第33話 伝える言葉
春祭の最終日から三日後、エスタリア公ルートルが〈聖女の庭園〉を訪れた。閉鎖的な場所だが、許可を得た高位の人や職人が来訪することもまれにある。
ヴェラは応接室でルートルと向かい合って座った。そばにルシアとセリオスが控えていて、四人の聖騎士もそれぞれ配置に就いている。来客時の決まりというのがあり、それはエスター家の当主が相手でも変わらない。
一方、ルートルはたった一人だ。従者を連れることもできるが、控室で待たせているらしい。控室は応接室に入る前にある部屋で、〈聖女の庭園〉の内外を繋ぐ場所だ。ヴェラが儀式で外に出る時も控室を通る。
「ヴェラさまのおかげで春祭の儀式が無事に終わりました。感謝します」
ルートルがヴェラに話しかけた。とても物腰が柔らかい。
「あの、いいえ、あたしは・・・・・・」
ヴェラはどう言葉を返せばいいのかわからず、ちらりとセリオスを見た。セリオスはつれない顔をしている。
「どうしましたかな? 硬くならずにどうぞお話しください」
「あたしは話すのが下手、です」
ヴェラの答えにルートルは小首をかしげた。
「ルートルさま、発言してもいいでしょうか?」
ルシアが求めると、ルートルは許可した。
「セリオスが『下手な敬語なら使わない方がいい』と言ったのです。ヴェラさまはそれを気にしているのでしょう」
小言を言うようにルシアは口にした。
「ほう。セリオス、それは本当か?」
「はい。敬語を使い慣れていないようでしたので、そう言いました。ヴェラさまが敬語を使う必要など全くありませんし、まず緊張をほぐしてほしかったのです」
セリオスは淡々とした態度で言った。
「言いたいことはわかった。しかし、今後は言葉の選び方を改めなさい」
ルートルの厳しい口調に、ヴェラは心がきゅっと縮こまる感じがした。
「えっと、セリオスはあたしのために言ってくれただけ、です。だから責めないでほしい、です」
ヴェラはかばうように声をあげた。
セリオスはとげのある言い方をする。けれど、ヴェラを温かく見守っていることも知っている。ヴェラの祖母もそういう人だった。祖母と過ごした時間がなければ、意を酌むことなくセリオスをただの嫌な人だと思っていたかもしれない。
「仕事に真っすぐな人、です。たまに優しい顔を見せてくれると嬉しい、です。なんだか犬みたいでかわいい、です」
ヴェラが言うと、その場にいるセリオス以外の人が小さく笑い声をもらした。
「犬、ですか」
力が抜けたような声でセリオスはつぶやいた。
皆の笑い声が収まるとルートルが口を開いた。
「ヴェラさま、気楽に話してください。ただのルートルという老人だと思って。どうかお願いします」
善良で優しそうな老人が懇請する姿は、ヴェラを心苦しい思いにさせた。儀式の時は威厳に満ちていたルートルが、今は普通の老夫のように見える。
「わ、わかった、わ」
本当にいいのだろうかと思いながら、おずおずと答える。ルートルがにこりと笑うのを見て、ヴェラは安堵した。
「ルートルさまは難しい言葉を使わないのね」
儀式や神殿ではヴェラが理解できない言葉が多く使われる。しかし、ルートルや〈聖女の庭園〉の皆と話す時にわからなくて困ることはほぼない。
「わたしも補佐神官だったことがあるのです。補佐神官や聖騎士になる者はわかりやすい言葉で話す教育を受けます。聖女に選ばれるのは平民ですからな」
ルートルの話を聞いて納得がいった。言葉遣いも聖女への配慮なのだ。ただでさえ知らない場所に来て不安だというのに、話も理解できないとなると錯乱していたかもしれない。
「ルートルさまもセリオスみたいに働いていたの?」
「ええ。ほんの数年ですが、先代の聖女コリネさまにお仕えしていました」
いつかセリオスもルートルのように去ってしまうのだろうか。そう考えると少し物悲しい気分になる。
ルートルの指示を受けたセリオスがテーブルに布の袋を置いた。ヴェラが両腕で抱えられるくらいの大きさだ。
「こちらはヴェラさまの荷物です。ブラシェルトのご家族からお預かりしました。足りない物があれば取り寄せましょう」
ルートルはそう言って、ヴェラに中身を確認するように促した。
「あたしの、荷物・・・・・・」
訳がわからないうちに王都を出ることになり、ヴェラが持ってきたのは身に着けていた物だけだ。
ヴェラは袋の紐をほどき、一つずつ取り出していく。少しほつれたチュニックや染みがついたエプロン。村から持ってきた両親の服はずいぶんとくたびれている。小袋の中でかちゃりと音を立てたのは、ヴェラがレシピを売って得た銀貨だ。
「あたしはもう帰れないのよね?」
「はい」
ルートルの確固とした答えに、ヴェラは胸が苦しくなった。聖女の務めを果たすと決めたのに、まだ心が揺らいでしまう。
「うん」とヴェラはゆっくりうなずき、「これだけあればいいわ」と言った。
「後で何か思い出した物があれば、セリオスかルシアに伝えてください」
「ううん。もう何もいらないの」
王都で使っていた物はここでは必要ないし、手元にある物を見るだけでも恋しさが募る。
懐かしさを払うように、儀式の時に見た民衆の姿を思い浮かべた。もう宿の娘ヴェラではなく、セレーラの聖女ヴェラなのだ。自身にそう言い聞かせる。
ヴェラは銀貨を家族に送ることにした。聖女の願いをかなえることもエスター家の務めであり、送り賃はかからないという。
聖女が銀貨を持っていても使う機会がない。生きるのに必要な物は十分に与えられる。食べる物はセレーラへの捧げ物として入ってくるし、普段着は定められた質素な服がある。望めばきらびやかな服や装飾品も作ってもらえるらしい。
神の祝福が大地にきちんと与えられていれば、聖女が生活に窮する事態にはならない。
「あたしを家族にしてくれてありがとう。すごく幸せだったわ。って伝えてほしいの」
ヴェラはルートルに家族への伝言を頼んだ。エスター家の使者が銀貨とともに届けてくれるそうだ。
家族への気持ちを口に出すと、次々に往日の思い出がよみがえる。あの時はこうだった。この時はああだった。なんて一緒に話がしたい。
涙がこぼれそうになり、ヴェラは顔を下に向ける。
「確かに、確かにお伝えします」
ルートルは力強い声でヴェラの願いを聞き入れた。
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