010:「冬の大灯籠祀り」

 海神市内で一月に執り行なわれる『冬の大灯籠祀り』。現在は海神市冬の一大イベントとして県内外、更には外国から大勢の観光客が訪れるようになっていた。


 宝多島の小さな尼寺から始まったと言い伝えられているささやかななお祀り、幼子供養の灯籠流しが平成、そして令和の世となり、アジア地域の祭りであるはずの「天灯」を取り入れいつの間にか海神市全体、天空への空流し、更に海への灯籠流しへ。

 夜空に無数の灯籠が光輝く冬の一大イベントとなっていた。


 冬の大灯籠祀り当日が愛衣ちゃんの誕生日である。


 ******


 高校に到着する、教室へ到着し何時もの通り席に座る。変わりな……

「……ん? なんだ、雰囲気が違う」


 独り言を呟く。教室の雰囲気が何時もと違っていた。かなりザワついている。

「聞いたか?」

「ああ、メッチャメチャ可愛いらしいな」


 クラスメートの男子達が噂している。女子達もヒソヒソ話。

「四組の転校生、マジ芸能人かってくらい可愛いらしいぜ」

「ああ、今友達が見に行ってる」


 どうやら超絶美少女転校生が転入してきたらしい。イベントの少ない地味な進学校。その日は「超絶美少女転校生」の噂で持ちきりだった。

「ふむ、こんな時期に転校生? まるでラノベだな」


 独り言を呟く。噂が次々と耳に入る。

「三年の先輩が速攻告って断られたらしいぜ」

「編入試験全科目満点ってマジらしいぜ」

「なんか訳あってこの学校に来たって噂だぜ」

「好きな人がいるって話しも……」


 結局一日噂ばかりが先行し、俺自身は美少女転校生に会うことは出来なかった。

「まぁいいさ。転校生なら何時かは出逢えるだろう……」


 放課後、俺は急いで下校。バイトは休みをとった。今日はある人に呼ばれ鬼隠まで行かなければならなかったのだ。急ぎ海神駅に向かう。


 超絶美少女転校生との「脳内恋愛」はまた今度にしておこう。脳内恋愛ならばどんなハーレム系でも問題ないし。


 ******


 真理亜さんが通う「明陽館学園大学」。海神市平浜の「館地区」にある総合大学である。都内一流大学に匹敵する日本屈指の有名大学。


 だが、昭和時代に建てられた大学校舎は耐震基準を満たせず、来年には高等部と同じ鬼隠北へ移転される事になっていた。


 学園キャンパス内。

「おーい國杜。ちょっと待ってくれ」

「……はい」


 真理亜さんを呼び止めたのは明陽館学園高等部「男子校」の先輩、『大学の先輩』。大学では同じ学部の先輩である。


 真理亜さんが通っていた頃の明陽館学園の高等部は「男子校」と「女学校」に分かれていたが、中等部までは共学、見知った人も多かった。また元々同じ大学が母体、男子校と女学園の交流も共学化前から盛んだった。


