綴り書き #26

 「くだらない」という言葉が効いたのだろうか、突然苦しそうに風景が見悶え、痙攣を始める。


「ちょ、ちょっと紅ちゃん! ストップ! ストップよ~~っ!」


 突然焦り始めるアンドレアルフス。その挙動を観察していた曇天は、一度だけ小さく頷いた。大きな物音と同時に、ガラスの割れるような音がして、曇天は紅人の心の防衛反応により世界から拒絶され、弾き出された。


 一瞬だけ見える精神の大樹。塞がれていたはずの真ん中。黄色の窓が砕け散り、大樹が聳え立っていた場所は、割れた鏡のように粉々に砕け散った。


「出してくださりありがとうございます」


 誰に言うでもなく礼をする曇天。目の前に広がるのは、人の形ではなくなってしまった紅人。廃屋、廃村。灯台を利用した自慢のホテルも金属の枠組みだけになっている。浮かび上がったのは滅びてしまった現実の八百姫村の姿だ。

 

 曇天の頭の上にはピィちゃんが座っており、曇天の火傷跡もすっかりと綺麗に消えていた。現実の世界での絆は繋がったまま。本来のコンビの復活だ。


「別の悪魔との契約が残っていると、他とは契約出来ません。契約は破談ということで」

「だ、だってアンタ。言ってたじゃない! バカインコにさようならって」

「ええ。言いました。貴方の世界で確かに。ココではさようなら。また会いましょうと」

「…………アンタッ! アタシまで謀ったのね――ッ!」


 言葉の意味に気付いたアンドレアルフスは、怒りにわなわなと唇を震わせて両の肩を持ち上げる。


「まさかお前……最初からこれを狙って?」

「敵を欺くにはまず味方からだと言うでしょ?」

「おぉいっ!(嬉)これで助かったのか?」

「まだですね。少し派手にやり過ぎてしまったので……」


 ガシガシと髪を掻き乱し、メイクの剥がれたアンドレアルフス。既に壊れ、傀儡と成り下がった紅人。アンドレアルフスが紅人の頬へ指先でハートのマークを描くと、苦しみだした紅人が、人魚の怨念や囚われていた村人。観光客と、浜辺の難破船を吸収して骨や肉塊の混じった、夕景色の海の魔物へと変化する。


 時折苦痛に歪んだヒトの顔が、吹き上がるマグマのようにコポコポと体内から顔を出し、泡になって吸収される。その顔が人魚か、人間のものなのかは判別出来ない。


「あの体内から出て来たと思うと、ちょっと気持ち悪いですね」

「ちょっ、お前これ、ヤバくねぇか?」

「ヤバイですね」

「な、なんでそんなに冷静なんだよっ!」


 今度こそ本当に満月は天頂に、浜辺の岩陰で、状況を恐る恐る窺っているのは成長したベル。震えながら天を仰ぎ、父親の面影すら消え失せ、怪異と化した姿を目の当たりにして何を思っているのだろう。


 ベルの方へ一歩踏み出そうとして、躊躇って立ち止まった曇天の姿を、ヨウムは見逃さなかった。


「行かねぇのか?」

「……今は、それどころではないでしょう? あのヒトを何とかしないと、僕たちの日常へ帰れません。いい加減ヘトヘトなので、早く帰って休みたいです」


 曇天の言葉にふっと嘴を緩めて、柔らかく目を細めるヨウム。

 

「了解。お前の充電が完全に切れちまう前に戻らねぇとな。……なんかお前の様子も変だしよ」

「なんで分かるんですか。不愉快です……」

「へいへい。いつも感情を読み取られ難い側としては落ち着かなくて気持ち悪いって意味な」


 ドヤッと得意げに胸を張って、曇天のセリフを解説する余裕を見せるヨウム悪魔。


「それにオレは、お前の相棒! 72柱が悪魔。ビンカマジョール・ペリウィンクル・ボイニクス・ラウムだからなっ!」

 

