第40話 愛しい人に口づけを
ルートルと話した日から、セリオスの挙動がますますおかしい。ヴェラに何か言いたそうだが、口を開きかけてやめる。
そんなことが続き、ヴェラは歯がゆさを募らせていた。
「ねえ、言いたいことがあるなら言ったらどうなの?」
ヴェラは回廊でセリオスを呼び止め、逃げられないように手首をつかんだ。
「ええと、そうですね・・・・・・」とセリオスは目を泳がせる。
「最近のセリオスはおかしいわ。どうしちゃったのよ」
「そのお話は執務室で——」
「ここで今すぐ話して」
ヴェラは語気を強めてセリオスの言葉を遮った。考える間を与えれば、はぐらかすに違いない。
セリオスが諦めたように大きく息を吐いた。
「ヴェラさまはわたくしを頼りないとお思いですよね?」
「どうしてそうなるのよ。頼もしいと思ってるし、言葉でも伝えてるわ。セリオスは信じてないの?」
ヴェラが詰め寄ると、セリオスは目をそらして後ずさった。その動きはヴェラの胸をずきりと痛ませる。
「セリオスはあたしが嫌いなのね」
「いっ、いえ、ヴェラさまを嫌うなんてことはありません」
「だって、近寄られるのも嫌なのよね? あたしの神官でいるのはつらい?」
ヴェラの目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
セリオスはそっとヴェラを抱き寄せて「つらいです」と言った。やっぱり、とヴェラは肩を落とす。
「そう、よね。あたしもつらいわ。あたしはセリオスが好きでたまらないけど、セリオスはあたしが好きじゃないんだもの」
もうどうでもいいと思った。避けるくせに優しく抱きしめるのだから、セリオスが何を考えているのかわからない。
「え? あ、あの、ヴェラさまはわたくしを好いているのですか? いや、でも・・・・・・」
セリオスの顔を見ると、困ったようでもあり嬉しそうでもある。ヴェラはその表情を愛しいと思った。悲しみで胸がいっぱいだというのに、憎めない。
両手でセリオスの頬を包み、かかとを上げて、唇を合わせた。そうしたいと思うと、体が自然に動いた。
唇を離せば、セリオスが目をぱちくりさせているのが見える。
「その、ヴェラさまの言う『好き』は、わたくしと同じ気持ちだと思っていいでしょうか?」
「同じ?」
「わたくしも、ヴェラさまが好きです」
セリオスの口から出た言葉に、ヴェラは耳を疑った。
「本当に? セリオスが、あたしを好き?」
「はい。本当です。ヴェラさまが好きです。愛しています」
「えっと、でも、ずっとあたしに冷たくしてたじゃないの」
「思いを隠そうとしていたからです。ヴェラさまが知ったら気を悪くするのではないかと恐れていたのです」
セリオスもヴェラと同じように恐れていたのだとわかり、思わず「ふふっ」と笑った。
「このところはとりわけ気が気でなかったのです。トゥールと親しくする姿やルートルさまと感情豊かに話す姿がうらやましいと思いました」
「それは、嫉妬?」
「そうです」
気恥ずかしそうに答えるセリオスの表情は、ヴェラの胸をきゅんとときめかせる。セリオスが愛しくてたまらない。
「あのね、庭園のみんなと等しく接しなきゃいけないし、きっとこれからも妬かせると思うわ。でも、唇をくっつけるのはセリオスだけよ」
ヴェラはもう一度セリオスに口づけをして、ぎゅうっと抱きついた。セリオスが抱き返してくれることに喜びを感じた。
「んんっ」とルシアが咳払いをするのがすぐ近くで聞こえ、ヴェラはわれに返った。
「盛り上がっているところすみません。続きはお部屋でしては? わたしたちはここで続けてもらっても構いませんけれど」
周りに視線を向けると、中庭で作業をしていた聖騎士たちがにこやかな表情でこちらを見ている。
「え、あ、ごめんなさい」とヴェラはとっさに謝った。
「いいえ。ようやくヴェラさまとセリオスが心を通わせたので、安心しましたよ」
「え?」
「お二人が思い合っていることは、みんな知っていました。最近のセリオスは目に余る態度でしたから、そろそろ間に入ろうかと思っていたところです」
「で、では、執務室に入りま——」
どぎまぎしたセリオスが声を上ずらせる。
「執務室はわたしが使うので、聖女の部屋がいいのでは? ああ、説明も兼ねて奥の部屋を使うのもいいでしょうね」
挑発的な口調でルシアがまくし立てると、セリオスが小さくうなった。
