第三章
3-1 惨状惨劇ネバーランド
ひどい有様だと思った。
直感的に、安藤陽葵はそう感じた。怠惰の悪魔を祓って一ヶ月。セドリックに散々っぱら罵倒され、怒られ、お叱りを受け、やっと解放され完全体の健康体になった安藤は、結局残ってしまった顔左上の火傷痕を指で触りながら、おおこりゃひどいと心のうちだけで思ってみたりした。
「ひどいですねー、安藤先輩」
隣で同じ光景を眺める後輩、佐山祥一郎は染め直した茶髪をかきあげながら、どストレートな感想を呟く。結局安藤は心の内だけにとどめていた思いを吐き出した。
「……なかなかの惨状ねえ」
そう、惨状だった。
時刻は午後十二時半ぐらい。真上に登ったお天道さんが眩しい、まさに晴れの日。こんな日はグースカ眠っていたかったけど、残念ながら佐山と安藤は調査部隊としての仕事があった。
エクソシストは主に三つの部隊に分かれる。
まず、悪魔を祓う花形も花形、討伐部隊。普段佐山や安藤が所属しているのはここ。エクソシストらしい、暴力と血と怒号に塗れた最前線だ。一番隊とも呼ばれる。
次に、後片付けと死体遺棄担当の清掃部隊。身寄りのないエクソシストの死体を捨てたり、ぶっ壊しちゃった建物の掃除だったりをする裏方さんだ。いつもお世話になっております。いわゆる二番隊。
その次が調査部隊。悪魔の目撃情報だったりなんだりをまとめて、悪魔祓いの日や部隊の編成をしたりする、司令塔の部隊。インテリさん。悪魔による大量虐殺が起きると現場検証なんかもしたりする。とにかく悪魔について調べる人たちだ。情報屋が所属しているのはここ。三番隊である。いかんせん人数が少ないので、たまに討伐部隊の人間が駆り出されたりもするところ。安藤の学校潜入はすぐさま傲慢の悪魔使いと戦闘になる可能性があったため、生半可なエクソシストでは太刀打ちできないと判断したレイモンドによってなされたものである。
んで、本題。
安藤と佐山は一ヶ月だけ調査部隊として働くこととなっていた。
佐山はベルフェゴールの呪いが完全に解けるまで様子見。治るまでのお仕事。安藤は一ヶ月休めと言われていたのに戦場に出て暴れ回ったから罰として。
ひでえ話だ。生殺しだ。安藤が見たいのは最上級の暴力と流血表現だ。血で血を洗う抗争だ。安藤は生粋の軍人である。いやエクソシストだけど、心の底は軍人で戦争賛美者である。こんな地味……と言っちゃあ悪いけど、安藤の性に合わない仕事は嫌だった。一回駄々をこねてみたけど、セドリックのお怒りが乗った拳とレイモンドの冷たあい視線が突き刺さったので結局調査部隊に仮所属したのだ。
その結果が、この惨状の物見雄山である。
安藤と佐山は児童養護施設に訪れていた。もちろんこんな血生臭え教会とはなんら関係ない一般的な施設である。なかなか年季の入った、小学校のような建物だった。
中は文字通りの血塗れだった。
どこもかしこも血がついていた。元から壁が赤いのかしらんなんて呑気に近付いて観察してみたらちっせえ肉片と髪の毛の断片がついてたからビックリ仰天ニュース二時間スペシャルだった。どこもかしこも、余すところなく、神経質なまでに赤色で、床には乾いた血の水たまりが赤茶色になって残っていた。
死体はなかった。
壁か天井か床に塗り込まれていたのだろうけど、安藤たちはそれを一個人であると認識できなかった。
安藤と佐山はひたすら、養護施設一階の廊下を歩く。ひどいねえなんて呟き囁き愚痴りながら、きっといないであろう生存者を一応探しておく。お仕事だしね。
意外にも掃除したばかりに見える、キラキラとした窓ガラスからはあったかいお日様が差し込んできて、全てが赤色でなければのんびりとした午後であった。
「……生存者、いるかしら」
「いないでしょうねー。この有様じゃー、てかこの出血量なら、人間がいくつあっても足りないでしょーし、全員使ったと思いますよー」
「一体いくつ使ったのかしら。よっぽど稀有なご趣味だったのね」
