第12話 初めての時間売買

 愛理は自分の時間を売ることに抵抗はなかった。自分の時間がどのように他人にわたるのか興味があった。老人は、自分の時間が延びるのを待ちわびていたようだ。そわそわと落ち着きがなかった。


「時間売買を始める前に、この契約書に記入してもらう。これは、時間売買の儀式に直接関係はないが、社会のルールにのっとって、後々問題が起こっても対処できるようにするためだ」


 百乃木が愛理と老人に契約書をわたし、記入を求める。そこには、名前や住所、電話番号のほか、どれくらいの時間を売るのか、金額に関する事項も書かれていた。どうやら今回、老人は一年間の時間を要望しているようだ。


「本当は、一年よりももっと時間が欲しいと言ったのだが、許可が下りなくて一年となってしまった。本当に一年しか時間を売ってもらえないのだろうか」


「やめたほうがいいですよ。本来、時間売買は、世の理を反しておこなう禁忌の儀式。それを行うだけでも人間への負担は大きい。少しの時間であっても、大きな代償が付きまとう。年単位で他人から時間をもらい受ければ、身体がもたないだろう。時間を渡す側も、もらう側も、どちらの身体にも危険が及ぶ」


 店の中で掃除をしていた女性、神田と紹介された女性が抑揚のない声で忠告する。じっと愛理と老人を見つめているが、何を考えているのか表情からはうかがうことができなかった。


「それにあなたの時間はもう……」


「それ以上はやめておけよ」


 神田が何かを言いかけたが、それを遮ったのは安田と呼ばれる男だった。


「悪いな。そこまで脅すつもりはなかったんだが。とりあえず、時間売買には相応の代償がいるということだ。それをわかってくれると助かる」


「わかりました」


「専門家がそのようなことを言うのですから、事実そうなのでしょう。仕方ありません。初回ということもありますから、今回は一年間の時間だけで大丈夫です」


 話している間に、契約書の記入は終わり、愛理も老人も契約書を百乃木に渡した。


「では、契約書の記入も終えて、忠告も致しましたので、これより、時間売買の儀式を執り行っていきたいと思います。では、お二人さん、手を前に出して、お互いの手を触れ合わせて。それから、目を閉じて」


 言われたとおりに、テーブル席に座っていた愛理と老人は手をテーブルの上に出して、手を重ね合わせる。そして、二人は目を閉じた。




『どうしてだ。○○、私を置いていくのか。私の愛しい人』


『別にずっと離れるわけではないでしょう。すぐに会うことができるわ。その時まで少しの間のお別れというだけ。泣かないで。それに、私はあなたが少しでも長くこの世の中をよくするために頑張る姿がみていたいの、それに、私とあなたにはあの子が居るでしょう。あの子のことを……』


『ああ、わかったよ。君の望みを私はかなえるよ。あなたの願いなら、どんな願いもかなえて見せる』



「朱鷺さん、朱鷺愛理さん!」


 愛理は自分の名前が呼ぶ声を聞き、ハッと顔を上げた。目を開けると、そこは、時間売買したカフェではなく、ベッドの上だった。白い壁に消毒薬のにおいがする部屋だった。どうやら病院にいるようだと気づいた愛理は、先ほどまで見ていた夢を思い出す。愛理が目覚めたことを知った百乃木が安堵のため息をこぼす。

「よかった。目が覚めましたね」


「今のは一体……。私はどうしてここに」


「あなたは、時間売買の儀式が終わってすぐに倒れてしまいました。ここが病院だということはわかりますよね。倒れたときは心配していましたが、なんとも内容で安心しました。老人はあのカフェの二人と今後のことを話しあっています。時間の売買は成功しました。それで、あなたはどのようなものを見ましたか?」


 百乃木の質問に愛理は正直に答える。


「時間売買したあの老人の記憶のようなものをみました。あれは……」


「ああ、やはり、それで、彼の時間を買いたいという理由はわかりましたか?」


 百乃木が迫るように愛理に質問する。顔は笑っているが、目の奥が笑っていない。その圧力に気圧されて愛理は言葉に詰まりながらも、夢の内容を百乃木に話すことにした。


「ええ、と。あの老人が病院にいました。病室のベッドで寝ている女の人がいて、その人と老人は特別な関係、夫婦かもしれません。それで、女の人が老人に私の分まで生きてとかなんとか、それで……」


「ストップストップ。そこまででいい。なるほど、朱鷺さんはずいぶんよく調和するみたいだね。それは時間売買にとってはいいことだけど、下手をすると、自分自身が壊れる可能性もあるから、何とも言えない」


 百乃木は言葉を止めて、額に手を置き、考え込んでいた。


「とりあえず、今日のところは、まっすぐに帰宅しなさい。ちゃんとお金は渡すから、後日またあの公園に来てくれたらいいよ。日時を指定するから、お金のことは心配しなくていい」


「はあ」


 こうして、愛理の一回目の時間売買は無事に終わったのだった。

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