5① ークラウディオー
「最近は、静かにしているようだな」
クラウディオの執務室から窓の外を見遣れば庭園が見える。セレスティーヌはいつもその辺りをうろうろし、こちらの部屋を見上げていた。
人の背を見てなにが楽しいのか。その視線ですら気になって、クラウディオはいつもカーテンを閉めていたが、最近その姿は見られない。
もう朝食を共にしないで良いと、セレスティーヌのメイドが伝えにきた時からずっと、見掛けていなかった。
「セレスティーヌ様が急に倒れられた時は驚きましたが、あれ以来、いつもとは違うことを行っているようです」
執事のモーリスは茶器を机に置きながら、少し落ち着いたのではないでしょうか、と付け足した。
そう言われても、セレスティーヌがクラウディオとの朝食をやめてからまったく姿を現さなくなったことが逆に気になる。おかしなことでも考えているのではないかと不安になるのは、数々のことを行ってきた過去があるからだ。
「また、なにかしでかすつもりではないだろうな?」
贈り物を大量に用意したり、自らを無駄に飾ったり、挙句人のいる前で泣きすがったりとやることは尽きない。
できるだけ共にいる真似はしたくないが、王からの招待のような避けられない催しなどは、どうしても行動を共にしなければならなくなる。
そこで挨拶する女性をいちいち浮気相手に疑われては、さすがに煩わしい。
相手をしなくなると、部屋をクラウディオの色に変更するまで固執してきたので、恐ろしささえ感じた。
「リディによると、今は書庫や厨房に出入りされているそうです」
「厨房?」
書庫はともかく、どうして厨房が出てくるのか。料理でもする気なのか、クラウディオは疑問に思った。
「食事に妙な物を入れる気ではないだろうな?」
「さ、さすがにそれは。ですが、もしかしたら、クラウディオ様になにかお作りするつもりで料理の練習をしているかもしれません」
食べ物にまで手を出されては安心して食事ができない。ぞっと寒気がしてクラウディオは立ち上がると、厨房へ歩き出した。
厨房近くの廊下を進むと、独特の香りが鼻に付いた。刺激のある香りで嗅いだことのない匂いだ。
「なんだ、この匂いは」
「旦那様!?」
厨房に入るとシェフのポールとリディが口をもごもごさせながら驚いたように立ち上がった。しかし、一人だけパンを口にゆっくり運んで、こちらを見上げる女性がいる。
セレスティーヌだ。
「なにをされているんですか?」
「……。……パンを食べています。食べられますか?」
セレスティーヌは口に入れていた物を飲み込むと、持っていた薄めのパンをこちらに差し出した。それに付いていた真っ赤なソースがポトリと机に垂れる。
「いえ、いりません。廊下までひどい匂いがしていますよ」
「ひどい匂いですか。すみません。すぐに食べ終わりますので」
謝ってはいるが悪びれている様子はない。セレスティーヌは差し出してきたそのパンを口にして、もぐもぐと食べて飲み込む。そしてすぐに別のパンをちぎると、真っ赤なスープのようなものに浸してそのまま口に運んだ。
公爵夫人ともあろうものが、厨房で、しかも素手で物を食べるなど信じられなかった。いや、パンは確かに手でちぎるだろうが、厨房で食していることが問題だ。
セレスティーヌは全く気にしていないと、まだパンを口にする。
「なにか、ご用ですか?」
「————っ、なんでもありません」
クラウディオは踵を返して厨房を出る。扉を開けたまま廊下に出ると、セレスティーヌの声が微かに聞こえた。
「なにしに来たのかしら」
クラウディオは足を進めた。これ以上彼女を見たくないし、声も聞きたくなかったからだ。
「厨房で食事をするなど、どこか狂ったのかもしれないな」
「話を聞いておきます」
モーリスは困ったようにして汗を拭いた。さすがに厨房でなにかを食べているとはモーリスも思わなかったようだ。
すぐに確認すると厨房へ戻っていく。
セレスティーヌがクラウディオの前で飾らず言葉を交わすのは初めてだった。
いつもならば会うにも時間を掛けて装ってくるし、話し掛けようものならなにか期待するような視線を向けてきた。
そのセレスティーヌが席を立とうともせず、つまらない物でも見るかのような視線を向けて、口の中の物をゆっくり噛んで飲み込んでからのんびり対応をしてきた。焦った風もまったく見えなかったのだ。
「なにかに取り憑かれたのだろうか?」
(いや、またなにか別の手を見出だしたのだろう)
前はただ大人しいだけの人だったことを思い出す。一体いつから情緒不安定でヒステリックな女性になったのか。
けれど、会った時からこちらを見る目は同じ。なにかを望み、自分の思い通りになれば良いと願う熱い眼差しを向けてくる。クラウディオはあの熱を帯びた視線が好きになれなかった。
「無視をして気を引こうという魂胆だろうか。それとも……」
どちらにせよ、これ以上関わりたくないと、クラウディオは強く思ったのだ。
それなのに……。
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