「……えーっと、一平方メートル塗るのに必要な血液量を三十ミリリットルとおきましょうかー。それで、ここの壁と天井と床面積を合計して……」
「オッケーやめて。数学嫌いなのよ」
くだらない会話。緊張感のかけらもない会話。血で彩られたこの建物内を、二人の聖職者はお散歩気取りで歩いていく。
「てか悪魔の特定はー? やらなきゃいけませんよねー?」
「後回しにしましょ。今はとにかく生存者の捜索。万が一、億が一だけど、いたら儲け物だもの。調査の手間が省けるわ」
「どんな悪魔でしょうねー。もしくは、どんな悪魔使いでしょうねー」
「……画家志望?」
「死んでも買いませんねー、その画家からは。てか血で描いた絵画ってありませんでしたっけー?」
「キラー・クラウンの絵だっけ? いや、違うわね……。えーっと、ああそうだ、苦悩に満ちた男だ」
「結局アレって都市伝説なんですかー?」
「さあ? 聞き齧った程度の知識だから……」
一階には何もなかったので、二階へ上がった。
「それにしても、よ」
「なんですー?」
「こんなに執拗に残虐に殺すなんて、よっぽどの怨恨よね。恨みつらみを振り翳しって感じ」
「まー、それもあるでしょうがー。単純に悪魔の趣味ってことはー? いかにも残酷でグロテスクな殺し方は、あの害虫どもが好む手法でしょー?」
「悪魔は契約者を傷つけることができないし、逆らうこともできない。指示されない限り死体を大きく損壊するような殺し方はしないわ。奴らはただ契約者の御心のままに行動するもの」
「……んー、それは一理ありますがー、それだとどんなことをこの施設はしでかしたのかって話になりませーん? 一応情報屋が渋々調べてくれてますがー、結構クリーンな施設みたいですしー、ここ数十年間で起きたトラブルはありませんでしたよー」
「情報屋が渋るって……またなんで。注目されてるんだから満足じゃないの?」
「怠惰の悪魔使いとの戦闘でかなり目立っちゃったことを気にしてるみたいなんですよー。『これ以上の物語への干渉は脇役の範疇を超えているのです』ってー。
「難しい子ね。
「今に始まった話じゃありませんよー」
「それはそうだけど」
相変わらず神経質なまでに血染めとなった廊下を歩き、たまに室内を確認しながら、安藤と佐山は進んでいく。相変わらず生存者はいない。
三階に上がる。言い忘れていたが、この建物は四階建てである。つまり、施設の半分を探しても生存者はいなかったということだ。
うん、現状はかなり絶望的。フィールドワークは安藤の得意から外れているため、悪魔の特定には時間がかかりそうだった。
「討伐部隊の人数かなり減っちゃったわよねえ……」
「そうですねー。安藤先輩は期間限定の移籍。アルベルト先輩は海の向こう側でお仕事。神崎先輩とシャーロット先輩に任せっきりって感じですかー」
「……あー、想像したくない」
「奇遇ですねー、おれもでーす。きっと、てか絶対悲惨なことになっていると思いますよー。新人さんたちは全員退職コースですかねー」
討伐部隊は人の入れ替えがかなり激しい。
エクソシストになる子供は大抵二種類と決まっている。金か怨恨。とにかく金がいる人間と、悪魔をぶっ殺したい人間の二択。安藤は前者。佐山は後者。でも大抵の人間は殺人、または暴力行為に手を染めることを直感的に嫌がる。川口春子がいい例だね。温室栽培のお坊ちゃんお嬢ちゃんたちが急に殺し屋まがいの世界に飛び込んだところで早死にするだけである。遠回しな自殺行為なのだ。
だから、大半はやめてしまう。または死ぬ。もって一ヶ月、早くて三日。でも志願者はなぜだか尽きない。ギリギリ運営できる量の子供が出たり入ったりだ。
その中で、安藤や佐山はとびっきりのクソガキであったってだけである。ナイフでハラワタ引き摺り出したあとに焼肉に誘われたらモリモリ食えるタイプの人間。外道とも言える。グロ耐性自慢は今時ただサムイだけだが、とにかくグロ耐性があった。こんな廊下を見てもあちゃー死んでるやーんの一言で済ませられるぐらいにね。