ルシアに背中を押されて、聖女の部屋に入った。ここは聖女が着替えや休憩のために使う部屋だ。まだ明るいというのに、なぜかセリオスは神光石を持っている。
セリオスが壁にかかっている織物を外すと、扉が現れた。ただの装飾だと思っていたが、扉を隠すための物でもあったらしい。
とても頑丈そうな扉は、セリオスが引くとぎいっと重い音を立てた。室内には窓が一つもなく、神光石が必要だとわかる。
神光石で照らされた室内には立派な寝台が置いてある。
「こんな部屋があるだなんて知らなかったわ」
ヴェラは寝台に腰を下ろした。敷かれているのはとても柔らかな毛織物で、あまりの心地よさに寝転びたいくらいだ。
「すごく気持ちいいわね。セリオスも座って」
隣を手でぽんと叩いて招いた。
「いいえ。わたくしはこのままで」とセリオスは扉のそばから動こうとしない。
「座ってよ。今までのこともじっくり聞かせてもらうんだから」
セリオスの手を取って、強引に座らせる。セリオスは緊張した様子で床に視線を落とした。
「ここはどういう部屋なの?」
今までヴェラに教えなかったのには、何か深い訳があるはずだ。
「・・・・・・ここは、その、
少し間をおいてセリオスが答えた。
「へえ」とヴェラは言って、「わあっ」と大声を出し、「今のも聞こえない?」とくすくす笑った。
「扉が開いているので、今の声は聞こえたかもしれませんね」
完全に閉まっていない扉を見てヴェラは「そうね」と照れ笑いを浮かべた。
「それで『ねや』って何なの?」
「聖女が望む相手と体を重ねるための部屋です。なまめかしい声が外に聞こえてはいけませんから」
「あっ、そういう・・・・・・」
セリオスが言うのをためらう訳がわかり、恥ずかしさで頬が熱くなった。
ヴェラ自身に経験がなくても、男女の交わりについては知っている。村でも王都でもそういう声や音というのは聞こえてくるものだった。
ヴェラもセリオスとここで交わることになるのだろうか。思い合っているのだし、ヴェラはしたいと思う。しかし、セリオスの浮かない顔を見ると望んではいけないような気もする。
「セリオスはあたしとしたくないの?」
「それは・・・・・・したいに決まっています。わたくしがどれだけ思いを抑えてきたことか。今だってヴェラさまに触れたくてたまりません」
セリオスは苦しそうに眉を寄せた。
「触っていいわよ。セリオスに触られたいし、あたしも触りたいわ」
そう言ってセリオスの手に触れた途端、ヴェラは強く抱き寄せられた。
「ヴェラさまはわかっていないのです。わたくしの醜い欲望を」
「じゃあ、わからせてほしいわ。セリオスが思うよりきれいかもしれないわよ?」
「ああ、もう」とセリオスはヴェラの後頭部に手を添えて、荒っぽく唇を合わせた。
ヴェラの髪が乱れるほど荒々しい口づけは、だんだんと優しく甘くなっていく。熱く荒い息が混じり合い、ヴェラは頭がぼんやりとして体から力が抜けそうになった。
「すみません」
セリオスは目をそらして謝った。
「どうして? あたしはすごく嬉しかったわよ。好きな人と唇を重ねるって幸せなことなのね」
ヴェラの心は浮き立っているが、セリオスは違うのだろうか。胸に暗い雲が広がるような感じがした。
「わたくしも幸せだと思います。ですが、怖くもあるのです。欲望が湧き出して抑えきれなくなるのが、とても怖いのです」
セリオスの思い詰めた表情がヴェラの心を揺らす。
「あたしたちは恋をしてもいいのよね? 何をそんなに心配してるの?」
「わたくしがヴェラさまを愛しすぎているのがいけないのです。初めてお姿を見た時からずっと思い焦がれてきました。そのヴェラさまが腕の中にいるなんて・・・・・・」
今にも泣き出しそうなセリオスの背中を、ヴェラはそっとなでた。
「そんなに好きでいてくれたのね。もう隠さなくていいのよ。これからは思う存分に愛してほしいわ」
「そう単純な話ではありません。狂おしいほど好きで好きでたまらなくて、もっと深みにはまれば自制できなくなるかもしれません。そして、いつかの神官のように庭園から聖女とともに逃げたい衝動に駆られるのではないかと、怖くなるのです」
セリオスの熱い思いを嬉しく思う一方で、聖女と逃げようとする者がいるだなんてと息を呑んだ。
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