綴り書き #21

「奥様。ヴィオラ様。天気が荒れそうです。今日のお嬢様の水遊びはこの辺にいたしましょう」

「ええ。そうね。アオト。ベルを連れて来てくれる?」


 オッケーと頷いて走り出した青人は砂浜に足を取られてズッコケる。この世界でもポンコツっぷりは健在のようだ。


「もう。何してるのよアオト……」

「ごめんね。ヴィー。私はやっぱり情けないね」


 ふふっと微笑んで近寄るヴィオラ。ベルの本当の母親の名前なのだろう。彼女の足元には鱗があるが、今の彼女は紅人の話と違って顔色もよく、健康そうだ。


『ドウシテアイツバカリ……罪ヲオカシテイタノハオ前ジャナイカ……俺ガ……変ワッテヤッタノニ……ドウシテ……ヴィオラト笑ッテイル……許セナイ……奪ッテヤル』


 くぐもった低い声。その声の主を探している内に、一際大きく光った雷光の槍が海辺のベルに向かって突き立てられようとしていた。


 何故か庇おうと曇天の身体が走り出すが、間に合わない。目の前で雷に打たれたのは左手をベルへと伸ばした青人だった。同時に青人の身体から光が飛び出す。ショックで声の出ない女性陣が崩れ落ちる。


 ゆらりと立ち上がる青人の瞳が紅色へと変化していく。気が付かず近付いたヴィオラを右手で浜辺に押し倒し、ワンピースの裾を乱暴に引き千切る。


 目の前で繰り広げられる凄惨な光景。優しかったはずの父親の豹変ぶりに思わず声を上げてしまうベル。


 その美しい声に青人だったモノの口角が歪に弧を描く。ベルを背へ庇うようにした海影はベルの瞳を隠しながら後退る。


 聞き難い悲痛の叫びと、貪る雄の表情。幾度も欲を最奥へ注がれ続けた身重の彼女の下半身の海水が黒く濁る。色を失った瞳でガクガクと痙攣するヴィオラは動かなくなった。


 黒い雲がまた電気を孕んで、我を失った青人だったモノへと落ちる。動かなくなった青人の身体を確認し、近付いた海影も糸が切れたように一旦は動かなくなった。


 固まり、口元を押さえたまま。まだ幼いベルは小刻みに震え心の行き場を頼りなく探しているようだ。


 暫くの間の後、海影は起き上がり、ぐったりとしているヴィオラを海水から引き揚げた。


「ああ。奥様……なんてお労しい……」


 その傍らに青人がおり、震えるベルとその光景を眺めている。


「また。また私は……妻とベルを守れなかった……もう、何度目なのか、な……」


『解離性同一症……』


 そんな症状が曇天の頭に浮かぶ。自分が犯している罪について、青人はそれが自分のモノだと認識していないように感じる。


「青人さん……」

「曇天……さん? どうしてこんなところに?」


 声を掛けられた青人がこちらを振り向く。青人の瞳には曇天が映っておりこの世界では曇天は自分のまま存在しているようだ。ただし、霊体の彼にしか認識されていない。


「曇天さん! 私。どうすればいいんでしょうか? もう何度も同じあの日を繰り返しているんです。何度やっても、どうやっても妻と娘を助けられない。いつも紅人に阻まれて形を変えながら同じ結末を迎えてしまうんです……どうして……」


 縋りつくような青人の手をやんわりと振り払って曇天は首を横に振る。


「青人さん。僕は今から貴方に、とても残酷な真実をお知らせしなくてはいけません……こんな場所にしがみ付いていても、奥様が救われることなどありません。ここは、貴方の後悔が望む幸せの幻想世界なんですから……どうして? 簡単なことです。貴方と奥様。海影さんももうこの世には居ないんです。紅人さんに至っては存在すらしていない。貴方の奥様のお腹の中で亡くなっています。貴方の手によって……」