そして、金に困っているワケでも、恨みつらみに妬み嫉みを重ねたワケでもなく、ただ単純に才能を買われてエクソシストになったのが神崎やアルベルト。あの方たちはグロ耐性があろうがなかろうが、殺人行為を忌諱しようがしまいが、関係なくエクソシストのアイコン、シンボル、心の支え、精神的支柱にならねばならぬ、なかなか難儀なお方たちだった。
まあ、とりあえず安藤たちが戻る頃には全員総入れ替えしている可能性が高い。賭けてもいい。賭け事は苦手だが、これだけは五千円ぐらい賭けられる。経験からくる確信であった。
途中にあった扉を開ける。二段ベッドが二つある、子供部屋。さっきから変わらない。中身はやっぱり真っ赤になっている。安藤は軽く見渡して扉を閉めた。
「……佐山くんはさ」
「なんです?」
「どうしてエクソシストを続けられるの? 言っちゃあなんだけど、こんな仕事やらない方がいい。あなたは戦争が好きで好きでたまらなくて、殺人行為に達成感を覚えるタイプではないでしょう?」
「んー、まあ、そーですがー……。でも、やりたいと思ってしまったので」
「復讐?」
「そうでーす。復讐。敵討。殺すまで死ねないんですよーおれ。ありきたりで普遍的でつまらない理由でしょー?」
「あたしよりは崇高だと思うけど?」
「殺人の理由なんてなんであろうと崇高になることはありませんよー。救いも金儲けも復讐も何もかも。殺人は罪です。悪です。罪悪です。許されず、赦されない。極悪非道の残虐非道。徹頭徹尾悪人の行いですー」
「極端ねえ……。悪、悪か。じゃあ死刑判決を下した裁判官は悪人?」
「それは法が定めたことに則って決めたのでしょー? 悪じゃあありませーん。人を裁くのは人間ではなく法ですー」
「……ま、一理あるわね。それでもあたしは殺すけど」
「快楽だからですかー?」
「それもあるけど、単純に得意だからよ。得意を仕事にしたほうが効率がいいの。下手の横好きより、上手の縦嫌いってこと。あたしは人を殺すのが得意。だから殺す。で、お給料をもらって家族を養う。それだけ」
「納得できるような、できないようなって感じですねー」
「極論で自己満足の理論だし……」
三階へ登る。まだ生存者は見つからず、施設内は相変わらず赤色だ。
安藤は今回の悪魔、または悪魔使いは残酷な人間だと思う。思える。しかし安藤が同じ立場に立てたら(どんなシチュエーションかもわからないけど)安藤はもっと残酷な行動をとるかもしれない。殺し方は全て平等に残酷だけども、苦しさとか、痛みとか、そういったのを加味して勝手に考えることはできるのだ。そういった前提のもと考えてみると、安藤はどういった行動をとるだろうか? 別に安藤じゃなくてもいい。佐山だったら、アルベルトだったら、シャーロットだったら、神崎だったら。
どうするだろうか。
悪魔使いはどんなことを考えて、どんな心情でこう殺そうと決意したのだろうか。
別にどうでもいいけど。
一応言っておくと、三階は他となんら変わらなかった。
「あとは四階ですかー」
「一応確認しておきましょ。どうせいないでしょうけど」
諦めやら疲れやらが滲み出た、縁起でもねえことを言い合いながら、二人は階段を登る。
四階に着くと、急に景色が変わった。
足が止まる。絶句する。軽口が止む。二人とも、その光景に釘付けになる。
赤色がなかった。
正確には、血に染まっていなかった。
その階だけ、正常な色のままだった。薄茶色の廊下。クリーム色の、落書きを消した跡が残る壁。パステルカラーのネームプレートに書かれた名前がはっきり見える。やはり四人部屋だったらしい。……いや、そんなことはどうでも良かった。
明らかに異常だった。
そりゃあ一般的に見れば血に染まっている方がよっぽど異常なのだろうけど、あんなに神経質に塗りたくられていたのに、この階だけ血痕の一つもないというのは、かなり異常だ。この階だけ別世界のようだった。まるで犯行前で時が止まって、そのまま保存されたかのような在り方。