 その中でも『大学の先輩』は真理亜さんの一個年上。今年卒業予定の大学四年「男子校」で生徒会長を務めた人物であった。

「國杜、今日暇か?」

「あ、あのぉ……」


 真理亜さんは言い淀んだ。

「ああ分かってる、分かってる、忙しいのは。でも折角の大学生活、家と学校の往復じゃあ余りにも……國杜も来年就活生、遊びたくても遊べなくなるでしょう?」


 人の良さそうなイケメン先輩。

「いいんです。大学を卒業しきちんと就職する御爺様との「約束」ですもの。それまでは遊んでなんかいられません」


 大学の先輩は真理亜さんに立ち塞がるように立ち塞がり説得を続ける。

「ちょっと飲みに行く位なら良いでしょう、ね。お酒は飲めるでしょう?」

「……それは」

「子供だって一日くらいならベビーシッターとかに預けること出来るだろうし。そろそろ冬の灯籠祀りじゃないか、皆楽しみにしている」


 食い下がる大学の先輩。

「先輩は彼女さんとは行かないんですか?」


 そして『大学の先輩』はカノジョ持ち。それでも現在陽明館学園大学ナンバーワンと噂されている美人、真理亜さんを狙っていた。

「國杜とは飲みに行くだけだしね。それに皆で行こうと思ってるんだ」


 真理亜さんは深々と頭を下げる。

「ゴメンなさい、ご一緒する事は……出来ません」


 そのまま「大学の先輩」のウザったい誘いを振り切り、宝多島へ。愛衣ちゃんのお迎えに向かった。

「…………」


 二人の様子を物陰、大学の校舎外、遠くから双眼鏡で見つめる人影。

「…………」


 人影は「でっぷりとしたお腹の中年男性」真理亜さんを監視していた。スマートフォンに自身の声を録音。

「監視対象A、娘を迎えに行きそのままアルバイトの予定。ワイはこれから監視対象Bの所へ移動する。以上」


 中年男性はレンタカーに乗り込んだ。


 ******


 夜、俺は鬼隠から帰るとそのまま宝多島、國杜家に向かう。

 スマートフォン、時間を確認する。

「今日も泊まりかなぁ」


 まだ深夜帯とは言えない時間。小さな島でも人通りはそれなり、國杜家は町外れの一軒家であることが救いだ。


 若い女性の住む家に見知らぬ若い男が出入り……宝多島は小さい。すぐに変な噂が広まってしまう。それは真理亜さんにとって良くない事だろう。


 周囲を入念に確認し、誰もいなくなった瞬間を見計らい玄関のドアを開け、閉める。周囲を再確認。人の気配無し。

「ふう」


 どうやら誰にも見られなかったようだ。

「ダーリンおかえり」

「ただいま、愛……ハニーちゃん」


 愛衣ちゃんが駆け寄り俺にギュッと抱きつく。子犬みたいに俺にじゃれついてくる。その瞬間は最高の気分だ。


 真理亜さんも笑顔で出迎えてくれる。

「お帰りなさい、さん。ちょうど今からご飯ですから」

「何時もすみません、ありがとうございます」


 最初のうちはかなり警戒されていたような気がするけれど……ゆるふわ年上天使様は大分俺に打ち解けていた。今は俺の事を名前で呼んでくれる。名前で呼ばれるたび感激して泣きそうになってしまう。もう死んでもいい。


