第8話 虎に育てられた赤子(紀元前700年頃? 楚)
荘王(そうおう)の即位よりも、100年ほど前のことでしょうか。
その頃、
しかし成長して年頃になると、伯比はなんと鄖子(うんし。読み方注意。
娘の母である
その後
こりゃまたとんでもないことだ、と
「あれはうちの娘が伯比とちちくりあって産んだ子ですよ。恥ずかしいことですから、
娘が妊娠して子供を産んだことは
ともあれ、話を聞いた
楚の方言では「養う」ことを「穀(こう)」といい、虎を「於菟(おと)」といいます。そこで
また、娘を正式に伯比の妻としました。……夫人はどんな心境だったのでしょうか。
闘穀於菟(とう・こうおと)少年は成長すると字(あざな。正式な名前とは別に名乗る通称)を子文(しぶん)と名乗り、楚に仕え、令尹(れいいん。宰相)にまで出世しました。
紀元前664年、子文は
そこで当時の楚王は子文の俸禄を増やそうとしました。しかし子文はそのたびに
こんなコント、もといこんなことが何度も繰り返され、ついに楚王は諦めたということです。
こういう清廉な人柄から民衆に慕われ、一方で楚に服属しない周囲の小国を滅ぼし領土を拡げました。
これらにより、子文は「春秋戦国時代」(前770年~前221年)において、歴代の
子文のおかげで、
※どうでもいい呟き
春秋左氏伝より、子文が
楚についての最も古い記述は、前706年。
当時の楚王は、
そして史記によれば、
武王の在位は前741年から前690年。
……えーっと?(思考が停止した模様)
在任期間から、子文は三十歳前後くらいで
逸話の通りとしたら、子文は伯比が十代半ばくらいの子だろう。
まず前706年当時で伯比は何歳だ? 幼い頃に
で、前664年まであと四十二年。そこから少なくとも三十年ほどは生きている。
……。
…………。
\(^o^)/オテアゲ
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