第42話 直系の印

 春祭の最終日、ヴェラは騎士にパンを授ける儀式に臨んだ。その夜、セリオスと体を重ねることがかなった。ヴェラが騎士と笑みを交わすのを見て嫉妬し、抑えが利かなくなったらしい。

 これまでと式事は同じだが、ただの聖女と神官ではなく恋人になったという違いがある。それも、まだ恋仲になって日が浅い。互いに人の前では気を引き締めているが、二人きりになれば浮き立ってしまう。


 ねやに入るなり、ヴェラはセリオスの甘やかな口づけを受けた。自分のものだとでも言わんばかりの熱い口づけを全身に浴びた。

 セリオスは終始優しく、蜂蜜に溺れる果実のような気分だった。セリオスの温もりでじっくりと煮詰められ、とろとろになってしまった。


 甘い時間を過ごした後、ヴェラはセリオスと柔らかな毛織物の中にいた。ヴェラの胸に顔をうずめるセリオスを抱きしめる。

 行為中は雄々しかったセリオスだが、終わると子どものように甘えた。その差がヴェラの心をくすぐる。

「うまくできたでしょうか?」

 セリオスが褒めてほしそうに言うから、頭をなでてかわいがった。

「うん。すごかったわ。またしたいって言ったら、してくれる?」

「わたくしはヴェラさまのものです。望まれれば何度でもしますよ」

「あたしが望むばかりなの? セリオスは欲しがってくれないの?」

 尋ねると、ヴェラの胸をセリオスが強く吸った。室内に嬌声が響く。

「わたくしはいつでもヴェラさまを欲しています。ですから、いつでもどうぞ」

 セリオスは恥ずかしげもなく言葉を放つ。表情を甘える顔から色気のある顔に変え、ヴェラの体に惜しみなく口づけを浴びせた。


 セリオスの体つきはたくましい。さすが聖騎士と訓練をしていただけあり、よく引き締まっている。頭のてっぺんから足の先まで魅力的で、ヴェラは恍惚こうこつとして見入ってしまう。

「ねえ、お腹のあざは何なの?」

 ヴェラはセリオスのへその横あたりにある奇妙なあざについて尋ねた。ぶつけたりしてできるものとは違って、何かを描くようにきれいな形をしている。

「これは直系の体に現れる印です」

「えっ? セリオスって直系の人なの?」

「言いませんでしたか? わたくしはルートルさまの孫の一人ですよ」

 そういえば、傍系の名にある順番を示す言葉がセリオスの名には入っていなかった気がする。略さずに名を聞いたのは聖女になってすぐの混乱の中だったから、気に留める余裕はなかった。

「直系ってことは、セリオスにも妻と子どもがたくさんいるの?」

 セリオスが他の女性を抱くのを想像すると嫌な気分になる。それに、どれだけセリオスの熱を受け入れてもヴェラの身には子が宿らないのだから、憎いとまで思う。騎士に嫉妬したセリオスの気持ちが理解できた。

「庭園に入る前、妻はいました。ですが、わたくしには子をなす能力がなかったようで、子は一人もいないのです」

 ヴェラは悪いことを聞いたと思い、口を閉じた。しかし、子がいないと知って安堵してしまい、後ろめたい気持ちにもなる。

「子ができる体なら補佐神官になれなかったでしょう。わたくしはこの巡り合わせをとても幸せに思います」

 ヴェラの心苦しさを消すかのように、セリオスは満面の笑みを浮かべた。


「セリオスもルートルさまみたいに、いつか当主になるかもしれないの?」

「それはほぼありません」

「本当に?」

「はい。わたくしの母は亡くなっていますから、エスター家が滅びるほどのことがなければ当主になりませんよ」

 セリオスの話によると、王公五家の直系に現れる印は野バラの形なのだという。

 花びらが五枚の完全な印を持っているのは当主だけ。当主の子には花びらが四枚の、孫には花びらが三枚の印が現れる。だから、孫であるセリオスの印は一目で野バラの形だとわからない。

 一般に跡取りというのは長男、あるいはそれに準ずる男子だ。しかし、王公五家の場合には当主の子であれば誰もが後継者になる可能性がある。年齢も性別も関係ない。

 代替わりの時、神が次の当主を選ぶ。すると選ばれた者の印は五枚の花びらに変わり、新しい当主の子や孫の花びらの数も変わる。選ばれなかった者、すなわち傍系となった者の体からは印が消える。

 現当主ルートルの娘であるセリオスの母親も生きていれば当主になり得た。だが、亡くなった母親が後継者に選ばれることはないから、セリオスもほぼ選ばれないと言える。ただ、ルートルのように特殊な事情で当主になることもあり、全くないとは言い切れないのだ。


