第2話
潮の香りのする風が、シャロンの頬をくすぐる。
欠けた月の頼りない光を頼りにシャロンは裸足で砂の上をあるいた。
月光はシャロンの古い傷が残る体がぼうっとうかばせる。
かつて白かった肌は、農作業のせいで小麦色に日焼けしている。
銀色だった髪は、茶色くなっていた。
黒に限りなく近い赤い瞳には、ゆらゆらゆれる水面がうつっていた。
全てがあの時と変わった。
得たものもたくさんある。
なのに、昔の自分に戻ったような夢は、5年たった今でも未だにみる。
シャロンはあの音に生かされていたといっても過言でない。
選択を迫られたとき、危機が迫っているとき、いつもお告げのような鈴のような音。
最初は違和感だった。
もし、これが劇的で物語のような失い方だったら、潔くきりをつけられたかもしれない。
いつも聞こえるような場面で、あの音が聞こえない。
それが確信に変わったとき、シャロンは王都を離れた。
足のうらに直に伝わる砂の感触が気持ちよい。
シャロンは気が向くままに、砂浜を歩いたり、海水に足をつけたりした。
徐々に、心のくすんだ部分がなくなっていくような気がした。
海のむこうの山のふちの空がオレンジ色になってきた。
そろそろここを離れないといけないと気づいた。
膝のしたあたりまできている海水なかを進むとき、水の音がした。
ようやく砂浜までたどり着くと、水につかないようにたくし上げていたスカートの裾をおろす。
「こんな時間に何を?」
一瞬びくりとした。
が、どこか冷静なシャロンがいて、聞きなれない声をした方に目をうつした。
落ち着いた声の主は、艶やかな金色の髪をひとつに束ね、上等の服を着こんだ長身で華奢な男だった。
ずっとうしろの方には馬車と、使用人が見える。
貴族だ。
動揺を悟られてはいけない。
頭は下げない。
わずかな意地だった。
「何かようですか。」
貴族の男は、金色の瞳の目をわずかに細めてふふっと上品に笑った。
気に入らない。
「嫌なことがあると、海を見たくなりますよね。」
貴族の男は、シャロンに語り掛ける。
が、シャロンは答えない。
「波の音が好きなんです。心が安らぐ、美しい音。」
貴族の男は海のむこうに目をうつした。
「きっと波の音は永遠なのです。この先もずっと消えることもないでしょう。」
シャロンは何も言わずに貴族をじっと観察していた。
「永遠だから美しいのか、美しいものは永遠なのか。」
貴族はゆっくり顔を動かして、シャロンを正面から見つめる。
金色の三白眼の瞳にびくっとした。
「あなたはどう思いますか?」
「知りません。」
シャロンの声は冷たかった。
「そうですか、私は両方だと思います。」
この貴族は何がいいたいのか。
それがわからず、不安になる。
この貴族は、自分の何かを見透かしているようなそんな目だ。
「あなたの目、すごく美しい色。一見黒く見えるのに、よく見ると赤い。でも、昔より陰りがある感じがするんです。」
貴族はそういうと、ゆっくり近づいてくる。
シャロンは、催眠術でもかけられたように動けなかった。
心臓の鼓動がうるさい。
貴族は少しかがんで、シャロンの耳元でつぶやいた。
「知ってますよ。月の勇者、なんでしょう?」
シャロンは無表情をつらぬいた。
本当は、心臓が飛び出そうなくらい跳ね上がっていた。
でも、それを知られるわけにはいかない。
今度こそ逃げきれない。
知られたら、処刑だ。
「何言ってるんですか?」
平然とした声が出た。
焦りも驚きも感じさせない声。
レイ・グロシュラー侯爵は、馬車の窓から一人の女が砂浜の上を歩いているのを見た。
いつもついてくる過保護なファトゥという使用人をおいてきて、一人で砂浜に降りた。
少し小さく見える。
髪の色が違う。肌も少しやけている。
でも一度みたら忘れない、あの瞳。少し影があるように見えるのは、気のせいか。
貴方の正体を知っている。
侯爵である私が密告すれば、貴方の命はないというのに。
何の感情も読み取れない声。
それで確信した。
彼女は、ずっと捜していた月の勇者だった。
「綺麗・・・。」
シャロンが言うと、ジーンは大きな目を細めて笑う。
「ありがとう、姉さん。」
ジーンは真っ白のドレスを着ていた。
シャロンは王都で、王族や上流貴族たちをこの目で見てきた。
