第13話

       ◆



 信じられない。

 それが僕の胸に湧き上がり、息をすることも忘れさせるほどの衝撃の中心だった。

 こんなことがあるのか。

 ジャーナリストを名乗る男が見せてくれた海外メディアによる、リューゼス連邦によるメリダ国への侵略戦争に関する報道の一部は、まぎれもないこの街、ダァナ市について触れていた。

 それも、ダァナ市では情報操作が行われているのではないか、という切り口で。

 ある報道では、ダァナ市当局はありもしない死者を計上し、外部に報道しているとしきりに訴えていた。あまりにも死者の数は爆発的に増えすぎていると、グラフで示されていた。

 また別のメディアは、ダァナ市が許可した墓地の撮影や火葬場の撮影に、不自然さ、つまり作為があると分析していた。

 さらに他のメディアは、高高度基地局を介したダァナ市からの情報ネットへのアクセス数に不審な点があると報道している。生存者の数からの推計よりもはるかに多くのアクセスがあるという。どうやってアクセス数を割り出したかは知らないが、真実味があった。

 僕が一番驚いたのは、ダァナ市から脱出した民間人の数を概算ながら調べ上げ、それと元々の公式記録であるダァナ市の住民の数、そしてダァナ市が発表している戦争開始以降の死者の数を照らし合わせている報道内容だった。

 この住民の数を分析した報道では、数字の食い違いは自明であり、元の住民の数の記録に大きな誤りがあるわけもないし、脱出した市民の数をどれだけ少なく見積もっても、当局が発表している死者数はおかしい、と伝えていた。

「どうですか?」

 何も言えず、目の前のコンピュータのモニタを見つめながらただソファに座っている僕に、ジャーナリストの男が声をかけてくる。彼の仲間がその場にあと三人いたが、その三人は無言だった。無関心なのではなく、僕の様子に最大限の注意を払い、言葉にならないもの、僕の心の内を少しでも感じ取ろうと集中しているのだとわかった。

「どうですか?」

 もう一度、同じ問いを繰り返されても、僕は答えられなかった。きっかけにするためか、彼が話し始めた。

「私たちも、最初はメリダ国が用意した情報ネットを使っていました。高高度基地局を使っていました。しかし、それではどうしても接続できないものがあると気付きました。それどころか、接続できる対象が限定されているのです。これは情報統制だとすぐにわかりました」

 それは、僕たちも気づいていた。国営放送のニュース配信以外、ほとんど情報が入ってこなかったのだ。

 ジャーナリストは静かな調子で、子どもにもわかるようなはっきりとした発音、はきはきとした発音のメリダ国公用語で言った。

「それから、私たちは個人的に用意した中継アンテナを使って、衛星通信で情報ネットにアクセスするようにしました。あなたたちが間違ったことをしているのを、私たちは世界に伝えているのです」

 間違ったことを、している。

 その通りだった。

 まさかここまで露見しているとはわからなかった。

「お願いがあります」

 ジャーナリストの男が言った。

「あなたを取材させていただけませんか? あなたの安全は、保証します」

 やっと僕は目の前のモニターから目を離し、床を見た。埃まみれで、細かなゴミが散乱している。しかし不衛生な感じはせず、むしろここは秘密基地のようだった。

 ダァナ市という地獄、ダァナ市という嘘まみれの街とは違う場所。

 誰も何も喋らなかった。

 僕はゆっくりとソファから立ち上がった。

「ここで見たことは」僕は言葉を絞り出した。「忘れることにする」

 ジャーナリストたちは、特に気落ちした様子でもないが、一人がタバコにやっと火をつけ、もう一人はテーブルに置かれたままだったグラスに手を伸ばした。

 僕はここへ招いてくれた男に見送られて部屋を出て、階段を上がった。

 外はもう夜のそれだけれど、先ほどまでとまるで違って見えた。

 この惨劇の責任の一端は、間違いなく僕にもあるのではないか。

 僕が間違わなければ……。

 僕は、何を救ったのだろう?

