは叶わないかもしれませんが」
曇天は炎の障壁の向こう側へ視線を送る。視線の先を辿ったベルは、さっきまで、様子を窺いながら見上げていた海坊主の姿を捉えた。
「もしかしてアレは……パパなの?」
「はい。残念ながら……」
「……そっか。おかしくなったパパの中では、アレが少しずつ大きくなっていって、完全にパパのことを食べちゃったんだ。ねぇ、助けられる?」
「分かりません」
完全に海坊主と同化してしまっているように見える。あの中から果たして、魂たる人格を取り戻せるかは未知数だ。少しでも人格の欠片が残っていれば可能性はあるかもしれない。が、その人格の器である心の世界を完全に壊してしまったと、つい先ほど叱られたばかりだ。状況は絶望的といえるだろう。
「淀んだ水の中の一縷の良心……? 首元の水だけは海水ではありませんでした。首元に見えた青い光……もしかしたら。でもそうなると……あの光だけを取り出しに行かなくてはなりませんが……では、どうやって……」
「曇天さん。私にも何か出来る?」
何やら思い付いた様子の曇天を見上げて、ベルが問い掛ける。
「あの表面を泳ぐ? しかしそれでは取り込まれた時が……あの海水の安全についての保障も……逆に保障があれば。では、それを証明出来る方法は……」
考えを巡らせることに集中してしまっている曇天にベルの言葉は届いていない。
「曇天……さん?」
「あー。悪ぃな嬢ちゃん。そうなってる時のソイツの集中力エグくてさ。自分の思考の世界に深く潜っちまってて、本当になんにも聞こえてねぇんだわ。意図的に無視してるわけじゃねぇから許してやってくれな。ほっといても突然戻って来て不意に動き出したりすんだけど、時間掛かってそうなら一旦こっち側に引き戻してやってくれ。オレはしばらくアイツの邪魔になりそうなもん引き受けて時間稼ぎしてやんねぇと」
そう言って一旦飛び立とうとしたヨウムはもう一度振り返った。
「一応この炎の障壁ん中なら安全だと思うけど、念のため。迂闊に飛び出すんはお勧めしねぇぜ。んなら、曇天を頼んだ」
曇天が抱えていた桃色のスイカサイズのガラス玉を翼で掴み、転がらないよう砂浜に少しだけ埋めて、一つウィンクをする。ちょっとそこまで。程度の感覚で飛んで行くヨウム。見送って、戸惑ったように桃色のガラス玉を両手で拾い上げたベルは曇天へと向き直り、しばらく眺めていた。
眉間に皺を寄せ、難しい顔で思考を続ける曇天。津波の残骸だろうか。足元には無残にへし折られた建材部品の鉄パイプと、アンドレアルフスの服から抜け落ちたのであろう孔雀の飾り羽根が落ちていた。拾い上げた曇天は、炎の障壁を飛び出していく。
「ど、曇天さんっ!」
慌ててベルが声を掛けるも、炎障壁の外側は絶賛戦闘中の只中。人骨や肉塊。怨霊、恨みつらみを閉じ込めた沢山の海水溜まりが大きな球状で空中に浮遊しており、ヨウムに向かって飛んで来る。球体を避けたり、蒸発させながらヨウムはその化け物と対峙している。
曇天が走り出た瞬間に、スラックスのポケットから丸められた地図が炎障壁の中へ転がり落ちた。
相手は海水の塊だ。元が海水のため、大きさもあり、物理攻撃、蒸発ともに決定打を与えられず、すぐに再生を繰り返す。再生力の高い人魚を取り込んでいるせいで、回復までの時間も短い。浮遊していた球体の一つが飛び出した曇天を捕えた。
「あら? 参謀ボウヤからこっち側に来てくれるなんてアタシ感激♡」
曇天が捕らえられた球体は海坊主に引き寄せられ、本体へと吸収される。息が出来ないはずなのに、曇天は捕らわれる前に拾った鉄パイプと、孔雀の羽根の変化、内容物の変化を観察しているようだった。
「ケホッゴホッ……ッ!」
「馬鹿っ! 何やってんだよ! お前戦闘能力皆無なんだからすぐオレに助けを求めろっていつも言ってるだろうが!」
「すみません。沈み過ぎて水中で呼吸が出来ないことを忘れてました。けど、たんぱく質も金属も溶けないようなので、あの中に危険な化合物が混じっていなさそうなことは分かりました。内容物がアレなので、衛生面までは分かりませんが。あの中にあえて取り込まれて、首元まで泳げれば、この状況を打開出来るかもしれません」
不意に溺れだした曇天に気が付き、ヨウムは曇天の周りの海水だけ蒸発させ、穴を開けた海坊主の中から引っ張り出した。その穴は当然直ぐに再生する。曇天のポケットから地図と一緒に落ちたのだろう裏返った青いお守りと黒のお守り。黒いお守りの口から勾玉を模した小さな鏡が月光を反射して光っていた。
「そんなこったろうと思ったよ。お前は加減を覚えろって。さっきも言ってたな。首元だけ海水じゃ無さそうなんだったか? それがどう関係すんのかオレにゃ分からねぇが、お前の案ならきっと何か起こるんだろ。今までもそうだったしな」
「なのでピィちゃん。僕をあの中か、さっきの球体の中に連れて行ってください。僕が泳いで首元の青い光がなんなのか確認して来ます」
炎障壁の中へ曇天を戻したヨウムは、曇天の提案に驚いたような表情を浮かべて、その後険しい顔をして首を横に振る。
「いや、お前そもそも泳げねぇだろ! ついさっき溺れてたじゃねぇか。絶対ぇあそこまで泳ぎ切れる体力もねぇから確実に死ぬわ! それならオレが行く。全身炎なんだから周り蒸発するだろうし、なんなら首元に特攻しても」
「ただの海水なら大丈夫でしょうが、おまけのアレ付きですよ? 貴方みたいな直情型は幻惑世界に取り込むの簡単そうですし。単純だから……」
「だったらどうすりゃいいんだよ! お前が気になってるあの光のとこに息しながらスイスイ行けるヤツなんて……」
睨みあう曇天とヨウムの間にベルが割って入る。その行動に曇天とヨウムは虚を突かれて、視線がベルへと注がれる。
「私は人魚だよ!」
「いや、それは知ってっけど」
「人魚は海の生き物ですっ!」
「確かにベルさんであれば。ですが……」
ベルが言わんとしていることを理解した曇天だが、その表情には躊躇いが浮かぶ。
「そっか。人魚だったら海中で息も出来るし、スイスイ泳いでいけるのか。元々は住んでるんだもんな」
「そう。だから、私なら曇天さんがしたいこと出来るよ。あの首元の青い光まで泳いでいってあの光を確認してくればいいんでしょ? 私にやらせてくれない?」
ベルの提案に曇天とヨウムは顔を見合わせる。
「僕は……自分の死を厭いませんが、自分以外の何かが亡くなるのは非常に気分が悪いのです。危険を伴う以上、貴方にその役目を負わせることは出来ません。だから、僕が行きます。ピィちゃん。サポートをお願いします」
ベルを炎障壁内に残して、曇天は再び球体の浮遊する浜辺に向かう。ベルの様子を気にしながらヨウムも背を向けた。
「どうしてっ! 私はまた……大切な人の力になれず失くすのかな」
「お嬢様……」
――――27――――
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