 真理亜さんは三つ編みまんまる眼鏡、UNIQ●Oスウェット。それでも抜群過ぎるスタイルは隠しきれない。愛衣ちゃんは眼鏡を外し小悪魔モード。


 テーブルに座り三人で食事、俺の家では滅多に無かった。愛衣ちゃんと真理亜さん、二人と一緒にいられる幸せだ。


 いっそ両方と…… 

「今日のご飯は親子丼です」

 うお! 「親子丼」ですか!? 妄想嵐。

「…………」 

「いいただきます」

「……親子丼……親子丼……親子喰い」

「ダーリン?」

「綾一さん?」

「はっ! すみません」」


 よからぬ想像が俺の脳内を駆け巡る。いかんいかん。気を取り直す。

「そう言えば、愛衣ちゃんもうすぐ誕生日なんだってね」

「うん。ハニーってよんで」

「はいはい、ハニーちゃん。欲しいプレゼントはあるかな?」


 愛衣ちゃんの誕生日、プレゼント準備しなきゃね。

「うい、ダーリンと灯籠祀り見に行きたい」

「冬の大灯籠祀り?」

「うん」


 真理亜さんも笑顔で話す。

「去年も愛衣ちゃんと二人で見に行ったんですよ。鬼ノ子山キャンプ場、とても綺麗でしたよ」

「そうですか。そう言えば俺はしばらく行って無かったですね」


 毎年盛大に執り行なわれる海神、冬の大灯籠祀り……今までの俺にとっては「脳内恋愛」の大イベントの一つになっていた。


 でも、最近は家の窓から見ている事がほとんど。

「わかった、いこうか」

「嬉しい」


 愛衣ちゃんがひっついてくる。カワイイ。

「デート……それからそれから……うい、ダーリンとの子供がほしい」

「「え!」」


 俺と真理亜さんが同時に叫んだ。

「ういとダーリンは結婚しているの、だから子供がいるの当然だよ。うい、三人くらい子供欲しい」


 愛衣ちゃん大真面目。

「いやぁ~その……」

「うふふふ」


 俺は困惑。真理亜さんは苦笑。た、確かに……だがしかし。リアル飯事もリアル過ぎれば色々問題が発生する。子供が子供を。違う違う。

「ダーリンは何人くらい欲しいの? いっぱい? うい頑張っちゃう」


 その発言は、その……あの。

「真理亜さーん! 愛衣ちゃん子供授かり方知ってるんですか!」

「知るわけ無いでしょう!」


 俺と真理亜さんは慌てふためく。

「愛衣ちゃん、プレゼントの事はまた今度考えましょうね」

「そ、そうだなぁ。愛衣ちゃんぬいぐるみとかも良いかもなぁ……」


 愛衣ちゃん、おもむろにタブレットを取り出し検索。

「ググっちゃダメ! 絶対ダメ」


 俺と真理亜さん。顔を引きつらせながら愛衣ちゃんに話しかける。

「他に欲しいものは無いのかな」


 慌てふためく二人をじーーーーっと見つめる愛衣ちゃん。

「……わかった」

 愛衣ちゃんは頭も良く勘が鋭い、この話題は問題アリと見抜いたのだろう、それ以上子供の話をする事は無かった。



 食後は愛衣ちゃんと一緒に過ごす、絵本を読んだり、一緒に遊んだり。少しでも真理亜さんの負担を減らせれば幸いだ。

「ダーリン何してるの?」

「お絵かき」


 俺は自宅から用意してきたタブレット端末を取り出しお絵かき。ラノベ表紙用イラストを作成していた。

「ごほんのイラスト?」

「そう、俺はライトノベルのイラストレーターになりたいんだよ」


 夢の一つだ。ツイッター(X)にもアカウントを作り、時々イラストをアップしている。

「ういもお絵かきする」



 暫く二人でお絵かき。

「ハニーちゃん。上手に描けたかい?」

「うん。ういダーリンを描いたよ」


 愛衣ちゃんがタブレットを俺に見せる。

「どれどれ、おお上手だね」

「うい、絵も得意。お友達も上手って言ってくれる」


 俺の事を描いたと言う愛衣ちゃん、クレヨンで描かれた絵の出来映えは……五歳児らしいカラフルな色彩。上手な方ではなかろうか。


 愛衣ちゃんは俺のタブレットを覗き込む。

「ダーリンの絵は微妙。ういの方が上手」

「…………そ、そんな事は無いぞ」


 五歳児から見ても俺に絵は微妙に下手くそに見えるらしい。何故だ! ツイッター(X)に上げても反応薄! イラストレーターの道は遠いのか。


 絵を描き終えた愛衣ちゃん、カワイイ欠伸。そして背伸び。

「ダーリン、お風呂」

「はい、お姫様」


 愛衣ちゃんと一緒にお風呂に入る。もう慣れた、JCやJKモードの愛衣ちゃんも魅力的だが、俺にとってはが一番大切なんだ。この子の成長を守ってあげたい。


 何となく、カレシというより父親パパになってる気もするけど。

「ダーリン髪洗って」

「はいお姫様」


 将来有望なお姫様の髪を洗う、全力で「好き」といってくれ。そして全力で俺に「甘えて」くる。ちょっとワガママだけど、とても可愛いお姫様だ。

「俺は小さなお姫様を守護するナイトですから」


 愛衣ちゃん頬をプクリと膨らませる。

