知らない場所
第24話 目覚め
ヴェラは暗闇の底に沈んでいるような感覚に襲われていた。起き上がる気にもなれないほど体が重い。身動きできない夢の中で、ただ目覚めるのを待つだけだ。
『ウィタダクィマス』
頭の中に響く声が耳慣れない言葉を唱えた。すると、ヴェラの体は軽くなり、目を開けて夢の外へ戻ろうという気力が湧いてくる。
知らない部屋の寝台の上でヴェラは目を覚ました。体は肌触りの良い上質な布で包まれている。
閉め切った窓の隙間からわずかに外の光が入る。薄暗い室内を照らすのは、部屋の中心で燃える炉の炎だ。
知らない場所なのに嗅ぎ慣れたポタージュの匂いがする。炉で温められている鍋から漂ってくるのだろう。
ヴェラの隣で寝息を立てるのは見知らぬ顔だ。体に布を掛けず、思いきり手足を伸ばして眠っている。体はヴェラより少し小さく、子どものような幼い顔つきをしている。
女の子のようでもあり男の子のようでもある。長い髪と長い丈のチュニックから女の子だと推測した。
髪が銀色に輝く。炉の明かりが当たるだけでも、きらきらと光る。柔らかそうな髪は少し動くと水のようにさらりと流れた。
チュニックには袖がなく、腕がむき出しになっている。その肌の所々に魚の鱗のようなものが見える。
人の形をしているが、人とは異なる者なのだと思った。恐れてもおかしくないはずなのに、なぜか目の前の存在をヴェラは受け入れていた。
部屋の中にいるのはヴェラと女の子だけだ。もしかすると親は外にいるのかもしれない。女の子を起こさないようにそっと寝台から下りる。
ヴェラは寝台の近くに脱ぎ捨ててあった靴を履き、扉へ近づいた。木製の扉は軽く、少し引いただけですっと開く。
外に出ると、空は濃い灰色の雲で覆われ、小粒の雪がちらりほらりと落ちてくる。
地面に積もった雪はまっさらで、誰かが歩いた跡はない。
見えないだけで近くに民家があるのかもしれないと、雪の中に足を踏み入れる。雪は膝下まで積もっていて、ヴェラはチュニックの裾を持ち上げながら進んだ。
王都でも雪は積もったが、せいぜい足首の高さまで積もる程度だ。ヴェラの靴はこの場所の雪の深さに適していない。あまり長くは歩けないだろう。
ヴェラがいたのは、寝台や炉があった一つの部屋からなる小さな家だ。
家は森の中の開けた場所にあるらしい。家と森との間には雪原が広がり、雪をかぶった低木がいくつも見える。
森と雪原の境には大きな石が同じ間隔を空けて並んでいる。村や王都を囲む壁と見た目は違うが、囲まれた場所を守るという同じ役割があるように感じた。
並んだ石の向こうに広がる森は暗い。冬でも葉が落ちない木ばかりがひしめき合う。もし葉が落ちる木だったならば、森の先の様子が少しは見えただろう。
家の隣には小さな泉があり、底が見えるほど清らかな水が湧き出ている。
見える場所に他の人がいる気配はないようだ。地面に敷かれた雪にヴェラの足跡だけがついている。
「くしゅんっ」
ヴェラはマントを着るのを忘れて外に出ていた。知らない場所にいることに、それほど動揺したのだ。
急いで家の中に戻った。扉を開けて冷たい空気が入ったというのに、室内は心地よい暖かさを保っている。
冷えた体を包もうとヴェラはマントを探す。ヴェラのマントは寝台の上に放ってあった。マントに手を伸ばすと、下にマントがもう一着ある。その色を見た瞬間、胸がどくんと強く跳ねた。
見えるのは青色のマントだ。青色の服を着られるのは、聖女と聖女に仕える者だけだ。どうしてそれがここにあるのだろうか。
ぼんやりとした記憶をたどる。
威厳の漂う騎士がヴェラに青色のマントを着せた。その間、ヴェラはずっとマグナスの手を握っていた。他の騎士がマグナスを離そうとしたが、ヴェラは心細さのあまりすがって離さなかった。
せわしなく動く騎士たちの間で「聖女」という言葉が飛び交っていた。マグナスもそう言った。
わからないことだらけで、不安が押し寄せてくる。
この子は何か知っているだろうか。寝台で眠る女の子にちらりと目をやった。
暖を取るため、ヴェラは炉の近くに座った。じんわり伝わる熱とポタージュの匂いが、心を安らげていく気がする。
そっと目をつむり、再び記憶をたどる。
青色のマントを着た後、ヴェラは騎馬隊の馬に乗せられた。マグナスと完全に離れたのはその時だ。少しでも長く触れていたくて、指先までうんと伸ばした。
「心配ないよ」とマグナスは悲しげな笑みを見せ、ヴェラを見つめたまま後ろに下がった。
ヴェラは騎士の前に横向きに座った。指示に従って、視界を遮るほど深くフードをかぶり、しっかりと体に抱きついた。騎士の腕で挟まれることで、さらに安定感が増した。
「〈神の道〉は開かれている。行け」
近くで太く勇ましい声が聞こえるとすぐに馬は駆け出した。道に敷かれた石と蹄鉄が当たる音を聞くだけで、ものすごい速さで走っているのだとわかった。
にもかかわらず、馬の動きはとても軽やかだ。馬の背に揺られているというのに乗り心地はとても優しく、風にふわりと浮かぶ花びらになったかのようだった。
頭の中で声が響き続け、次第にヴェラの意識は遠のいた。その後に何があったのかは知らない。目を覚ますと、この場所にいたのだ。
ヴェラは自身の肩を抱いた。マグナスの感触を思い出すように。表情も、声も、匂いも、温もりも。恋しくて仕方ない。
もしかするとマグナスが迎えに来てくれるのではないか。少しばかり期待を持ったが、その見込みはない。
外は雪が積もっていた。ならば、もう新年祭は終わっているはずだ。きっとマグナスは武芸大会で優勝して思い人に愛を捧げたことだろう。
マグナスはヴェラの知らない誰かと結ばれる。わかっていたことだ。それでも、胸が苦しくてたまらない。ヴェラは声を喉の奥で押し殺して、静かに涙を流した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます