綴り書き #22

 先ほど目の前で水晶に閉じ込められたこのヨウムは、粉々に砕けていたはずだが。やはりここはあの悪魔の創り出した偽の世界なのだと改めて実感した。が、ヨウムは我を忘れて暴れているように見える。


 先ほど我者髑髏から庇ったのも彼の意思ではないのかもしれない。そういえば呼び掛けにも反応していなかった。ここは彼の精神世界だろうか? 否。それぞれの窓の色が八百姫村のある一族の人物の心に対応していた。


 だとすると、この世界の持ち主は恐らくベルの母親ヴィオラではないだろうか。黒いお守りの持ち主だ。しかし、彼女らしき姿は見えない。眼前で暴れているのは、小屋の地下の冷凍庫で見たのと同じ、哀れな人魚の我者髑髏。


 それから、ヨウムにされてしまった悪魔ビンカマジョール・ペリウィンクル・ボイニクス・ラウム。彼女たちの中へヴィオラが取り込まれているとでもいうのだろうか。事情を聞きたくても、ひたすら暴れ狂う悪魔へ声は届かないだろう。我に戻って貰わねばならない。


『さて、どうましょうか……』


 周りを見回しても、使えそうな物は見当たらない。我者髑髏の動きをよく観察してみると、尾鰭の上の方。人間でいうところの臍の下辺りを庇っているように見える。


 他の場所へ攻撃が当たっても気にする素振りはなく、ただ応戦するが、腹付近を狙った攻撃への対処速度が思いの外素早い。


『小屋の地下の我者髑髏も、もしかして……』


 曇天は一度深呼吸をして、攻防が繰り広げられている両者の前に飛び込んだ。


 来訪者の暴挙に動揺したヨウムの炎が洞窟の天井を直撃し、その大きな音に我者髑髏の動きが一瞬だけ止まる。


「ヴィオラさんっ!」


 その隙を見逃さず、恐らく彼女たちの本当の主の名前を曇天が叫ぶと、我者髑髏の目の奥。アメジストの光が揺れた。


「紅人さんをずっと守っているんですね? 貴方のお腹の中の……浜辺での雷事件のあと、恐らく貴方と紅人さん。海影さんは一度亡くなった。けど、人魚の生命力を知っている貴方はお腹の紅人さんを諦めきれなかった。海影さんの身体を借り、ヴェパルさんにお願いして、貴方の身重の身体と娘のベルさんを近くで守りながら紅人さんが回復し、産声を上げるまで待つことにした」


 曇天の言葉への否定や肯定もないが、攻防が再開されないところを見ると、きっとこの推測は間違っていないのだろう。


「不老を謳われる人魚の身とはいえ、一度死んでしまった身体の回復機能は思うように働いてはくれず、貴方の身体には常に死の気配が付き纏っていた。成長するベルさんを近くで見守れるのは幸せだったが、あの日豹変した青人さんが、今度はベルさんを歯牙に掛けようとしていることに気が付いた。貴方はヴェパルさんと相談をして津波を起こし、青人さん、人魚の血肉を信仰乱獲する村人を観光客諸共滅ぼした……つもりだった」


 自身の死を認められず、表人格である青人の功績や実績。人望や人生を妬み続けた末、元々自分のモノだと思い込んでいる別人格が、アンドレアルフスの力を借りることで本来は息子であるはずの紅人へと成り代わり妄執の世界を作り出してしまったことで、この世界と計画は狂いだしたのだろう。


「人魚の母性愛がとても強いという説は色々な書籍で読んだことがあります。ですが、我が子のためとはいえ、些か身勝手だと思いますけど」


 娘と腹の子を守るための計画の変更を余儀なくされたヴィオラとヴェパルは妄執を閉じ込めて被害者を増やさないことに尽力し、紅人の暴走を監視、適宜逸らしながら再度この世界を壊すのに利用出来そうな人物を探していた。その人物に該当してしまったのが自分なのだろう。迷惑な話だ。


