謝罪DMが飛んでくる男

 打ち合わせのために向かった先は、地元の農業団体の事務所だった。アポが九時ちょうどなので、その15分前に庁舎を出る。

 市内、それもかなり近場だ。10分ほど車を走らせると、もう目的地に到着した。

 会議スペース一つで床面積がほぼ終了しているような、平屋建てのこぢんまりした事務所である。看板がなければ、地域の小集会所に見えるかもしれない。


「こちらから頼んだのに、わざわざ来てもらっちゃってごめんなさいね」


 六十代の女性事務員さんが出迎えてくれた。

 彼女の名は瀬下さんというのだが、この組織は、専属の事務員がこの瀬下さんしかいない。なかなか事務所を空けられないだろうし、僕が出向くほうが早いのである。


「住吉くん、どうもねぇ」


 にこやかに手を挙げつつ、会議室から年配の男性が顔を出したので、僕は慌てて会釈をした。


「おはようございます。今日は理事長もいらっしゃったんですね」


 こちらとも顔なじみである。というのも、この理事長は僕のじいちゃんの元同僚なのだ。

 世間が狭すぎる、ってやつです。


 打ち合わせといっても、事業申請のための書類について僕が説明するのが主たる目的である。

 前日にワタワタ残業して用意した様式集やQA表などの説明資料を、せっせと机の上に並べる。


「そのほか、他の団体が事業採択された際の関係書類を、参考にお持ちしてみました。貸出すことはできませんが、『だいたいこんな書類が揃うんだな』みたいな、イメージをつかんでいただければと思いまして」


「あら、見せていただこうかしら」


 事務員の瀬下さんが、分厚い書類綴りをパラパラとめくる。薄い紙の落ちる小気味よい音がした。


「けっこう厚いのね?」


「うーん、厚いんですよねぇ」


 公共絡みの事業、関係書類が複雑かつ多くなりがち。必要な書類だってのは承知だけど、用意するのも大変だよなと思います。ここだけの話。


「これは気合い入れないとだわ。ねえ、理事長?」


 パタン、と綴りから手を離し、瀬下さんが理事長に冗談めかしく笑いかける。

 すると理事長は、


「いんや、大丈夫! ここにいる住吉さんが何でも助けてくれるってよ! なあ、周ちゃん?」


 と笑顔で言ってくるものだから、僕は力なく「ははは……」と笑うことしかできない。

 可愛がってくれているけれども、このおじいちゃん、たまに無茶ぶりしてくるんだよな。


 質問の聞き取りなども終わり、僕が荷物をまとめていたときだった。理事長から「仕事と関係ない話、してもいい?」と声を掛けられる。


「ええ、どうしました?」


「周ちゃん、飯田さんとこの茉侑子ちゃんとも同級生だったよな?」


 どきっとして手が止まった。偶然にしても、こんなところで飯田さんの名前を聞くことになるなんて。


「飯田さんのせがれが、『東京に行ってる娘は、帰ってきても自分の話をほとんどしない』って嘆いててよ。もうじき三十になるが、彼氏の一人でもいるのかね、って心配してるんだよ。周ちゃん、何か聞いてないかい」


 理事長の言う『飯田さんのせがれ』とは、飯田さん──茉侑子さんのお父さんのことだろう。

 娘の恋愛事情を気にかける父親。けれども、「彼氏」というワードが飛び出てくるあたり、飯田さんは女性との交際経験を家族に話せていない可能性が高い。……こればかりは、本人に確認を取ったわけではないけれども。


 しかしながら、未冬さんのいう「元カノ」が事実だとすると、僕の受けた理不尽にも説明がつくような気がするのだ。

 いや、飯田さんにしてみれば、僕──元カノの夫がヘラヘラ現れたことこそ、理不尽な事態だったのかもしれない。自分が逆の立場だったらと思うと……きっと耐えられてないな、僕は。

