ある日の始

飢谷猪むぎ

第1話 彼の物語

彼は確か……。

そうよ。


西暦何年かは忘れてしまったけど、彼の国は隣国の人間によって土地の約8割を奪われたの。

その結果、彼の国の人々は都会には住めず、辺境にぽつぽつと村落を形成して暮らしていたわ。

彼、栗原 草太(くりはら そうた)もまた、

他と同じ“ムラ”の一つ、白炭荷村(はくたんかむら)に住んでいた。

ムラの名前の由来は簡単よ。

白くなった炭。つまり、火も消えて終わってしまった村という意味ね。

まぁ、ムラには色々な名前があるけれど、結局は隣国の人間が名前を付けているから、良い意味のものなんてあるわけないわ。


この物語は、そんな彼の物語。

そうよ、私が言うから間違いないわ。

彼の物語なの。




ある日の始




うっすらと寒い空気が、寝ている草太の頬を撫でる。

スッと頬に手をやるが、何の手ごたえもなくそのまま寝返りをする。

今日からもう早く起きる必要はないのだ。

学校中を地獄のような空気が覆うテスト週間とやらが終わり、時は夏休みに突入した。

今日はその夏休み初日。

少し冷える朝が、少しずつ温かくなるまで布団の中で過ごすことができる。

おぼろげな意識の中で、草太は喜びを噛み締めながら再び眠りについた。

どれだけの時間が過ぎただろうか。

草太の幸せな時間は、聞き慣れた破天荒な声によってぶち壊される。


「おっはよーそうた!」


声と同時に草太の腹に鈍い重みが襲い掛かる。

その重みは、草太の腹の上で跳ね続けた


「寝かせてくれよ……。今日から夏休みだよ……」


だるそうに、でも邪見にせず丁寧な口調で草太は重みに訴えかけた。


「じぃじが言ってたぞ~ 真に強い者は朝にも強いものだって」


別に強い者になるつもりはない。

ただ、平和に夏休みという貴重な時間を過ごしたいだけだ。

草太はそう思ったが、重みの正体に言ったところで話が通じないことが理解していたので、そっと言葉を飲み込んだ。


反応が返ってこないことを不服に感じた“重み”は草太の上から退くと、入ってきた窓から出ていった。

お腹が軽くなったことに気付いた草太は、そっと目を開けて天井を見つめた。


「もう朝か……」


そうつぶやくと同時に、これまた見知った顔が草太の視界に飛び込んでくる。


「あっさだよ~そうた!」

能天気な無駄に軽い声が草太の耳を襲う。


「円果(まどか)……。さっき出ていったんじゃないの?」


ぽりぽりと頭を掻きながら起き上がる草太の顔を覗き込むようにして、円果はニカっと笑った。


「なーんだ、怒ってないんだ。またオレが窓から入ったのを怒ってたのかと思ったのに」


彼女の名前は荒波円果(あらなみ まどか)。

草太の幼馴染の一人で、とある理由で一人称が「オレ」の元気でバカな15歳だ。


「それでわざわざ玄関から入り直してきたの?」


草太は、ぐっと背伸びをして開けっ放しになっている窓を閉めた。

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