シュレディンガーのパンツは観測すれば確定する
放課後の一時間ほどをいつものように図書館で自習して過ごし、いつもの時間に駅に向かう。
正直、あのイカレ女の夏陽きららを避けるために時間をずらそうかと考えもしたのだが、なんか僕が意識してるみたいでムカつくので結局いつも通りの時間の電車に乗ることにした。
駅に着くと、ホームでは既に夏陽が電車を待っていた。
意識しないように。
意識しないように。
極力夏陽のいる方向を気にしないように突っ立って、電車が来るのを待つ。
ちらりと夏陽がこちらを見た気がしたが、結局電車が来るまでこちらに近づいてくることも話しかけてくることも無かった。
いつもの電車。いつもの車両。いつもの座席に僕が腰掛けたとき、夏陽きららもまたいつものように僕の正面に腰掛けた。
車内はいつものようにガラガラで、数少ない乗客たちはやはり途中で補充されることもなく吐き出される一方で、三駅もすぎる頃には僕と夏陽を残してみんな降りて行ってしまった。
気にしたら負けだ。
気にしたらダメだ。
正面に座る忌まわしき女に意識を向けないように必死に手元の本に視線を落として活字を追いかける。
今日持ってきたのは昨日と同じライトノベルではあっても、昨日のような頭が痛くなるトンチキ作品ではなく、もっと重厚で繊細な長編ファンタジー作品だ。
まだライトノベルという言葉があまりメジャーでは無かったころに第一作が刊行され、以後続々と続刊が続いてシリーズ累計でとんでもない発行部数を叩き出し、ライトノベルというジャンルの発展に大いに貢献したシリーズの最初の一冊。
僕は既に何度も読み返しているし、何度でも読みたいと思える素晴らしい作品だ。
この本ならばきっと周囲の雑音にも負けることなく、集中して穏やかに読書に没頭できることだろう。
だけど、目が滑る。言葉の意味が理解できない。文章を読み解けない。
物語の世界に入り込もうとするたびに、僕は理不尽に入国拒否をくらってしまう。
そして脳内でパンツを崇める宇宙猫たちが踊り狂う。
――もしかしたら、今正面に座っている夏陽きららはスカートをたくし上げているかもしれない。
『汝、夏陽きららのパンツを崇めよ』
うるさい。
『汝、夏陽きららのパンツを崇めよ』
うるさい。
『汝、夏陽きららのパンツを崇めよ』
うるさいうるさいうるさい。
ああ、もう、そうだ。見てしまえばいいのだ。
気になるなら見ればいいだけの話だ。
見ないからこそ余計に気になってしまうのだ。
観測すればそれで終わる話だ。
そうだ。シュレディンガーのパンツだ。
観測していないからこそ、『パンツを見せつける夏陽きらら』と『パンツを見せつけていない夏陽きらら』が同時に存在してしまっているのだ。
観測さえすればどちらか一方で確定できるのだ。
顔を上げて確認してみよう。
一瞬だけ観測すればそれで事足りるのだ。
そうだ。僕は昨日夏陽きららに釘を刺したはずだ。
こんなことはもうやめろと、たしかにそう言った。
夏陽きららだってバカじゃないだろう。
昨日の今日で同じことを繰り返すはずが無い。
つまり今観測すれば、そこに存在するのは『パンツを見せつけていない夏陽きらら』で確定するはずだ。
スカートを下ろしたままの夏陽きららを見て、残念がりつつも安堵して、それきり夏陽きららのこともパンツのこともついでに宇宙猫も脳内から追い出してしまおう。
そして静かな読書の時間に戻るのだ。
そうだ。それがいい。
半ばヤケクソになりながら顔を上げる。
そして僕が観測したのは――。
――パンツを見せつける方の夏陽きららだった。
「な、なんで……」
レモンイエローだ。鮮やかな蛍光色のレモンイエローだった。
白くほっそりとした太ももはやはりむちむちと肉感的で、くびれたウエストとの境界線を主張するかのようにパンツは鎮座している。
新たなご神体の登場に宇宙猫たちは大興奮だ。
青いパンツの隣にレモンイエローのパンツが祀られた。
口々に雄たけびをあげて踊り狂っている。
『汝、夏陽きららのパンツを崇めよ』
向かいに座る夏陽きららはチェシャ猫みたいににんまりと笑っていた。
「どういうつもりだ?」
「何がですか?」
「僕は昨日こういうことはやめろって言ったよな?」
「言いましたねえ」
「じゃあ何でやってる?」
「やめるとは言ってませんもん」
「やめろ」
「イヤです」
「何でだよ!」
「だってセンパイ目茶苦茶私のこと意識してるじゃないですかぁ。そんなに見たいなら見せてあげようかなと。サービスですよ、サービス!」
「見たくない!」
「でも見えたとき嬉しそうな顔してましたよね?」
「してない!」
こちらの反応を楽しむように夏陽きららはにやにや笑う。
「んっふっふー。私の目的はセンパイをメロメロのデレデレにすることですからねー。それにはまずこちらを意識させないといけませんから。つまりこの状況は完璧に作戦通りなわけです。どんどん私のこと意識しちゃってくださいねー。明日も見せてあげますからね、センパイ」
夏陽きららはきっと悪魔か何かの邪悪な存在なのだ。
きっとそうだ。そうに違いない。
奴は翌日も、その翌日も、そのまた翌日も、二人きりの電車内で僕にパンツを見せつけてきた。
それはピンクだった。黒だった。水色と白の縞模様だった。
夏陽きららを観測するたびに僕の脳内に新たなパンツが祀られ、パンツを崇める邪教に染まった宇宙猫たちが熱狂していく。
ああ、もう最悪だ。
女なんて嫌いだ。
女なんて面倒くさい。
女になんて関わりたくない。
なのに。
愚かな僕はどうしても、帰りの電車を一本ずらすだけのことが出来ずにいた。
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