 つまり、あのときの自分は、無神経なムカつく野郎以外の何者でもなかったのだ。


「すみませんが、僕はなにも……」


 そうはぐらかすと、理事長は「そうかぁ」と残念がりつつ、優しげな笑顔になる。


「周ちゃんは今、幸せかい?」


「ぼ、僕ですか」


 他人の心配をしていたら、急にスポットライトが回ってきてしまった。変な汗が出る。


「キミは素敵なお嬢さんと結婚したんだろう? 住吉ちゃん──きみの爺さんな、口を開けば孫自慢に孫嫁自慢。それから曾孫自慢にも余念がなくってなあ」


 なんだかばつが悪くて、僕はヘコヘコ頭を下げた。


「……うちの祖父が、大変なご迷惑をおかけしているようで」


「いいのいいの、どうせ他に話すことなんかねんだから」


 ……ははは。

 ははははは。



  ◆



 庁舎に戻る車の中、慣れてきたはずの結婚指輪がやけに気に留まった。

 思えば、未冬さんと復縁できた嬉しさのあまり、僕は浮かれポンチのまま結婚を決めてしまったっけ。

 祖父母と両親もノリノリで、結婚式も、ほぼお膳立てされるように決まって。航も無事に産まれてきてくれて。

 そういう幸せを享受しながら、ずっと目を背けてきたことがあった。未冬の過去。彼女が僕のもとに戻ってきた理由。僕の幸福が、誰かの犠牲の上に成り立っていたという可能性。


 ……こんなこと、本来なら結婚前に整理しておくべき話で、今になってやることじゃないんだけど。

 一人きりの車内で、思わず苦笑してしまう。

 飯田さんと、一度だけでも腰を据えて話せないものだろうか。それも、僕の独りよがりなのかもしれないけれど。



 そんなことを考えつつ、十万円の処遇も宙ぶらりんのまま、せわしなく日常が過ぎていった翌週のこと。


〈飯田です。心当たりがなければブロックして結構です。先日は感情的になり、軽率な行動をしてしまい誠に申し訳ございませんでした。謝罪させていただきたいのですが、ご都合はいかがでしょうか。また、大変恐縮ですが、奥様には住吉様の方からお伝えいただきたく存じます〉


 本名を公開していないはずのツイッターアカウントに、一通のダイレクトメールが届いた。


「え????」


 アカウント名は〈Mayu〉。

 あの飯田さん、だよね。

 いや、なんで……。

 オタ垢だし、個人を特定できるような写真は一切載せていないはずだが?

 リアルでアカウントを教えているのは、えっと、青川くんだけか。って、青川くん? 飯田さんと接点なんてある?

 ……そうか、青川くん、都内の病院に勤めてるんだっけ。で、飯田さんも東京都在住。可能性はゼロじゃない、のか?

 いや……教えるにしても普通の連絡先でよくない?!


「どうかしたの?」


 リビングのソファで放心していたところを、未冬さんに見つかってしまった。


「あ……」


 すぐには言葉が出なかった。

 僕が、ツイッターをやっていないことになっているからである。

 やましい事があるわけではない。が、のろけたツイートもしてるし、たまに下ネタも投下してるし、それらを見られると恥ずかしい──というしょうもない理由で、中学時代に作ったアカウントを今日まで教えずに来てしまったのだ。

 しかし、僕がとっさにスマホを伏せたとき、彼女の寂しそうな顔を見てしまった。そんなつもりじゃなかったのに。


「……飯田さんから、謝罪したいって申し入れがあったんだ」


 僕はおずおず白状しながら、文面をそのまま未冬さんに見せる。

 差し出された画面を見つめる彼女。その整った顔は不安の色を浮かべ、瞳が微細に揺らいだ。


「あたし、茉侑子に……」


 消え入りそうな声で、未冬さんがつぶやく。


「茉侑子に会って、話したい」


 いいんだよね? と自信なさそうに笑う彼女に対し、僕は、うなずく以外の選択肢を持たなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る