異常だ。
「……佐山くん。さっき言ってた計算してみて」
「めんどいんでパスしまーす。それに、この建物全体を塗るんだったら、多分ギリギリ足りるはずですー。人間を余すところなく使ってるっぽいのでー。エコですねー」
「……エコか?」
エコではない。
しかし、血塗られていないのは事実だった。頬をつねるまでもなく現実。幻覚ではない。飽きたのか、面倒だったのか。ドチラかは知らないが、とにかくやめたのだ。
意味がわからない。異常である。不可解である。とにかくどうしようもなく意図が読めない。
安藤は恐る恐る歩みを進めた。佐山が後に続く。さっきより平和だったはずなのに、やけに恐ろしかった。不明を恐れるのは人間らしいが、そんな人間らしさを捨て去ったのがエクソシストでなければいけないので。
扉は全部で四つある。構造は変わらない。二階から四階まで、大体同じ作りの建物で、しかし色だけ違う。
手前の扉を開ける。人はいない。
佐山が二番目の扉を開ける。誰もいなかった。空っぽだった。
安藤は佐山を追い越して三番目の扉を開ける。いない。ただ大きめの犬のぬいぐるみがぐったりしながら、ベッドからずり落ちているだけ。ため息を吐きながら閉じる。
「後はこの部屋ですかー」
「一応構えておいて。何があっても、何もなくてもいいように」
「イエスサー」
「イエスマムにしといてちょうだい」
佐山と安藤は最後の扉の前に立った。深呼吸。落ちつけ。深く考えるな。安藤はただ自分の得意を活かして戦う。己の趣味を楽しみながら戦う。それだけの生き物であると定義付けろ。予定調和が乱れたぐらいで混乱するなぞ、らしくもない。
安藤は扉を開けた。
最初に聞こえたのは歌だった。ソプラノの、少女特有の高い声。異国の言葉で綴られている、安藤は知らない童謡だった。
部屋には天蓋付きのベッドが一つ。四人部屋ではなかった。なぜか内装が他のものより豪華だった。パステルピンクのフリルのカーテン。宝箱のような形の玩具箱からは、うさぎのぬいぐるみが飛び出している。オモチャの青い車。赤い屋根のドールハウス。そこかしこに散らばる人形の服。プラスチックでできた宝石の指輪。
「────」
歌の内容はわからなかったけど、メロディは牧歌的だった。思わず聞き入る。安藤は扉を開けたまま放心する。
歌っているのは、安藤の目の前にいるのは、十歳程度の一人の少女だった。
赤毛の長い、ふんわりとウェーブした髪。パステルピンクのエプロンドレス。ひどく可愛らしい少女である。愛らしいという言葉がこれほど似合う人間がいるだろうか。ぱっちりとした瞳も、歌うたびに少しだけ動く唇も、綺麗な鼻も、染まった頬も、子供らしくて愛らしい。
彼女はたくさんの、色とりどりのオモチャに囲まれながら歌って、遊んでいる。人形の髪を丁寧に梳かす。着せ替える。
「……安藤先輩?」
後ろから佐山がのぞいてくる。佐山が息を呑んだのが聞こえた。
メロディが途絶える。少女が顔を上げる。
「……だれ?」
こてんと首を傾げた。
「あ、あたし、たちは」
「エクソシストです。祓魔師と言い換えてもいいですよ、生き残りさん」
ひどく事務的な態度で佐山が言った。恐ろしく端的だった。安藤は佐山を軽く睨んでおく。
「おねーちゃんたちは、サラの味方?」
「……さあ?」
「み、味方よ、味方。エクソシストだし……」
しどろもどろに佐山のフォローをする。いくらなんでも事務的というか、刺々しいというか。まだ年端もいかぬ少女に対する態度ではないだろうと安藤は思った。しかも生き残りなのだ。彼女が此度の悪魔を知っている可能性だってなきにしもあらず。丁重に、慎重に。ここで心を閉ざされてしまうなんて洒落にならない。お仕事の都合が悪い。とにかく味方アピール。両手をあげて白旗を振る。危害を加えないとアピールする。
「そっかあ。サラの味方……うん、いいね」