「違う、ダーリンはダーリン。ういの旦那様なの」

 ふう、でもって愛衣ちゃん。五歳児なりに本気なんだよな。


 お風呂から上がると愛衣ちゃんはすぐ眠ってしまう。今日もお風呂上がり、髪の毛を乾かしている最中ウトウト……俺はそのままお姫様抱っこでベッドまで運ぶ。

「お休み、お姫様」


 愛衣ちゃんを寝かしつけるのも上手になった。

「愛衣ちゃん寝ましたよ」

「いつもありがとう綾一君」


 真理亜さんも一仕事終えたようだ。家事と勉強を済ませていた。

「勉強も終わったんですか?」

「ええ、綾一さんのおかげですね」


 パジャマ&まんまる眼鏡姿の真理亜さんも美しい。真理亜さんもお風呂上がり。石鹸の香りで目眩がする。その笑顔に癒される。


 リビング、真理亜さんは冷蔵庫からグラスを二つ取り出した。

「今日は久しぶりに飲んじゃおうかなぁ~って買ってきちゃった」

「真理亜さんお酒飲めるんですか?」


 俺の問いかけに対し真理亜さんは頬を膨らませ不満そうに答えた。

「あ~っ、わたし大人なんですよ。お酒くらい飲めますぅ」

「綾一君一。緒に飲む?」

「高校生……未成年っす」


 真理亜さんウインク。

「うふふ……」

 真理亜さんは悪戯っぽく笑った。


 ******


 一時間くらい経過しただろうか? もう直ぐ深夜帯。

「ふふふ……」


 真理亜さん麦酒ビール缶とワインの空瓶が転がっている、俺はずっと麦茶。

「大分飲んでいます?」

「ぶぅ~わたしはお酒強いんですよ」


 ほろ酔い状態の真理亜さん、ゆるふわに加えお酒によってほんのり頬が染まり目は潤んでいる、真理亜さんの色香が何割増ししんやりょうきん

「ホント久しぶりにお酒飲めちゃった。ありがとう綾一君」


 真理亜さんだってまだ二十代、遊びにだって行きたいだろう、本当は飲み会だって行きたいのかもしれない。グローバルランドであれだけはしゃいでいたんだ。

「たまには息抜きしてください。飲み会とかコンパあるんじゃ無いですか? 愛衣ちゃんを俺に任せてくれれば大丈夫ですから」

「ヤダ」

「何故?」


 真理亜さん目がトロンとしている。結構酔ってる?

「嫌なんですか?」

「嫌じゃ無いわ」

 何か支離滅裂、でも隙だらけの真理亜さんもカワイイ。

「わたしから愛衣ちゃん取らないでぇ」


 酔っ払った目で俺を睨む、俺は苦笑しながら。

「取らないですよ」

「だってぇー。愛衣ちゃんダーリン、ダーリンって綾一君にばっかり甘えるんですもの。ちょっと前まではマムーマムーってくっついてくれてたのにぃ~」


 真理亜さん口を尖らせ抗議。また麦酒ビールを一気飲み。


 お酒に飲まれている真理亜さん、隙だらけ。はみ出た下着がとても際どい。エロい。胸元が見えそうでヤバい。サキュバス力が上昇している。

「ま、真理亜さん」

「まだまだらいじょうぶ……」


 不味いな、真理亜さんはお酒に弱い、少し油断するといとも簡単に「お持ち帰り」されてしまいそうだ。

「綾一君ひどいよ~いっつも愛衣ちゃんばっかり甘やかしてぁ」

「確かに……でも真理亜さんだってたまには甘えて良いんですよ、家事に仕事に大学生活。大変なんですから」

「いいの? 綾一君甘やかしてくれるの?」

「はい」


 俺は笑った。真理亜さんが俺を見つめる。

「なんですか?」

「じー」


 真理亜さん見つめられドキドキしてきた。

「撫でて、頭撫でて」

「はいはい」


 真理亜さんの頭を撫でる。トロンとしている真理亜さん。普段は警戒心が強い人だけど、気持ちよさそうに頭を撫でられている。

 まるで子猫みたいだな。

「んー綾一君撫でるの上手、気持ちいい」

「は……はいぃ」


 真理亜さんの全身からフェロモンが溢れ出ている! よからぬ妄想で頭がいっぱいになる。脳内恋愛モードがどんどんアダルトモードに……ゴクリ。

「綾一君って良いお父さんみたい」

「お父さん、ですか。旦那さんじゃなくて?」

「うふふ、綾一君は愛衣ちゃんの旦那様なのですから」

「でも、真理亜さんにとって俺は良い「お父さん」って事ですかね」


 一瞬だけ驚いた表情になった。

「真理亜さん? 真理亜さん!」

「そ、そうね。綾一君はわたしの素敵な父親パパになってくれるのかな」


 真理亜さんは少し寂しげに俺を見つめた。そうなんだ、真理亜さんは「父」がどんな人なのか知らない。両親の愛を知らない。

「パパ……パパみたいな人」


 真理亜さんにとって「パパ」「父親」という一言には色々な意味が込められている。

「パパは娘を思いっきり甘やかすものですよ」

「ホント?」

「ええ、パパは娘が大好きなんです」


 真理亜さん暫く沈黙。

「お姫様抱っこして」

 小さな声。

「え!?」

「お姫様抱っこぉ」


 真理亜さん俺に抱きついてくる。そのまま押し倒された、お酒……GJ!