「妄想の世界へ取り残されたベルさんは、生きているのに結局満足な食事も取れず、酷い目に遭いながら実際は衰弱しているのではありませんか? 心も身体も。この世界が壊れて、現実の世界へ戻れたとして、そんな状態の身体で生き長らえることが出来るとは思えません。人魚説がある八百比丘尼は餓死を選んだ。どれ位の期間かは分かりませんが、食べることが出来なければ、同じ人魚であるベルさんも亡くなってしまうのでは?」


 動きを止めた我者髑髏が、バラバラと崩れ、浮かび上がった人魚の幽霊たち。


『帰リタイ……』

『痛イ……ヤメテ!』

『許サナイ』

『生キタイ……』

『イツマデ……』

『マダ……アノ人ニ。伝エテナイ、ノニ……』

『生キテイテ……ドウカ……』


 口々に紡がれる言葉。夢人魚の像の下。真っ赤な床の地下室と、絵本を思い出した。身体を維持するために赤鬼は人魚の血肉を食べ続けないといけなかった。しかし、食べたら寿命が短くなり、更に食べる必要が出て来る。


 この人魚たちはその被害者なのではないだろうか。昔から薬効を求めて赤鬼たちに乱獲され続けて犠牲になった人魚たちの無念な呪いは膨らみ、増殖した。始めは人魚の遺体への独特な概念。死が分かり難く、様子見をするというその風習からだろう。腐敗処理をしないまま村の地下冷凍庫へ遺体を保存していたため、腐敗した肉が水や土を介して村人たちへ奇病をばら撒いたのかもしれない。


 津波で滅びてからも人魚の呪いは残り、今度は紅人の妄想世界で精神体になったことで、より裸に近い状態を侵し、文字通り泡になってなくなる。亡くなるのではなく、本当に存在自体が消える。そんな病へと発展したのかもしれない。


「ベラドンナの小瓶の中身はきっとベラドンナのエキスではなく鮮度のいい人魚の血なんでしょう? 例えば唯一の村の生き残り人魚。ベルさんから採取されたものだった……とか? ヴィオラさん。貴方は真実をご存知なのではないですか?」


『……ワタ……ワタシハ……タダ、子ドモタチト……アノ人ト……幸セニナリタカッタ……ソレダケダッタノ、ニ……アノ人ガ豹変シテ……何モカモガ壊レタ……ベルヲ……ベニトヲ……救イタカッタ……抱キシメテ……愛シテイルト……伝エテアゲタカッタ……ダカ……ダカ、ラ……呪イヲ……アノ男ヲ……殺ス……コ、コ……殺シテ……殺……コ、ロ……許サ、ナイ……』


「曇天。離れろっ! その女。もう悪霊になりかけてんだ! 長いこと呪いを従え続けてる内に少しずつ取り込まれちまってたみてぇでな。商店街に現れたんは、表の青人の最期の力で切り離されたお陰らしいが、見つかった紅人に鎖を掛けられてた。そのせいで、戻った後により強くコイツ等と結びついちまったんだと。もう、切り離すんは難しいと思う。ここ来たばっかの時はもうちょい話せたんだが、少し正気になっても、直ぐ呪いたちに浸食されちまう。だから、ずっと燃やそうとしてるんだがこれが中々しぶとくてな」

「貴方は本物ですか?」

「……どっちでもいいだろ。オレはもうお前に必要ねぇそうだからな」


 一度合った目を逸らし、ジト目で曇天を睨みつけて、一塊へ戻る我者髑髏に向き直り、再び作り出した炎を投げ付ける作業を再開する。どれ位の時間そうしているのかは分からないが、いくら高位悪魔といえどもただ闇雲に攻撃をしているだけでは時間と体力の無駄ではないだろうか。


「お手伝いしましょうか?」

「うるせーバーカ。余計なお世話だっつーの! 勝手にどっか行けよ。邪魔だ邪魔!」


 明らかに拗ねているようにも見受けられる。我を忘れていたというよりは、無心だったのかもしれない。ピィちゃんは一人でも、この世界を何とかしようとしていた。


「そうですか。それでは勝手にします」

 


 ――――22――――

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