「……と、とりあえず、ここで何してたの?」
「遊んでた。先生がね、新しいオモチャをくれたの。だから、あそんでる」
おかしい。
外の惨劇を知らないかのように──実際知らないからこそ遊んでいたのだろうけど、とにかくおかしい。人はいざ死にそうになれば悲鳴の一つや二つぐらい上げるだろう。寿命じゃない限り、口が塞がれていない限り、人は叫んだりなんだり、なんらかのアクションを起こす。
じゃあ聞こえていなかったのか? そんなはずはない。かなりボロっちいこの建物で、人の断末魔が聞こえないということはないだろう。しかもほとんどの人間が死んでいるのだ。壁に塗りたくられていたのだ。かなりの作業量。物音がするはず。違和感があるはず。
……一体、どんな悪魔使いで、悪魔なんだろう。
一人だけ残して、それ以外は全員殺して、一体何がしたいんだろう。
「安藤先輩」
佐山が呼びかけてくる。安藤はやっと自分を取り戻す。
やるべきことをやらなければ。
……
晴れた日の午後。射撃場。
バコンッ! とエナジードリンクの空き缶が音をたてて潰れた。本来なら的が設置されているはずの場所、距離にしておよそ五十メートル先におかれた空き缶は、圧縮機で潰されたような形になって沈黙する。
二つ目。潰れ切った空き缶の隣に、また同じ空き缶が並んでいる。バチンッ! と半分になって上だけ飛んでいった。下半分だけを残す。
三つ目。下半身だけとなった空き缶の隣。べコンと音をたてたけど、潰れはしなかった、真ん中が少々凹んだだけ。衝撃で倒れる。
金髪碧眼の青年、神父であり事務員であるセドリック・ライトフットは三つの空き缶を睨んで、詰めていた息を吐き出した。
「……不安定ですね」
空き缶を潰した張本人に、一言、客観的な事実のみ伝えた。
「んー、定まらないですね」
言葉を変えつつも、同じようなことを呟いたのは張本人である、ふわふわした黒髪を持つ英雄、神崎雨音であった。己が先ほどまで振っていた腕を眺めて首を傾げる。あくびをする。微塵も集中しちゃいない。
怠惰の悪魔使いを殺してから一ヶ月、神崎の術式は不安定だった。
いや、成長途中と言い換えてもいいかもしれない。今まではただ守る時だけ発動していた拒絶が、攻撃も兼ね備えた。神崎にとって不都合と感じたものを拒絶すると、それが壊れるようになった。盾から反射板に……いや、ちょっと違うけど、とにかく攻撃性能が上がった。喜ばしいことだ。
しかし、なんとも不安定である。いかんせん融通が効かない。出力がうまくできない。思い通りにいかないと神埼はこぼしていた。
神崎はまた凹んだ空き缶を睨む。今度は潰れた。潰れたけど、なぜか立方体となった。
「うまくできないです」
「練習すればマシになるでしょう。アルベルトも最初はこんな感じでしたよ」
「アルベルトくんは今もでしょうに」
神崎はクスクス笑った。話題に上がった天使の器、アルベルト・フォーセットは只今出張中である。なんだかんだ忙しい。
「それにしても、難しいです。つまみがぶっ壊れてるオーブンでクッキー焼いてる気分だよ」
「そのつまみをマトモにしましょうか。とにかく練習です。試行回数は多い方がいいでしょう?」
「うへー、めんどくさい……」
しかし実践で使えなければ意味がないのだ。安藤も佐山もアルベルトもいない今、神崎には頑張ってもらうしかない。
新しく空き缶をセットして、神埼の元に戻ってから合図をする。
まず一つ目の空き缶は捻じ曲がった。二つ目は吹っ飛んでどこかにいった。三つ目はこてんと倒れるだけだった。
「最後の方になると威力が弱まりますね」
「あー……多分意識的に抑えてるからだと思います。つまみの数値がゼロか百かって感じなんですよね」
「五十を目指して頑張りましょうか」
「……もう百でもよくないですか?」
「実戦で暴発したら大パニックになってしまいますから。今度こそ、失敗するわけにはいきませんよ」
神崎に失敗は許されないから。
