第6話 罪人の娘

 罪人の命を神に捧げても、〈神の嘆き〉は終わらない。先が見えない恐怖に人々は震え、絶望感が広がっていく。


 そんな中、ジェイロが次に非難の対象となった。厨房を手伝うことに言いがかりをつけられたのだ。

「男のくせに料理ができるなんて、どういうことだ?」

「おかしいぞ」

 責める声が次々に飛んだ。


 ジェイロの作る茹でパンもポタージュも、みんなが喜んで食べていた。ヴェラは悔しさを強く感じ、頭に血が上る。

「そんなのっ——」

 言い返そうとするヴェラの口を、アウラが手でふさいで止めた。目を潤ませて首を横に振る。


「他にも何か隠してることがあるんじゃねえか?」

「そういや、村の外から来たんだったよな」

「悪いことをして逃げたのかもな」

「こいつも罪人に違いない」

 ジェイロに向けられた疑いは、疑う者にとっての確信に変わっていった。


「黙れ!」

 騎士の一人が怒鳴ると、その場は一気に静まり返った。

「神に代わって裁こうとするとは、なんと愚かなことか」

 それまで威勢よく声を荒げていた人たちは縮こまった。ばつが悪いという様子で散っていく。




 ヴェラと両親は騎士に連れられ、礼拝堂の地下牢に入った。

「さらなる衝突を防ぐためだ。少しの間、耐えてほしい」

 騎士は浮かない顔をして、そう言った。


「どうして言い返さないの? 父さんの料理、みんな嬉しそうに食べてたのに。どうして責められなきゃいけないの?」

 ヴェラは鼻をすすりながら両親に訴える。

「そうね。ジェイロを責めるのは変だと思うわ。でも、相手が間違ったことを言っていると思っても、言い返すのを我慢しなければいけない時もあるのよ」

 アウラの表情が苦しげに歪む。


「責められたのがおれだけで良かったよ」

「父さんが責められるなんて、全然良くない」

 弱々しい笑顔を見せたジェイロに、ヴェラの胸は張り裂けそうになる。

「あそこで言い返していたら、みんなの言葉はもっと強くて汚いものになったと思うんだ。それがヴェラとアウラにまでぶつけられたら、本当に耐えられなかっただろうな」

 ヴェラとアウラを抱き寄せて、ジェイロは静かに笑った。




 地下牢は完全に光の入らない場所ではない。壁の上部には小さな窓があるし、暗くなれば油ランプに火が灯される。

 その少しの光に向かって、ヴェラは祈りを捧げた。早く穏やかな暮らしが戻りますように、と。




 牢の中で過ごしてから数日が経ち、神官が両親にフェルリナで暮らし始める前のことを聞きに来た。それをヴェラは黙って聞いていた。


 ジェイロは王都ブラシェルトの宿の息子で、アウラは旅の一座の踊り子だった。二人は宿で出会い、恋に落ちる。

 宿の後継者であるジェイロと、魅力的な踊り子であるアウラ。二人の関係は周囲に歓迎されなかったが、燃え上がった恋の炎は衰えず、新年祭の群衆に紛れて逃げた。

 アウラがオスタリア地域の孤児院の出身だったことから、西に向かうことに決め、フェルリナに落ち着いた。


 王都に住んでいただとか、家族がいるだとか、初めて聞く両親の話をヴェラは受け止めきれなかった。

 ヴェラの作り話の中に、まさか本当のことが含まれていたとは思いもしていない。それを聞いた両親が表情を曇らせるのは当然のことだと思った。




 さらに数日後、両親の神判が行われることが決まった。家族を捨てたという理由で。〈神の嘆き〉でなければ、罪に問われることはないだろう。


 ジェイロの髪がかざされると、聖炎が青色に変わった。続いて、アウラの髪も聖炎を青色に変える。

 頭の中が真っ白になったヴェラは、静かに涙を流し、力なく膝をついた。


 両親は翌朝に命を捧げ、ヴェラはメサパトルの孤児院に行くことになった。フェルリナへ物資を運搬した馬車に乗る。




 牢に戻っても、ヴェラの涙は途切れることなく流れ続ける。ヴェラは両親の腕に抱かれていた。

「すまない。おれがアウラを諦められなかったせいで、こんなことに」

「違うわ。わたしもジェイロと離れたくなかったの。二人で逃げると決めたのよ」

「しかし・・・・・・」

「わたしは本当に幸せなの。ジェイロと夫婦になって、ヴェラが生まれて・・・・・・。ありがとう」

 アウラがヴェラの頬に、続けてジェイロの唇に口づけをした。

「さあ、二人とも笑って。泣いても笑っても夜が明けてしまうなら、笑っているのが良いと思わない?」

「ああ、そうだな。一緒にいられる今を笑って過ごそう」

 両親が努めて明るく振る舞おうとしているのが、ヴェラに伝わってくる。

 