 覚束ない足取りで、僕は仕事場であり、生活の場所でもあるシェルターへ戻った。薄暗い階段を降りていき、重い扉を開き、湿気った空気に満たされた地下空間に入る。

 どうした、とユルダが声をかけてきた。彼はちょうど、外へ出ようとしていたらしい。

 僕は答えようとした。

 何を答えようとしたかはともかく、何かを言おうとしたことは確かだ。

 その時、背後で、激しい足音が重なり合い、あっという間にすぐ背後、扉の外に迫るのがわかった。

 僕は何もできなかった。

 ユルダは、僕に飛びつき、壁際へ転がった。

 扉が押し開けられ、何かが入ってきた。まるで影に見えた。最初はよく見えなかったが、それは黒一色のスーツを着た戦闘員で、自動小銃には見覚えがあった。メリダ国防軍の制式採用しているそれ、ミリュー大佐の従える兵士たちの持っていた銃だった。

 いきなり光が爆ぜ、次には銃声が耳をつんざいた。

 僕は身を硬くして、ユルダとともに転がっているしかなかった。

 激しい銃撃はまるで統率がとれていないように見えたが、悲鳴が連続する以上、彼らには敵が見えているらしい。

 敵? ここは民生を司る官吏の生き残りしかいない。

 敵じゃない、味方のはずだ。

 兵士たちはシェルターの奥に入っていく。僕の同僚たちは激しい混乱の中で、銃撃に跳ね飛ばされ、倒れていった。

 いくぞ、と低い声が聞こえたかと思うと、体を持ち上げられた。

 他でもない、ユルダだ。

 僕は足をもつれさせながら、彼とともに扉に走った。転びそうになるが、転べば死ぬと確信していた。その確信が僕に超人的な身体能力を与えたようだった。

 扉を抜ける寸前、兵士の一人がこちらに気づき、発砲したようだった。甲高い音がすぐ耳元でしたが、僕はユルダとともに構わず扉を抜け、階段を駆け上がった。

 足音が背後から迫ってくるようにも思われたが、地上へ出て、どこへ向かうでもなくひたすら走っているうちに、誰も追ってきていないのは理解できた。それでも息が続くまで、僕もユルダも走った。

 走って、走って、走り続けて、どこともわからない場所で僕たちは倒れこんだ。

「なんだ、あれは……」

 ユルダが小さな声で言った。

「なんで、俺たちが、攻撃される……?」

 僕は息が上がって言葉を返せなかったが、ユルダの疑問には答えられる。

 僕が余計なことを知ったからだ。知らなくてもいいことを知った僕に、軍は素早く手を打ってきた。僕たちを生かしておく理由は、きっとさほど大きくなかったのだろう。

 むしろ、情報の捏造に関与しているものは、どこかで処理したかったはず。

 状況と思惑がかみ合い、結果、事態は動き出した。

「ユルダ、ここは」やっと息が整ってきた。「危険かもしれない、どこかに、身をひそめよう」

 ああ、とユルダが答えたようだったが、彼は起き上がらなかった。

 大丈夫か、と僕は彼に手を貸そうとした。

 うつ伏せの彼の背中に手が触れた。

 ぬるりと、粘り気のある液体が手を濡らした。

「……ユルダ?」

 友人は、もう一言も言葉を返さなかった。

 荒かったはずの呼吸はあっという間に静かになり、間隔が間遠になり、やがて完全に止まった。


 僕は夜の闇に沈むどことも知れない廃墟の一角で、一人きりになった。

 涙は出なかった。

 ただゆっくりと立ち上がり、痛む足で歩き始めた。

 もうできることは何もないように思えるのに、何かをしようとする自分が不思議だった。

 足は進む。

 進み続ける。

 やるべきことは、まだあるかもしれない。

 やらなくてはいけないことが。



(続く)

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