綴り書き #18

「まあ! 紅ちゃんおめでとう♡ さあ、可愛い金魚ちゃん。これでパパは一人しかいないわ。家族は一緒に暮らさないと、ね?」


 海水溜まりがクラウンのようにポコポコと浮き上がり、その全てが紅人へと吸収される。動けないベルを抱えて、紅人は立ち去っていく。


「アル。佐藤様を丁重におもてなししてあげてください。この村での暮らしに早く慣れて頂かないと……」

「はぁ~い♡」


 アンドレアルフスが曇天を見つめて微笑み、消える。なにが起こったのか分からず、曇天とヨウムだけとなってしまったその場に立ち尽くすしかなかった。

 

「……だから嫌だったんです。より面倒なことになった。やっぱり、慣れないことをするべきじゃなかったんです。人と関わるとロクなことがないなんて分かり切ってたのに」

「オイ。曇天……さっきはうやむやになっちまったからもっかい聞くぞ。どうしてあんな真似した?」


 先程の曇天の行動に怒り冷めやらぬヨウムは、声を押し殺しながら改めて曇天へと尋ねる。

 

「それが最善だったからです」

「どうしてお前はまたそうやって……自己犠牲する方ばっか選ぶんだよっ! オレはお前の相棒だと思ってる。もっとオレに頼ってくれてもいいじゃねぇか……一人で抱え込まずにオレとするってだけでも状況が変わってたかもしんねぇだろ。ヒトの心をぶっ壊すなんて汚れ仕事。本当はそんな仕事向いてねぇくせに……その咎の片棒だけでもオレに担がせてくれりゃ……」


 ピィちゃんは、このどうしようもない状況に、やり切れない歯がゆさを感じているのだろう。


「貴方は不本意に憑いてるだけです。いつも僕に巻き込まれているだけ。だから、今回も貴方には関係ありません。僕は貴方を利用した。貴方はそろそろ僕を見限るべきなんです」

「関係なくねぇよ。それに、まだ負けが決まったワケじゃねぇだろ? 嬢ちゃんたち助け出してさ。力のバランスを戻せりゃ解決するんならもうちょいやってみようぜ?」

「嫌です。面倒くさい。そもそも僕には無理なんですよ。最初から出来るワケ無かったんです。諦めて寝ます。目を覚ましたら元のベッドの上かもしれないじゃないですか。アンドレアルフスは精神を支配する悪魔なんでしょ?」


 不貞寝を決め込む曇天へ。ヨウムの言葉は届かない。ヨウムは悔し気に曇天を睨みつける。


「そうやって逃げ続けて来たツケだろっ! 今回のは他人の命にも関わってる。んな簡単に諦めて現実逃避決め込んでいい問題じゃねぇってことぐらいお前だってとっくに気付いてんだろっ!」

「僕は、出来ないと分かっていることをするべきじゃなかった。もう放っておいてください……」

「もういいっ! オレだけでもなんとかするっ!」


 ヨウムへと背を向けて転がる曇天。口喧嘩の末、離れようとするが、一定の距離を離れると引き戻されてしまう。


「くっそ。動けねぇ……ほら、行くぞ曇天!」

「お断りします。面倒くさいので……」

「分かった。でもな、オレはお前を信じ続けるぞ。相棒だからな」

「貴方。どこまでお人好しなんですか……僕は貴方を利用したんですよ? 利用されたということが分かっているのに……そんなこと……」

「それがどうした。結果的にお前は嬢ちゃんとオッサンを安全にあの場に連れてった。それに関しては間違った判断じゃねぇよ」

「り、理解出来ません……」


『いくら優秀でもガキはガキだ。孤立してるガキを信用させることほど簡単なことはねぇわけよ。お陰で俺はピンチを救ってもらって万々歳ってな! いやあ。優秀な身内を持つと人生イージーモードだな』


 つるんでいる仲間へ自慢げに語る悪酔いをした伯父。曇天の胸の奥がズキリと痛み、これ以上ヨウムに踏み込まれることを拒絶する。


「あの時……貴方の手を取らなければよかったんだ……」

「なんだとっ! お前、オレの気持ちとか考えたことねぇんだろっ! 結局お前は何も信用してねぇんだっ! オレのことだって……」


 曇天が選んでしまった言葉は、決して選ぶべきではない言葉だった。ヨウムは俯き、嘴を噛みしめる。その表情を曇天は知る由もない。凍り付く空気の中、転がっている曇天へと掛かる影。