「まっ真理亜さん」


 全身に真理亜さんの柔らかさが伝わってくる。

「ふぉぉぉ~~~~」

 俺は叫ばずにいられない。

「抱っこぉ」


 完全に酔っ払っている。お姫様抱っこをするまで離れないかも知れない。それはそれで幸福だけど、「パパ」として真理亜さんの願いを叶えてあげたい。

「よっしゃ!」


 俺は真理亜さんをお姫様抱っこ。愛衣ちゃんなら軽々持ち上げられるが……年上女子大生は流石にキツイ。

「おおおおおお」


 力一杯持ち上げる。踏ん張りなんとか持ち上げる。

「綾一く~~~~ん。酷い、わたしそんなに重くないよ~」


 真理亜さん怒って俺をポカポカと叩く。

「この二十二歳児がぁ!!」


 必死になって持ち上げる。もうちょっと筋トレしときゃ良かった。俺に抱きついている真理亜さん。小さな声で呟く。

「「父親パパ」ってこんな感じなのかな……」


 御老人は孫娘を厳しく育てたという……幼少期の真理亜さんは誰にも甘える事が出来なかった。多分、ずっと甘えていたかったのだろう。

「すうすう。パパ……」


 次の瞬間いきなりドアが開いた。

「ダーリンおトイレ行きたい」


 眠い目を擦りながら愛衣ちゃんが起きてくる。

「おっと」


 愛衣ちゃんと目が合った。俺真理亜さんをお姫様抱っこ状態。気まずい雰囲気。

「ダーリン、浮気絶対ダメ」


 愛衣ちゃんは俺の足に噛みつかれた。

「いてて、ごめんごめん」

「愛衣もお姫様抱っこぉ」

「はいはい」


 真理亜さん静かに寝息を立てている、いつの間にか寝落ちしてしまったようだ。お姫様抱っこしたまま部屋移動が無理。ソファーに寝かせそのまま毛布を掛ける。


 今度は愛衣ちゃんをお姫様抱っこ。

「ダーリン幸せ」

 愛衣ちゃんが寝落ちするまで抱っこし続けた。


 ******


 暫くして、二人は完全に眠ってしまった。愛衣ちゃんをベッドに戻し、再びリビングへ。真理亜さんも静かに寝息を立てている。

 真理亜さんの寝言。

「メイ……先輩……」


 時々聞く「メイ先輩」と言う寝言……時々聞く人の名だ。誰だ?


