第25話 奇妙なことだらけ

「うー。んー」

 寝台の方から声が聞こえ、ヴェラはそちらへ目を向けた。眠っていた女の子がむくりと体を起こして目をこする。

「うーん」

 女の子は眠たげなうなり声をもらし、ぱちぱちとまばたきをした。

 ヴェラがじっと様子をうかがっていると、女の子がヴェラを見た。目が合った途端、女の子は嬉しそうな笑みを浮かべる。


「ねー、ごはん食べよー」と寝台から下りてヴェラに駆け寄った。

 声に聞き覚えがあるのは、頭の中で響いていた声だからだ。

「セレーラね、お腹すいた」

 銀色の瞳をきらきらと輝かせ、待ちきれないと言わんばかりにヴェラにぐっと近づく。

「あの、セレーラってあなたの名前なの?」

 もっと他に尋ねるべきことがあるのに、ヴェラの口から最初に出た質問がこれだ。

「そうだよ。それより早くごはん」とヴェラの服をつかんでぐいっと引く。

 聞きたいことは山ほどあるが、セレーラの食事を優先することにした。




 炉の鍋で温められているポタージュを器によそって渡すが、急かしたわりに口を付けない。

「食べないの?」

「ヴェラも一緒に食べるんだよ」

 当然のことだとでも言うようにヴェラを見る。

 セレーラはどうしてヴェラの名前を知っているのか。謎が増えていくばかりだ。


 ヴェラも器にポタージュをよそった。セレーラと揃いの器だ。皿など他の食器も二つずつ揃えられていることから、この家ではセレーラと誰かの二人が暮らしているのだろう。

「じゃあ、食べようか」

 ヴェラが口を付けようとすると、セレーラに「まだだよ」と止められた。

「食べる前にはお祈りでしょ」

「お祈り?」

 食事の前に祈るというのは聞いたことがない。

 セレーラは器を両手で持ち、目を閉じた。

「大地の恵みに感謝を」と唱えて、ポタージュをすすった。

 そして「んー。おいしいー」と満足げな笑みを浮かべる。

 ヴェラもセレーラに倣って同じく祈り、ポタージュを口に入れた。味付けはヴェラが作るものとよく似ている。もう一人の住人が作ったのだろうか。




 食事を終えたセレーラはすぐ寝台に転がった。

「ねえ、あたしの名前をどうして知ってるの?」

「だって、ヴェラはヴェラでしょ」

 返ってきたのはヴェラが求める答えではない。

 この場所に来た時の記憶がないのだから、ヴェラが自身で名乗ったのかもしれない。

「そうだわ。騎士さまは? あたしを連れて来たのは騎士さまでしょ? 今はどこにいるの?」

 ヴェラは一人で来たわけではなく、騎士とともに来ているはずだ。

「騎士?」

 セレーラは急に声色を変えた。怒りをにじませたような低い声だ。さらに、冷たく鋭い眼光を放つ。

 ヴェラの背筋にぞっと悪寒が走った。人と異なる姿のセレーラを見た時にだって怖いと思わなかったのに。


「え、えっと、じゃあ、セレーラの家族はどこにいるの?」

 変に上ずった声でヴェラは違う質問を投げかけた。

「ずっと繋がってるよ」

 そう答えたセレーラの声と表情には穏やかさが戻っている。騎士の話は避けるべきなのだろうとヴェラは直感的に思った。

「繋がってるって、どういうこと?」

「みんないつも一緒なんだよ」

「じゃあ、みんなはいつ帰ってくるの?」

「えー、ずっと一緒だもん」

 セレーラと話が噛み合わず、ヴェラは困ってしまう。

「ポタージュを作った人は? あたし以外の人がいたんでしょ?」

「変なの。作ったのはヴェラだよ」

 セレーラは足をぱたぱたと動かしながら答えた。嘘をついているようには見えない。

 味が似ていると思ったのも、ヴェラが作ったのなら納得できる話ではある。




 空になった鍋を炉からどかしたところで、ヴェラは違和感を覚えた。

 石で囲まれた炉では緑色の火が揺らめいている。火が緑色というだけでも奇妙なのに、そこには燃え殻も灰もない。

「えっ? ええー?」

 ヴェラは驚きのあまり思わず大きな声を出した。

「どうしたの?」

 セレーラが小首をかしげる。

「ねえ、どうして何もないのに火が?」

「その火はずっとあるんだよ」

 ヴェラはセレーラに何かを尋ねても意味がないのだと思った。

 もしかすると、セレーラは障害のある子なのかもしれない。だから会話が成立しないのだろう。




 ヴェラは時を告げる鐘が鳴るのを待った。鐘の音が聞こえれば礼拝堂がある方向がわかる。

 しかし、いくら耳をすましてみても聞こえてくることはなかった。


 この場所は静かすぎる。鐘の音だけではなく、鳥の鳴き声すらも聞こえてこない。ヴェラとセレーラが立てる音以外には、風や水の音しかない。

 遠くからかすかに聞こえてくるのでもいい。他の誰かの音が聞こえないかと、時折ヴェラは家の外でじっと立ち尽くした。待てど暮らせど他者の気配は感じられず、ヴェラは途方に暮れた。


 森に入ろうかとも考えたが、もし道に迷いでもして家に戻れなければセレーラを独りぼっちにしてしまう。セレーラが一人で生きていくのは難しいだろう。

 というのは半ば言い訳かもしれない。暗い森に足を踏み入れるのは、やはり恐ろしいことなのだ。


 ヴェラはこの場所で冬を越すことに決めた。雪が少なくなれば、きっと誰かが来てくれるだろう。

 幸いなことに冬の備えは十分にされていた。ヴェラとセレーラの二人が一冬を過ごせるだけの食料はある。

 食材を勝手に使って文句を言われようとも、セレーラを残してどこかへ行った人が悪いのだ。むしろセレーラの世話をしていることを褒められてもいいと思った。

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