「そんなにその鎖が面倒ならばアタシが断ち切ってア・ゲ・ル♡」


 いつの間にかアンドレアルフスが曇天を覗き込んでいた。


「お前、曇天まで!」


 アンドレアルフスは立ち塞がろうとしたヨウムを水晶に閉じ込める。


「アンタはもう要らないんだって。小憎たらしいインコちゃん♡」


 ヨウムを閉じ込めた水晶を洞窟の壁に叩きつけると、水晶とヨウムごと粉々に砕け散った。その水晶を見つめた曇天は一瞬動揺の色を浮かべる。


「はぁい。参謀ボウヤ。アタシの目を見て? いーち、にー、さーん……」


 数を数えるアンドレアルフスの声が少しずつ遠くへフェードアウトしていく。心地よい微睡に身を任せるように曇天はゆっくりと目を閉じた。


「っ……重っ……一体何が?」


 じわりと意識を取り戻した曇天。呟いた声はいつもよりも高音に感じた。見慣れたものよりも小さな手足。身体の上にはマネキン人形が覆いかぶさり、大口を開けている。


「ッ!!」


 次から次にマネキン人形が曇天へと覆いかぶさり、襲い掛かって来る。大きな影がマネキンを蹴散らし、大烏が曇天を庇う。


「おいおい! 人間のガキがこんなとこで何してんだよっ!」


 目の前に広がる光景は幼いあの日と全く一緒のものだった。ヨウム悪魔ビンカマジョール・ペリウィンクル・ボイニクス・ラウムと初めて出会ったその瞬間だ。


(どうしてこの日に?)


「なにぼんやりしてやがる! ここは危ねぇからさっさと逃げろガキ。邪魔だ!」


 ヨウムの声で我に返った曇天はその場から駆け出した。体力が無いのは昔も今も変わらない。早々に足がもつれて、モールの裏口付近で曇天は転倒する。


「まあ。美味しそうなボウヤ。この辺でバカインコ見なかったかしら?」


 何も答えずに派手な見た目の大柄の男を見上げる曇天。


(あの時。僕はアンドレアルフスにも会っていたんですね)


「本当に美味しそう……それに、とっても頑丈そうな心と身体……ねぇ。ボウヤ。アタシと契約し・な・い? アナタの欲しいもの、アタシは全部あげちゃうわよ♡」


 無言を是と取ったのか、頬へ両手を添え、曇天の耳元で囁く派手な悪魔。曇天へ顔を近付け、曇天の唇を奪おうとするその瞬間、高温の炎が目の前の悪魔を包み込む。


 派手な悪魔を包み込み燃やし尽くそうとする青白い炎。その飛沫が飛び散り、曇天の肌をも焼き焦がし、溶かそうとする。


 痛みは感じない。ただ少しずつ、優しく青い炎が曇天の肌を崩していく。


 感じたことのない不思議な感覚と、生まれて初めて見る光景。


 曇天はその美しさに酷く魅了され、じっと崩れゆく自分の身体を見詰めて微笑む。


「ちょっ、大丈夫かよっ! 巻き込んじまってたのかっ! って……お前微笑ってる? なんつー不気味なガキだよ……普通は慌てふためいて逃げるもんだと思うんだが……」

「どうして? この炎、凄く綺麗ですよ?」

「いやいやいやっ! 掴まれっ! ちと炎弱めて治療してやるから、死んじまうって!」


(そうか。ここで彼の手を取ったことで彼との縁が繋がったんだった)


「生きていてもロクな目に遭いませんから。僕がこのまま消えたところで何も変わりません……」


 首を振った曇天は手を伸ばさない。逆上したアンドレアルフスに、炎を弱めたピィちゃんがヨウムにされたところでまた記憶は途切れる。


 どれくらいの時間眠っていたのだろうか。次に目が覚めたのは静かな夜の浜辺だった。


 満月はとうに天頂へ昇り、真っ黒で穏やかな波が浜辺へ打ち寄せる。延々と続く何処か居心地の良い海辺の光景に、出口があるとは思えなかった。


「これで良かったんです。口煩いインコとの縁が切れるなんて万々歳じゃないですか……」


 うそぶく曇天。見つめた半身は火傷の跡が痛々しく残る。そう。自分の負けなのだ。結局なにも成せず、利用される。いつも通りではないか。


「ふっ……うっ……はっ……ははっ……あっはっはっはっ……はっ……つッ……」


 触れた頬を伝い冷えていく温度を指先に感じた。愚者への嘲笑。いい得ようもない喪失感と解放感。諦めや落胆。もしかしたら悲しみも混じっているのかもしれない。


 胸の内ではどろどろと様々な感情が掻き混ぜられ、侵され、グラグラと煮詰められていく。混乱した脳は訳の分からない反応の値を示す。


 自分の内にはこんなにも色々な感情が住み着いていたのだろうか。生まれて初めて自身で感じた感情の欠片たち。


 浜辺の風に頬を晒してぼんやりとしていれば、幾分か頭も冷えたようだ。極薄い無精ひげをなぞり、なんとなく目をやった浜辺の岩陰。


 目が暗闇に慣れたせいか、ハッキリと女性が蹲るシルエットを確認することが出来た。小刻みに肩を震わせている様から、そのシルエットが泣いているのであろうことが推測される。



 ――――18――――

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