セドリック・ライトフットは修道院長であるレイモンド・フォーセットをよく知っている。理解している。『失敗作』をどうするか、どこまでもよおくわかっているのが、アルベルトの教師役を務めたセドリック・ライトフットという少年だ。
完璧を求めるレイモンドが、失敗した神崎をどうするか。想像に難くない。
「……失敗したところで、ねえ」
ポツリと神崎が呟く。捻れた空き缶が捻り切れた。倒れて転がる。
「失敗したところで、先生は痛くないし、なんなら治るし、別にどうでもいいじゃないですか」
「……しかし」
「看取るのには慣れているでしょう。それとも一丁前に情でも湧きましたか」
「……慣れていようが、いまいが、気分は悪いですよ」
「そうですか」
興味なさげに神崎は会話を終わらせた。
失敗させない。どういう手段を使っても失敗させない。隠蔽だろうがなんだろうが構わない。アルベルトが神崎を英雄とするために手柄を献上するのなら、セドリックは神崎を失敗させないことに重きを置く。
……
「雰囲気変わりましたねえ……」
シャーロットは開かれたはずなのに相変わらず埃っぽい自室で聞き耳を立てて、そう独りごちた。
『蜘蛛糸の魔女』たるシャーロット・ロックウェルならば糸電話の方式でどこだろうが音を拾える。だって魔女だし。願いを叶えるのが魔女の本質だし。そのためならばなんだって利用してやるのが魔女なのだし。
「英雄様に、どんな心境の変化があったのでしょう。もう願ってくれそうにありませんねえ」
丸椅子しかないこの部屋で、シャーロットはみじろぎした。しかないとは言ったが、最低限連絡用の黒電話と押し付けられた書類ぐらいはある。地べたに置きっぱなしだけど。魔女は家具を必要としないのでね。
「嫌な予感がしますねえ。英雄を基盤としているこの教会は、とっても不安定ですから、ちょっとのことで壊れかねません。何せ信者が多い。神ではなく英雄様を信仰する人の多いこと多いこと。新興宗教でも作ったらちょうどいいと思うのですが、願ってくれる人はいないんですよね。願わないなら叶えません。……烏くんの言葉でしたっけ? あの方はどこで何をしてらっしゃるのでしょう……」
最後に会ったのはいつであったか。もう思い出せない同胞に思いを馳せながら、シャーロットはぼんやり考える。糸から伝わる会話内容的に、練習はあまりうまくいっていないらしい。
「うーん、誰か願ってくれませんかねえ。術式の制御も、大罪の悪魔も、何もかもうまくやってあげるのに。ほんと、願ってくれませんかねえ……。願望機がここにいるのに、使わないのは勿体無いですよね」
そこで唐突に電話が鳴った。
シャーロットは糸で受話器を持ち上げる。耳元に吊り下げた。
「もしもし……でいいんでしたっけ? こちら一番隊所属、『蜘蛛糸の魔女』シャーロット・ロックウェル。どんなご用で?」
『よ、シャーロット』
電話口の相手はアルベルトだった。
天使の器である少年。シャーロットの同類。怪物と言い換えてもいい。とにかく仲間である。
国外へ出張中であるはずの彼からの電話。一体何用なのだろう。
「なんのご用です? アルくん」
『今回の悪魔について聞いてなかったなーと思ってさ。書類も忘れちった』
「知りたいと願ったのですね?」
『そ、知りてえから教えてくれ』
「ちょーっとお待ちくださいね……えと、確かこのへん?」
シャーロットは椅子から飛び降りて、書類を漁る。目当ての紙切れを見つける。
「見つけました見つけました。えっとですね、読み上げても?」
『バッチグーだぜ』
シャーロットは実に軽い口調で、ただ書かれている文字を音読した。
「今回探していただくのは、違法経営のカジノを荒らして潰して金品を根こそぎ奪いとっていく──大罪の魔王が一柱、強欲の悪魔マモンと強欲の悪魔使いです……らしいですよ? アルくん」
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