第9話 若敖氏(じゃくごうし)の乱・一(紀元前605年 楚)

 紀元前605年。

 荘王(そうおう)が即位して、十年近くが経ちました。


 この頃は、歴史に名を残す名宰相子文(しぶん。前話参照)の息子である闘般(とう・はん。あざな子揚しよう)が令尹(れいいん。宰相)を、子揚の従弟であり楚きっての猛将である闘椒(とう・しょう。あざな子越しえつ)が司馬(しば。楚軍のトップ)を、名将の蔿賈(い・か。第6話に登場)が工正(こうせい。労働者を指揮・管理する役職)をそれぞれ務めておりました。



 去る紀元前608年、荘王は自ら軍を率いてちんを攻め、続けてそうを攻めました。

 これに対し、両国の後ろにいたしんが救援のために出兵します。二国を本気で攻めるというよりは示威行為だったのでしょう、荘王はこれを知るとあっさり引き返したようです。


 その後、宋・陳・えいそうが晋軍と合流して、楚に付いていたていを攻めました。

 そこで蔿賈いかちゃんは鄭を救援し、晋軍を破って撤退させ、また解揚(かい・よう)という大夫(たいふ。領地持ち貴族)を捕らえるという大きな功績を挙げたのです。



「鳴かず飛ばず」をやめて以来、内政に力を入れ、また自ら戦場に立ち続けた荘王でしたが、発言力はそこまで強くありませんでした。

 王族(過去の楚王から枝分かれした一族)たちの力は今なお強く、中でも若敖(じゃくごう)氏の威勢は圧倒的だったのです。

 子文が令尹れいいんを辞して三十年あまり。「子文様には、それはもうお世話になったものじゃ」と懐かしむお年寄りもまだまだいたことでしょう。


 しかしながら、権力を自身に集中させるためには、なんとかして若敖じゃくごう氏の力をゴリゴリ削らなければなりません。

 そこで荘王は、蔿賈いかちゃんに命じて「子揚が賄賂を取って私腹を肥やしている」という噂の真偽を確かめさせました。


 情報収集を終えた蔿賈いかちゃんは、荘王に復命します。

「噂は本当だったでゲソ。子揚は賄賂を取って私腹を肥やしていたでゲソ」


 はたして、本当に噂通りだったのでしょうか。荘王派である蔿賈いかちゃんが、主君に忖度したということはないのでしょうか。

 あくまでも個人的意見ですが、その可能性は低いと考えます。


 紀元前633年。当時の令尹れいいんだった成得臣(せい・とくしん。あざな子玉しぎょく)が宋を攻めるにあたって、楚の元老たちはよい後任を得たと子文にお祝いを述べ、子文も返礼として酒宴を開きました。


 超ビッグネーム主催の宴会だけあって、人が続々と集まってきます。しかしその頃はまだまだ若輩者だった蔿賈いかちゃんだけは、遅れて来た上に祝辞も述べようとはしませんでした。


 子文が理由を聞くと、蔿賈いかちゃんは答えます。

「子玉は強気で礼を知らないでゲソ。あれでは兵士を統率しきれないじゃなイカ。三百りょう以上の兵車を率いたら、無事に帰還するのは難しいでゲソ。今のうちからお祝いするというのはイカがなものか。お祝いは帰還してからでも遅くはないんじゃなイカ?」


 レジェンドが相手でも臆することなく直言する蔿賈いかちゃんが、主君に媚びて事実をねじ曲げるでしょうか?


 ともあれ、蔿賈いかちゃんが「子揚はイカスミのようにまっ黒だった」と報告したことで、荘王は子揚を処刑します。そして後任の令尹れいいんに子越、司馬に蔿賈いかちゃんを任命しました。


 しかし、この人事に子越がブチキレます。

「あのクソガキ、でっちあげで子揚を陥れやがってヨォ! 昔の子玉サントキの宋攻めだって減らず口叩きやがって! これがホントのあお蔿賈いか(アオリイカ)、ってやかましいわ! 若敖じゃくごう氏舐めたらどうなるか教えてヤンヨ!」


 そう、約三十年前の時点で、子越は蔿賈いかちゃんにイカり心頭だったのです。


 子揚が本当に黒だったとして、子越は知っていたのか、それとも知らなかったのか。それは判りません。

 あるいは子揚は白で、処刑は荘王と彼の意を汲んだ蔿賈いかちゃんによるマッチポンプだったのでしょうか。


 いずれにしても、子越はそのまま一族を率いて蔿賈いかちゃんを攻め、殺してしまったのです……。

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