 もしかしたら、愛衣ちゃんの父親? でも「メイ」? 女性のような気がするのだが……


 眠っている真理亜さんを見つめる。

「隙だらけの真理亜さん、可愛かったな」


 ずっと気を張りっぱなしだったのだろう。女子大生でありながらママをしている……その生活は多分想像以上に厳しかったはずだ。


 ******


 今日、俺は鬼隠に行っていた『御老人』に呼ばれていたのだ。

 御老人は緊急手術で一命を取り留め、今は集中治療室を出て一般病棟に移っていた。

「よく来てくれたのぉ」

「お加減はどうですか?」

「大分良いよ、看護師さんも良くしてくれている。じゃが……もう家に帰る事は出来ないじゃろう」

「御老人……」


 御老人は遠い目をして窓の外、大都会の風景を眺めていた。いや、この場所からは見えない宝多島、自宅の方を見つめていたのかもしれない。

「孫娘に、真理亜に子供の世話だけで無く、こんな老いぼれの介護を任せるわけにはいかぬからのぉ」

「…………」


 俺は沈黙するしか無かった。まだ俺は高校生、どうすることも出来ない。

「孫娘は……真理亜は余りに不憫な子じゃ」

「真理亜さんのご家族は一体?」

「あの子は不倫の末産まれてきた子じゃ」

「……不倫? ですか」


 真理亜さんの母親、御老人の一人娘はかなり奔放な人物だったらしい。病気で早くに母、御老人の妻を亡くし男一人で育てられたと言う。 

「甘やかしすぎたのか? それとも儂の教育が間違っていたのか? 結果よくわからぬ男と不倫して泥沼の関係に陥った後、真理亜を出産した」


 その後、更に別な男と失踪したという話しだった。

「真理亜さんは……」

「真理亜は母親に名前すらつけて貰えず、捨て猫のように儂の所に置いて行かれた」


 ゆるふわ年上天使様の過去は壮絶だった。

「儂はそんな孫娘が不憫で、不憫で、立派な孫娘にしようと今度は逆に厳しく育てすぎてしまった。数多くの決まり事、「約束」で孫娘を縛り、がんじがらめにしてしまった」


 御老人はしわがれた手を強く握りしめ俯いていた。全身から後悔の念が溢れ出している。人前で涙を流す。

「……御老人」

「儂が教授として務めていた明陽館学園に入学させ、儂の手元で無事大学を卒業し就職するまではと思っていたのじゃが……まさか愛衣が……」


 厳しく育てられた、真理亜さんの所作や性格がゆるふわっぽい包容力のある女性にも関わらず、凜としているところは多分、御老人の厳しい教育の賜物だろう。


 國杜家は海神藩上級武士の家系。ずっと気にはなっていた。しかし……謎が一つ。

 そんな真理亜さんが……何故愛衣ちゃんを出産する事になったのか? 謎は深まる。

「愛衣の父親という人物から毎月多額のお金が振り込まれている。じゃが真理亜はそのお金に決して手をつけようとはしなかった。今も主に儂の年金だけで生活している、厳しい家計のはずなのに」

「…………」


 一体俺は何をすれば良い? 何が出来る。

「儂はもうあの家には戻れぬ、仮に退院したとしても、歩くことすら侭ならなくなったこの身体ではもはや……」


 御老人はある覚悟を決め、俺を呼び出していたのだ。

「御老人」

「綾一君「約束」して欲しい……」

「俺は。何をすれば二人を幸せに出来るのだろうか?」

 俺は老人の提案に対し、すぐに答えを出すことは出来なかった。

「脳内恋愛なら……」


 一人呟く。考えなから病室から出ようとする。脳内恋愛ならこんな問題簡単に解決できるだろう。チート能力、ご都合主義展開。

 美少女、美女の笑顔を守るなんて造作も無い事だ。だけど……

「リアルはホント面倒くせえな」


 衝撃、誰かとぶつかってしまった。

「す、すみません」

「こちらこそえらいすんまへん」


 衝突したのは「でっぷりとしたお腹の中年男性」。若干胡散臭そうなオッサン。室内なのにサングラス、顔はよくわからない

「…………」


 俺は何故かデジャブを感じた。

「では」

 中年男性は足早に立ち去っていった。


 ******


「俺は、二人を守れるのか?」

 静かに寝息を立てている真理亜さんと愛衣ちゃん。


 只の高校生である俺に二人を支える力はあるのだろうか? 何もしてやる事は出来ないのだろうか?


 天使のような二人の側にいる。俺は脳内恋愛では解決できない「現実リアル」に対峙しなければならなかった。


 御老人の部屋、御老人のベッドが現在俺の寝室。天井を見上げずっと二人のことを考えていた。


 ******


 翌朝、真理亜さんより先に愛衣ちゃんが目を覚ました。

「マム、マム起きて、起きて」


 ソファーで眠って居た真理亜さんを揺さぶり起こす。

「う~ん、頭痛い。気持ち悪い。愛衣ちゃんそんなに揺らさないで」


 真理亜さん二日酔い状態。朦朧とした意識。

「マムってダーリンのことが好きなの?」


 その一言は真理亜さんを完全にフリーズさせてしまった。

 母親をじっと見つめている娘。

「……え? そ、そんなことは」

「好き?」

「そ、そんな事は……」


 何故自分が言い淀んでいるのか、真理亜さん自身よくわかっていない。

「ういがいるから? ういがマムを呪っているの? うい呪われた子なの?」

「そんな事ないわよ」

「ういがいない方が幸せ?」

「違うわ!」


 真理亜さんは愛衣ちゃんを力一杯抱きしめた。「呪い」メイ先輩の言葉がフラッシュバックする。

「絶対違う、だからそんなこと言わないで……」


 それでも賢く鋭い愛衣ちゃんは自分自身の存在が真理亜さんにとって大きな負担になっている事に気付いていた。



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