「なあ、アウラ。ヴェラに踊りを見せてやってくれないか?」

 ジェイロがぽつりと口にする。

「そうね。いいわね。長いこと踊ってないから、昔のようにはできないかもしれないけど」

「それでもいいさ」

 ジェイロとアウラは目を合わせて微笑んだ。


 アウラは腰紐を使って、チュニックの裾を膝まで上げた。

 鳥のさえずりのように歌いながら、手足を滑らかに動かし始める。牢の中は広くないのに、アウラの動きはそれを感じさせない。

 アウラが踊る美しい姿に、ヴェラはうっとりと見惚れた。ジェイロが心を奪われたのも納得がいく。




 アウラが身に着けていた首飾りを、ヴェラの首にかける。

 栗の実ほどの小さな石に、紐を編み付けた簡素なものだ。油ランプの弱い明かりでは、その色をはっきりと見ることはできない。

 ヴェラの記憶の中にある色が、脳裏に浮かぶ。ジェイロの瞳の色に似た緑色の石だ。

「ヴェラ、大好きよ」

 アウラの唇が石に触れる。

「ずっとヴェラのことを愛しているよ」

 ジェイロも石に唇で触れた。 

「やだ。父さんと母さんが一緒じゃなきゃ・・・・・・」

「おれたちが命を捧げれば、穏やかな暮らしが戻ってくるんだ」

「そうよ。だから悲しまないで」

「あたしだけ生きてても、意味がないわ」

「そんなこと言わないの。ヴェラは生きるのよ。生きて、幸せな人生を送るの」

 両親のいない世界でどう幸せになればいいのか、ヴェラにはわからなかった。


「ヴェラにビスケットを持たせてやりたかったな」

「ビスケット?」

「宿では旅人にビスケットを持たせる慣習があるんだ。出発の朝、旅の無事を願ってな」

 ジェイロの話を聞いているうちに、ヴェラのまぶたは重くなっていく。朝になれば、一緒にいられなくなってしまうのに。




 くぐもった鐘の音がヴェラを目覚めさせた。小窓から光が差し込んでいる。

「起きたのね」

「よく眠っていたな」

 両親は穏やかな声でヴェラに言葉をかける。

「やだ。眠りたくなかったのに」

 両親との別れの時が迫ってきている。ヴェラは少しでも長く両親の温もりを感じていたかった。

「今日は騎士さまがヴェラと一緒にいてくれるんだって。良かったわね」

「良くない。父さんと母さんが死んじゃうのに・・・・・・」

 憧れの存在である騎士と一緒にいられるなんて、状況が違えば飛び跳ねて喜んでいただろう。


 ヴェラは両親より先に牢を出される。

「笑顔と感謝の心を忘れるんじゃないぞ」

「ヴェラは多くの人に愛されるわ。そして、とっても幸せな人生を送るのよ」

 触れていた両親の手が、ヴェラから離れる。何か言いたいのに、喉が詰まって言葉が出ない。

 足が進まないヴェラの背中を、騎士がそっと押す。視線をずっと両親に向けたままで、階段を上がっていく。両親は最後までヴェラに笑顔を見せていた。




 命を捧げる儀式は、村の壁の外側で行われる。邪気に侵された罪人の血を内側で流すべきではないからだ。


 両親が柱に縛られている間に、黒い雲が空を覆い始めた。〈神の嘆き〉は命を捧げることで鎮まるはずなのに、雨粒がぽつりぽつりと落ちてくる。

 ヴェラの中で少しの希望が湧いた。聖炎は青色に変わったけれど、もしかすると死ぬ必要はなくなるのではないか、と。


 そんな淡い期待は血の色に染まる。

 銀色の鎧に身を固めた騎士が、銀色の剣でジェイロの胸を、次にアウラの胸を貫いた。

 集まっていた村人が歓喜の声をあげる中、付き添っていた騎士がヴェラを馬車の荷台に乗せる。

 ヴェラは荷物が入った袋に顔を埋めた。とても悲しくて、胸が痛い。両親が願う幸せな人生など、とても送れる気がしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る