「それなら、上に使っていない部屋があるので泊まっていってください。」

 目線で階上を示しながら、慎一郎さんが言った。俺は、聞き間違いかと思って、え? と首を傾げた。すると慎一郎さんは、辛抱強く同じ台詞を繰り返した。

 「え、でも、なんで……、」

 なんで、そこまで俺に親切にしてくれるのか。

 俺が戸惑っていると、慎一郎さんは均整のとれた微笑みを浮かべたまま、少しだけ、寂しそうな目をした。

 「唯一だと思っていた人に去られる辛さは、私にも分かりますから。」

 そう言って、慎一郎さんは俺が使っていたタオルをカウンター越しに回収した。そのとき俺は、慎一郎さんの左手の薬指に、銀色の指輪がはまっていることに気が付いた。一瞬、このひともゲイで、同じ立場の俺に同情してくれたのかと思ったのだけれど、どうやら違うらしい。俺は、慎一郎さんがあまりに親切であることを不思議に思ったし、警戒もした。ただ、目の前で微笑んでいる慎一郎さんは悪い人には到底見えなかったし、この雪の中、行くところがないのも本当だった。

 「……お世話に、なります。」

 俺が頭を下げると、慎一郎さんは穏やかな表情のままカウンターの中を片付け、表の看板を引っ込めると、店の奥の急で狭い階段を上って行った。俺は、慌ててその背中に続いた。広い背中だ、と思った。歳は多分、俺より結構上。40歳くらいだろうか。

 「この部屋を使ってください。掃除はしているので、埃っぽくはないと思うのですが……。」

 慎一郎さんが、階段を上ってすぐの小さめのドアを開けた、俺は、広い肩越しに部屋の中を覗き込んだ。ごく、ささやかな部屋だった。昔の映画で、修道士が住んでいそうな。奥の壁にくっつけてベッドが、その手前には焦げ茶色の小さな机と椅子があって、家具はそれで全部。

 「電気ストーブを持ってきますね。布団も、時々干しているので大丈夫だと思うのですが……。」

 「ありがとうございます。」

 俺は恐縮して、深く頭を下げた。

 「明日、家に荷物を取りに行って、マンスリーでもなんでも、部屋用意します。すみませんが、それまで。」

 「そう、慌てなくてもいいですよ。落ち着くまでこの部屋を使ってくださって、構いませんから。」

 慎一郎さんの表情はごく真面目で、社交辞令を言っているようには見えなかった。

 「どうせ、奥の部屋に私一人ですから。気にしないでくつろいでください。」

 そう言い残して、慎一郎さんは奥のドアを開けた。そこにも俺が通された部屋と同じような部屋があるようだった。

 既婚者なのに、ここで一人で寝ているのか。

 俺はなんとなく釈然としないものを感じはしたものの、一晩の宿が与えられたことに感謝し、ジャケットを脱いだ。

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