「それじゃあ、私の弟は……紅、人は……?」

「紅人さんは貴方です。青人さん」


 曇天がきっぱりと言い切ると、風景にひびが入り、ガラガラと青人ごと崩れ落ちていく。硬直して俯いた瞳に、二度とハイライトが輝くことはないだろう。


 青人の瞳がブルーからレッドへのグラデーションを浮かび上がらせ、そして紅色に完全に喰われた。表情は分からないが、歪んだ口元に浮かんだのは悲愴か。もしかしたら歓喜かもしれないが。


「ちょっと! 何してくれてんのヨっ! アタシのごはんの器完全に壊れちゃったじゃなイィィ! もう少し楽しめそうだったのにッ!」

「悪魔にとっては人間の生き死にや人生すらも食事なんですね……壊せとおっしゃったのは貴方でしょ? もう次のディナーが決まっているのに古い器を残す必要なんてありますか?」

「それはそうだけどォ~。でも、アタシ。ガムって味がなくなるまで噛みたいタイプなのヨ」


 右斜め上を見て少し考え込んだアンドレアルフスは不服そうに頬を膨らませた。


「アルさん。一つお聞きしたいのですが、あの光景は事実なんですか?」

「そうねェ。ちょっと刺激的に脚色しちゃってるケド……概ね?」


 青人に聞いた話よりも鮮やかではあるが、嘘はついていなさそうだ。曇天は額に滲んだ汗をそっと袖で拭う。


 その事切れた身体にヴェパルが憑依し、ホテル。人魚の夢たまごの幽霊騒動へと繋がったのだろう。


「相克で回れば次は土ですが、塞がれていては相克通りに訪問出来ませんね」


 五行説を元にすれば、木の相克は土。しかし、土王説の土は全ての属性へと関係するため真ん中へ置かれ、大樹の中心にある黄色の窓は二枚の木の板で塞がれている。


「それなんだけどネ。実はこの黄色の窓についてはアタシにも分からないの。なんてたってこの精神世界の統治者、アンドレアルフス女王にも開けない窓なんだから。いつからこんな板で塞がれていたのかも分からないし、いつの間にかってカンジなのよネ」

「いつの間にか……ですか?」

「そうなの。もしかしたらこの窓たちのどこかに鍵があるかもしれないんだケド」


 うーんと首を傾げて、アンドレアルフスは各窓に視線を送る。ここにヨウムが居たら、女王なのかよっと突っ込みを入れそうな場面である。


「王ではなく、女王なんですね?」


 なので、曇天が代わりに突っ込んでおく。アンドレアルフスが抗議をしようそしたその瞬間。不意にグラリと大樹が揺れ、世界が180度上下に反転する。


「一体何が……?」

「き、ぎゃぁぁぁぁぁあ!」


 唐突な出来事にアンドレアルフスは飛べることすら忘れているようだった。種族が悪魔であっても、想定外への対応は遅れるということだろうか。悲鳴はかなり野太い。


 状況を掴む前に二人の身体は、先ほどまで天頂にあった黒い窓の中へと真っ逆さまに放り込まれた。


「あらッ? ココってこんな世界だったかシラ?」


 ――――バックンっ!


 刹那。アンドレアルフスの身体は、曇天の目の前で人魚の我者髑髏に捕らえられ、彼女たちの体内へと消えた。


 顔をこちらへ向け、今度は曇天へとターゲットを定める。パカっと大口を開け、骨ばった。いや、彼女たちは元々髑髏なので語弊があるかもしれない。腕を伸ばして、曇天を捕えようとして来る。


 寸で捕まりそうになり、なんとかギリギリで避けた曇天は旋回しながら転がった。洞窟の天井が回る。しかし、次の腕が曇天へと伸びて来る。思わず目を閉じた曇天の前に躍り出た影が炎で我者髑髏を包み込んだ。


「ピィちゃん?」


 一旦崩れた我者髑髏はまた直ぐに群れを成し、大きな髑髏を形作って行く。壊されても、切られても、何度も再生を繰り返す我者髑髏。ひたすら洞窟の風景の全てを破壊しながら、ヨウムも、何度も我者髑髏を燃やし尽くそうとしていた。



 ――――21――――

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