第15話 時間売買の副作用

 愛理たちを乗せた車が発進してしばらくは、車内は無言に包まれていた。信号が赤で停まり、ようやく母親が口を開く。


「何を悩んでいたかはわからないけど、いつでも塩はもっていなさないよ」


「お母さんって、どうしてそんなに塩にこだわっているの?」



 愛理の母親は、昔から家族に清めの塩を持たせていた。愛理の妹の美夏が犯人に殺されずに済んだのは、母親が持たせてくれた塩のおかげだ。しかし、愛理はどうしてそこまで母親が塩にこだわっているのかわからなかった。


「そうねえ、お母さんは、みんなに危険な目に遭ってほしくないからかな。風水にはまっているのも、その影響ね。家を清潔に保つこと、運気を家に呼び込むことは大事だと思ったのよ。だって、そうしたら家の厄が落ちて、家族みんなが安全に安心して暮らせそうでしょう?まあ、一番の理由は……」


 そう笑って話す母親は、どこか寂しげな表情を浮かべていた。最後の言葉は、愛理に聞かせるつもりはないのか、ささやくような声で、愛理の耳に届くことはなかった。


「珍しいわね。いつもは、どうして塩を持たせるか、なんて聞かないのに。風水に興味でも持ったのかしら?それで、塩の重要性に気付いたのかしら」


「別にそういうわけではないけど、ただ、塩は私たちを守ってくれたから、これからも肌身離さず持っていようかなと思っただけ」


「やっと、塩のありがたみがわかったのね」


 信号が青になり、停まっていた車が動き出す。母親は先ほどの寂しげな表情を一転させ、後部座席に座る愛理に笑いかけ、車の運転に集中する。母親がそれ以上話すことはなかった。愛理もその後、母親に話しかけることはなかった。妹の美夏は、塾での勉強に疲れたのか、愛理の隣ですうすうと気持ちよさそうに眠っていた。


(私は、運がよかった。たまたまお母さんからもらった塩を犯人に投げて、けがもなく無事に生きている。でも、美夏は違う。どうしたら、妹の記憶が戻るのか。白亜の話は本当なのだろうか)


 愛理が考え事をしている内に車は家に到着した。駐車場に停めた車から、愛理と母親は外に出る。


「美夏、家に着いたから起きなさい!」


「はあい」


 寝ていた美夏に母親が声をかけると、眠たそうな声で美夏が返事をする。愛理が空を見上げると、今日は半月らしく、空には半分にかけた月がきれいに見えていた。




 愛理は自分の部屋にたどりつくと、今日の疲れがどっと出てベッドに倒れこむ、このまま寝てしまうのはまずい。眠たい目をこすりながら、一度一階に下りて、風呂に入った。さっぱりして部屋に戻ると、ベッドにごろりと横たわる白亜の姿があった。


「何やっているの?そこは私のベッドだけど」


『それがどうした。僕が使っても別にいいだろう?』


 白亜は、愛理のベッドだというのに遠慮がないのか、反省の色もなくベッドに転がったままだ。


『そうそう、今日塾で話したあの男の言うことを愛理が聞く必要はない。愛理が時間売買をやめる必要はない。ただ、副作用には気を付けた方がいい。副作用で気が狂う奴らも数多くいるからね』


「たとえ、人を狂わせるような副作用があろうと、問題はない。私は時間売買を続けるだけ」


『その意気だ。それはそうと、これは僕からの忠告だよ。時間売買の時に見る記憶に心を動かされるな。愛理の視たものは、彼らの過去であり、思い出、強い希望であり、過ぎ去ったもの。過去にとらわれた者たちの悲劇。飲み込まれるな』


「わかった」


『口で言うのは簡単だが、そう甘くはない。せいぜい、あがくことだね』

 

 自分の言いたいことを言い終えて満足したのか、白亜はその後、消えてしまった。残された愛理は、白亜の言葉を考えつつも、疲れていたので、ベッドに入るとすぐに眠りに落ちた。



「どうしてだ。○○、私を置いていくのか。私の愛しい人」


「別にずっと離れるわけではないでしょう。すぐに会うことができるわ。その時まで少しの間のお別れというだけ。泣かないで。それに、私はあなたが少しでも長くこの世の中をよくするために頑張る姿がみていたいの、それに、私とあなたにはあの子と居るでしょう。あの子のことを……」


「ああ、わかったよ。君の望みを私はかなえるよ。あなたのたった一つの願いなら」


 老夫婦が話をしていた。ここは、病院なのだろうか。女性の方がベッドに横たわり、その手を男性が握っていた。部屋は白く清潔だったが、どこか無機質な感じだった。


「ありがとう」



 場面は切り替わる。どこかの一軒家のようだった。家の中のリビングで二人の男性が言い争いをしていた。


「僕は父さんの跡は継がない!僕は父さんとは別の道で母さんの言う、人の役に立つ仕事をするって決めたんだ!父さんの今を見たら、母さんが悲しむ、どうしてわからないんだ!」


「うるさい。私はお前が私の跡を継いでくれると思って、事業を大きく発展させた。それなのに、お前という奴は」


「僕はそんなこと望んでいない!」


 言い争いをしているのは、息子と父親らしい。父さんと呼んでいる若い男と顔がよく似た中年の男性。彼らの言い争いは続いていた。


「父さんはわかっていない。母さんがどれだけ父さんのためを思って無理をしていたのか。父さんはもっと母さんをいたわるべきだった」


「母さんはもういない。母さんの分も生きると決めたから私は、げほ」


「父さん!」


「近づくな!」


「と、とうさ」



 いつの間にか、また場面が切り替わる。いい争いをしていた父親と息子がいるのは、同じリビングだが、様子が一変していた。あれから言い争いに歯止めがかからなかったのだろうか。とうとう、傷害事件沙汰にまで発展していた。父親の手には、鈍く輝くものが握られていた。床には、若い男性が倒れていた。男の周りには赤い血が広がっている。


「わ、わたしは……」


「とう、さ、ん」



「愛理、朝よ。起きなさい!今日も学校があるのよ!」


 愛理は目を開けた。母親の声が遠くで聞こえる。夢にしてはずいぶんリアルな感じで、まるで自分が誰かの記憶をのぞいていたようだ。ふと手で顔を触ると、目元が湿っていた。


「まだ起きないの。遅刻するわよ!」


 部屋の外で母親の大きな声が聞こえてくる。今まで見ていた夢とも現実とも言い難いものを見たことを考える暇もなく、愛理は急いで学校に行く準備を始めた。


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