「ピィちゃん。そんなに調子に乗って大丈夫ですか? まあ、それが貴方の通常運転ですね……」


 海坊主を眺めながら顎の無精ひげに手を添えて考え込む曇天。その瞳がほんの少しだけ楽しそうに揺れていることに気が付けるのは長年一緒に居るヨウム悪魔だけだろう。


「はあ~。感動の再会からのオレたちの絆は超強ぇんだぜムーブはもういいかシラ?」

「もしかしてお前待ってたのか?」

「悪役はヒーローたちの準備が整うまで待つモンなんデショ?」

「し、指摘されっとバツが悪ぃじゃねぇか! なあ、曇天」

「すみません。聞いてませんでした」

「おぉいっ!」


 いつものやり取り、いつもの扱い。調子が戻った曇天とヨウムは、改めて紅人とアンドレアルフスへ向き直る。


「ピィちゃん。アレ、全身海水だと思いますか?」

「ん? どうだろうな。また卵でも投げ込んでみるか?」

「そうですね。ですが、生憎今は卵の手持ちはありませんので……」

「コレ。卵だったりしねぇ?」


 ヨウムが曇天へ見せるのは、先ほどの黒い窓の中で我者髑髏から出て来たスイカサイズの桃色のガラス玉だ。内部に陰陽玉の片割れ、陰を表す黒の勾玉が浮かんでいる。


「それが本当に卵かどうかは疑問ですね。あの世界から持ち出せたということは現実世界の物質だとは思いますが。なので、ざっとでいいので、頭部。首元。両手足。胴体部の端を狙って通常温度の火の塊を貫通させてください。こちら側から炎が見えるように広めに」


 曇天の提案に、こと戦闘に関しては自己完結かつ迅速を好む好戦的性質のヨウムは、少し不満げな表情を浮かべて問い掛ける。

 

「一気にやるんじゃダメなのかよ?」

「いえ、一気にやるためには、アレが海水かどうかを確認する必要があるんです」


 了解っと、短く返答すると、曇天に桃色のガラス玉を手渡して、瞬時に海坊主の後方へ回り込んだヨウムは素早く炎弾を七発撃ちこんだ。アンドレアルフスの背後から一発を撃ち込むおまけ付きだ。


 炎弾が海坊主を貫通する瞬間、首以外の炎弾が一瞬大きく黄色に燃え上がる。炎弾が首元を通る際、炎の中に青い光が瞬いた気がした。人魚の我者髑髏と同様に、もしかしたらそこに何かがあるのかもしれない。


「なあに? そのちまちました攻撃。アナタたちやる気ある? 海水はそこら中にあるのヨ? そんな地味な攻撃でこの海坊主ちゃんをどうにか出来るとでも?」


 海坊主の肩口でメイク直しを始めたアンドレアルフスは詰まらなそうに爪の手入れをし、リップを塗りたくっている。


「曇天。分かったか?」

 

「はい。一部以外炎色反応の黄色を確認することが出来ましたので、首の部分の水以外は全部海水だということが分かりました。ですが、海水ではない部分をどうにかしないと硫酸カルシウムは作れなさそうですね」

 

「りゅ……リュウサンカカリウム!?」

 

「いえ、硫酸カルシウムです。海水を熱すると最初に出来る化合物で、少し面白いことが出来るんですよ」


 先ほどの炎弾で曇天達の存在に気が付いたベルが、様子を窺っていた岩陰から曇天とヨウムの傍へと身を潜めながら近付いてきた。


「よう。お嬢。ちぃっと見ねぇ内にずいぶん別嬪さんに育ったなあ」


 気軽に声を掛けるヨウムとは反対に、曇天は居心地が悪そうに視線を落とした。その様子に、何かを察して、ヨウムはこっそりと炎の障壁を張って、アンドレアルフスの動向を見張る役を引き受ける。


「夢の中で会った紅パパ。曇天さんでしょ?」


 いきなり確信を突かれたのか、珍しく動揺した仕草を見せる曇天をヨウムはニマニマと時折見守る。すっかり成長したベルの歳の頃は二十歳前後。母似の大きなアメジストと、綺麗な黒髪。父譲りの柔和な雰囲気を纏うたおやかな女性だ。


「パパとママと海影はね、絶対に私を海へ行かせようとはしないの。どっちのパパも。雷が危ないからなんだって。夢の中だったけど、何故があの時のパパは、私を海へ帰そうとした。だからおかしいなって思ったんだ。でも、紅パパからの意地悪や、両親と離れるのを怖がっている私を仲間に会わせようとしたんだろうなって後で気付いた時、曇天さんじゃないかなって思ったの。合ってる?」

 

「……やっぱり無茶ぶりだったじゃないですか」


 諦めたように呟いた曇天の言葉を肯定と取ったのか、ベルはほわりと微笑んだ。



 ――――26――――

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