「このように、わたくしは子ができない上に継承の可能性もないに等しいので、直系でありながらも補佐神官になれたのです」

「どうして補佐神官になろうと思ったの?」

 神殿の神官になる方が行動の制限は少ない。閉鎖的な〈聖女の庭園〉の神官になるなんて、よっぽどの理由があるはずだ。

「愛情を求めた、と言ったら笑われるでしょうか。どれだけ妻と交わっても子ができず、わたくしは周りから冷淡な扱いを受けていました」

 セリオスは自嘲するように笑った。

「あまりにも孤独で、おぼろげに残る優しい乳母の記憶にすがりました。それだけでは物足りなくて、儀式で神殿を訪れるルシアに会おうとまでしたのです」

「ルシア? えっと、セリオスの乳母がルシアってこと?」

「そうです。幼い頃のように笑いかけてもらえないだろうかと、儀式の後にこっそり追いかけました。そして、ルートルさまとコリネさまが親しげに話す姿や、二人を温かく見守る庭園の人たちを目にしました。あの時、〈聖女の庭園〉はわたくしの憧れの場所になったのです」

 セリオスがあまりにも柔らかな笑みを浮かべるので、ヴェラは少し嫉妬した。


「ルシアはセリオスにとって特別な存在なのね。少しも勝てる気がしないわ」

 セリオスがルシアに向ける笑みはヴェラに向けるものとは違って見える。ヴェラだってルシアが大好きだが、もやもやとした気持ちが湧く。きっと永遠に手に入れられないのだ。

「勝つも負けるもありませんよ。ヴェラさまとルシアに感じる愛は全くの別物です。こうして触れるのはヴェラさまだけです」

 そう言って、セリオスはヴェラの体に手や唇で触れた。

「ちょっと待って」

 ヴェラが制止するとセリオスがしゅんとした顔をした。

「嫌でしたか?」

「嫌なんじゃなくて、あたしもしたいの。あたしばっかりしてもらったから、今度はあたしがしてあげるわ」

 セリオスの首元に唇を付けると、甘ったるい声が聞こえた。ヴェラがその声を出させたのだと思うと、心が高ぶって体が熱くなる。もっとセリオスを喜ばせたくなった。


 身もだえるセリオスがかわいくて、ヴェラはそこかしこに唇を落とした。腹部にある印にも。

「ここも他と同じ感覚なの?」

「そうですね。同じように気持ちいいですよ」

 息を荒くしながらもセリオスはさらりと言う。

「明日になれば印は消えますから、もっと触れておいてください」

「消えるって?」

 ヴェラが尋ねると、ぴりっと緊張が走った。セリオスの表情は硬い。

 直系の印についてはさっき聞いたばかりで、思い返せば答えはとても簡単だ。

「それは、セリオスが直系じゃなくなるから?」

「はい。明日、ルートルさまが当主から退くのです」

 歯切れの悪い口調でセリオスは答えた。思いがけない話がヴェラの心をかき乱す。

「どうして?」

「体を悪くしたそうです」

「じゃあ、療養院みたいな所に行くの?」

「それは・・・・・・。そう、ですね」

「遠い所なの? また会える? あたし、ルートルさまにベリータルトを食べてもらいたいの」

「諦めてください。とても遠い所に行くので、もう会えません」

「すぐに行ってしまうの? 少しも会えないの?」

「はい。明日の昼前には旅立っているはずです。わたくしは直系として別れの儀式に行きますので、伝言があればお受けしますよ」

 伝えたいことはセリオスを介してではなく、直接に言いたかった。もっと早く知らせてくれていれば、ちゃんと話ができただろうに。今日だって儀式の前後に言葉を交わしたのだ。

 ルートルはヴェラに祝いの言葉をかけた。ヴェラとセリオスの間に漂う雰囲気から、心を通わせたことを察したという。ヴェラから口づけをしたと話すと、頬を染めて自分のことのように喜んでくれた。それが最後になるなんて、ヴェラは思いもしなかった。


「どうして教えてくれなかったの?」

「ルートルさまに口止めされていたのです。ヴェラさまが知ればきっと気にかけるだろうから、と」

 確かに、事前に知っていればあれやこれやと心を砕いただろう。

 庭園の皆と同じくらいルートルにも助けられてきた。直接に会うことは少ないが、顔を合わせるととても温かく接してくれた。ヴェラを冷淡な目で見る貴族たちとは違うのだ。

 特別なベリータルトでなくても、他のコリネのレシピから何か選んで作って手渡せたはずだ。

「あっ」とヴェラは勢いよく起き上がった。

 そう。ベリータルトにこだわる必要はない。セレーラの手を借りて作れるものに心当たりがある。

 寝台から下りて雑に身支度をした。髪も服も乱れているが、そんなことを気にしていられない。何か言いたそうなセリオスを尻目に、ヴェラはねやの重い扉を開けた。

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