その女たちが着るドレスに比べたら、ジーンが着ているものは品質で劣る。
にもかかわらず、シャロンは今のジーンがどんなに着飾った上流階級の人間よりも美しいと思った。
ジーンは、シャロンの妹のような存在だった。
王都をはなれ、あてもなく放浪していたときにジーンに出会った。
ジーンたちは、シャロンを家族として受け入れてくれた。
それから、4年がたった。
ジーンは17歳になり、今日、結婚式を迎える。
相手は隣村の豪農の長男で、俗にいう玉の輿だ。
ジーンは、村一番の美人だ。
それに明るく、やさしい。
おとぎ話のヒロインのような子だ。
シャロンはジーンの姿に、感動していた。
今朝のことなど忘れるくらいに。
「本当に大きくなった・・・」
シャロンが横を見ると、フィンが泣きそうになっていた。
「ちょっと、兄さん。泣かないでよ。」
ジーンが言う。
フィンは、ジーンの兄だが、親代わりでもあった。
たった4年ほど一緒に暮らしたシャロンでさえ感動しているのだ。
フィンが泣いてしまうのも無理はない。
が、農作業で自然と筋肉が発達し、日に焼けた、背の高い男が泣いているのは、似合わないと思ってしまう。
「ジーンの言う通りだよ。もうすぐ、式なんだから。泣くのはあとにしないと。」
シャロンが言った。
そう言ってみたものの、心をくすぐられるような温かい気持ちになる。
「そうなんだけど、なんかこう、感動しちゃって。」
フィンは、涙が落ちてこないようになのか、上を向いた。
いつも頼りになるフィンは、人前で、それも妹の前で絶対に泣きたくないのだろう。
もうすぐ式が始まるとなったので、今回だけは泣きそうなフィンを引っ張ってシャロンは部屋をあとにした。
式は滞りなく行われた。
ジーンはとても綺麗で、幸せそうだった。
恋愛結婚なんて珍しい。
本当にジーンが好きな人と結ばれて良かったとシャロンは思う。
一方、フィンは終始泣きそうになっていたが、手で目を抑えて我慢していた。
式のあとの宴会が始まってからしばらくして、フィンは席を立ったので、きっと泣きにいったのだな、とシャロンは思った。
案の定、目を真っ赤にして戻ってきて、シャロンは少し笑ってしまった。
この日もシャロンとフィンは、豪農の屋敷に泊まることになっていた。
そして、明日の朝、ここを出る。
「もう、ジーンはこの家の人になっちゃうんだね。」
シャロンは、ベッドに寝転がり、ぽつりと言った。
部屋には、フィンとシャロンしかいないので、何も考えず呟いていた。
「そうだよ、帰るときはジーンは一緒じゃない。」
フィンも言う。
なんだか寂しい。
シャロンにとっては、たった4年だが、ジーンは妹みたいな存在で、初めてできた家族だ。
「あのさ、ジーンの結婚式が終わったら、言おうと思ってたことがあるんだ。」
フィンがそういい、部屋に用意されていた水をコップに注ぎ、一気にのむ。
「なに?」
「いいから、ここ座って。」
フィンは自分の前にある椅子を指さす。
シャロンは、不思議に思いながらも、そこに座った。
フィンはシャロンを正面から見た。
なんだか気恥ずかしい気もしたが、あまりにもフィンが真剣な様子なのでシャロンは何も言わなかった。
「シャロン、僕と結婚してほしい。」
「え?」
シャロンはあっけにとられていた。
「僕、シャロンのことが好きだ。ずっと前から好きだった。決めてたんだ。ジーンの結婚式が終わったら言うって。」
きれいな青い目がシャロンを見つめている。
思い返してみると、なんだか納得のできることがいくつもあった。
フィンは、いい人だ。
恋愛的な意味でも好きになれると思う。
ただ、シャロンは恋をしないと決めていたので、無視を決め込んだ。
フィンはシャロンを知らない世界に連れて行ってくれるような人だ。
シャロンはずっと一人だった。
フィンのおかげで村の人たちと仲良くなった。
仕事おわりにみんなでお酒をのむこと、仕事の愚痴を言い合うこと。
お祭りの準備をすること。村の結婚式で他の人の幸せを心から祝うこと。村人の死を悼むこと。
そういうささやかな幸せを全部教えてくれた。
シャロン一人ではできなかった。
だから、今度もきっと大丈夫。
「うん。わかった。」
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