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 結局俺は、慎一郎さんと連れだって喫茶店に戻り、熱い珈琲を飲んだ。慎一郎さんは、なにも訊かないでいてくれた。この世のなににも感情や興味の対象を動かされたりしないような穏やかな顔で、ただ珈琲を淹れ、俺の隣でそれを飲んでいてくれた。俺もはじめは黙っていたのだけれど、黙っていればいるほど、頭の中を翔真が支配していくことに気が付いて、なにかに追われるみたいに口を開いた。

 「自分が一番かわいそうだと思ってるんでしょって、言われました。」

 言ってから、自分に一番引っかかっているのがそこだったのだと気が付いた。何度も繰り返された、まじで嫌い、よりも。

 慎一郎さんは、大きな手で珈琲カップを持ち上げながら、軽く首を傾げた。

 「私には、逆なように見えましたけどね。」

 「逆?」

 「自分がかわいそうだとは、全然思えていないように見えました。」

 「え?」

 「だから、この店にお泊めしたし、今もお引き留めしているんですけど。」

 横顔で微笑む慎一郎さんは、なんだかひどく遠く見えた。俺の手が、全然届かないところにいる人のように。それも、そうだろう。このひとは、ストレートで既婚者だ。俺のことは、ちょっと憐れんでくれたにすきない。

 そこまで考えた俺は、もしかして、と思った。もしかして、俺、このひとを……。

 そんなことはない、とかき消した。俺はこのひとに優しくされて、その父性みたいなものに触れて、離れがたく思っているだけだ。これまでやさしくされたことが少ないから、ちょっと勘違いしているだけ。

 慎一郎さんの薬指にはまった指輪が、オレンジ色の照明を鈍く反射していた。俺は、その色を見ると、父親を思い出さずにはいられなかった。父親も、薬指に銀色の輪っかをはめていた。それをはめたまま、母親以外のおんなのひとと関係を持った。それで、別居、離婚。俺には父親がいなくなった。母との間で、父の話題は禁句だったし、俺の心情的にも、思い出したい相手ではなかった。だから父親の存在は、完全に俺と母親の間では抹消されたのだ。

 慎一郎さんは、違う。そんな不実なひとではない。

 知り合ってまだ一日も経っていないけれど、そう確信していた。慎一郎さんは、違う。絶対、違う。だから俺は、この人にこれ以上頼ったり、感情を寄せたりしていはいけない。

 「どうか、しましたか?」

 じっと見つめすぎたせいだろう、慎一郎さんが、俺の方を向いて小さく笑った。俺は、黙って首を横に振った。

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