「随分積もりましたね。ここ数年では一番かな。」

 喫茶店から一歩足を踏み出した慎一郎さんは、本当に雪を見に散歩に出て来ただけみたいに、楽しげな声を上げた。俺は、常に静かな印象だったひとが、こんな声も出すのだな、とちょっと意外に思いながら頷いた。

 「もう少し早く出ればよかったな。誰も踏んでいない雪って、いいですよね。」

 また、俺は頷く。緊張していた。翔真は多分いない。この雪を、どこかの男の部屋で見ている。でも、もしいたら? 俺にとっては唯一だったひとが、俺を唾棄するところを、もう一度見ないといけないとしたら?

 大したリアクションも返せない俺に、慎一郎さんは10分間ずっと、話しかけ続けてくれた。

 「雪が少ない所で育ったもので、雪が降るとどうしてもはしゃいでしまうんですよね。大人気ない。亮輔さんは、どちらのご出身で?」

 「……東京です。」

 「そうですか、それだとこれくらいの雪は、何年かに一度はある感じですよね。」

 「……はい。」

 「私は静岡の市街の方で育ったのですが、東京に出てくるまで雪が積もったのなんて、ほとんど見たことがなかったですね。」

 「……静岡。」

 「はい。海流や風の影響らしいですけど、ほとんど積もらないんですよ。」

 途中で俺は申し訳なくなって、ごめんなさい、と、慎一郎さんに詫びた。ここまで無愛想な道連れなんて、礼儀知らずにも程がある。それも、俺の用事にわざわざ付き合ってもらっているのに。

 すると慎一郎さんは、太陽光を浴びてまっさらに輝く雪に目を細めながら、首を横に振った。

 「気にしないでください。勝手にしゃべってるだけですから。」

 「でも、」

 「一応客商売ですからね。商売柄、しゃべってないと落ち着かないのだと思っておいてください。」

 「……ありがとうございます。」 

 そうやって、慎一郎さんの厚意に甘えてぼうっと歩いているうちに、商店街を抜け、灰色のアパートの前につく。

 「……ここです。」

 「では、適当にこのあたりを散歩していますね。」

 「ありがとうございます。」

 いいえ、雪ですから、と軽やかに言い残して、慎一郎さんはアパートの前を通り過ぎていった。俺は、外階段で二階角部屋に上がり、玄関ドアの前で呼吸を整えた。どうせ、誰もいない。いつもの休日と同じ、空虚な部屋が俺を出迎えるだけだ。自分にそう言い聞かせて、ドアの鍵を開けた。

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