第8話 妄想者(パラノイア)

 平良円たいらまどかは、弟のたまきを連れて、電車に揺られていた。母の誕生日が近いので、プレゼントを買いに隣街の大型デパートに向かっているのだった。

 駅に停車して乗客が乗り込んで来た。そのうちの一人。髪がボサボサでジャージを着た大学生とおぼしき男の隣に、メイド服を着た少女が立っていた。

(え!?コスプレ?)

 円はマジマジと見つめてしまった。良く視ると、メイドの身体は微かに透けている。

(幽霊には見えない。何よりあの男の人にべったりくっついてる)

 それにしても、あのメイドの少女は12歳くらいにしか見えない。

(あの男の人、ロリコンだわ)

 人の空想や負の感情が具体的な存在を生み出すことがある。それが妖魔ファントムだ。低級なら普通の人には見えないし害がないのだが、中級、上級になるにつれ存在感が増し、人間の生命エネルギーを奪う危険な存在になる。

 円は幼い頃から幽霊などのこの世ならざる者を視てきた。いわゆる霊感体質というやつだが、中でも妖魔は警戒すべき存在だ。あの男にくっついているのは低級妖魔で害はなさそうだが、あまり視過ぎて気づかれたら厄介だ。いつものようにスルーすることにした。

 目的の駅について電車を降りると、大学生らしき男も降りて、先に歩いて行ってしまった。

「はー、やなものを視た」

「どうしたの、お姉ちゃん?」

「ううん、何でもない。それじゃあ行こうか」

 エスカレーターで上に上がり、連絡通路を歩いてデパートの二階に入る。

 円はあまり人混みは好きではない、たまに幽霊が混ざってるのも原因だが、さっきのように妄想から生み出した妖魔を連れている者もたまに見かけるからだ。

 知り合いの専門家曰く、妄想者パラノイアと言うらしい。

(メイドならまだ可愛いほうだけど)

 デパートの中を歩いていると、本屋の横を通り過ぎる。中の客の一人は裸の女の子を背後に連れていた。

(あー、もう!あんなの見たくないのに!)

 円は視線を逸らしてファッションコーナーに向かった。

「お姉ちゃん、聞いてる?」

「え、あ、何!?」

「だから、お母さんのプレゼント。何にするの?」

 円は取りあえず気持ちを切り替える。

「そうねえ。服とかかな?お母さん、あんまり趣味がないからね。それが妥当かな?」

 婦人服売場に来ると夏用のワンピースが色々と取り揃えられている。

「取りあえず私が着てみるから、環は感想を聞かせてよ」

「うん、良いよ」

 円は何枚か選んで試着コーナーに向かう。シャッターを開けると俯いた店員風の霊が佇んでいた。円は手をかざして、

(大いなる光よ。迷いし者を照らしたまえ)

 左手首に着けているブレスレットのお陰で円は、簡単な浄霊は出来るようになっていた。霊は光に包まれて消えていった。

「お姉ちゃん、どうかした?」

「何でもない。それじゃあ着てみるわね」

 円は試着室でファッションショーを演じることになった。


 今日は休みということで、榊神酒さかきみきは、隣の鳴神市にある遊園地に妹の美甘みかもを連れて遊びに来ていた。

「お兄ちゃん!ジェットコースターに乗ろう!」

 小学生の妹は元気一杯だった。

「お前は絶叫系、好きだなー」

 神酒は正直、絶叫系は苦手だ。しかし、妹にねだられては仕方ない。ひとしきり怖い思いをした後、二人でソフトクリームを食べて休憩する。

「お兄ちゃん、だらしないなー」

「お前はあれだけ乗って何で平気なんだよ」

 ため息をついて、他の来園者を見ていると、髪の長い高校生らしき女の子を見かける。

(うーん、円さんのほうが綺麗かな?)

 最近、ふとした拍子に円のことを思い浮かべることが多くなった。妹が彼女の弟と一緒に宿題をすることが多く、必然的に神酒も平良家にお邪魔することが増えた。彼女のことを考えると身体の芯から立ち上がる感覚が沸き起こり、他のことを考えることが出来なくなる。

「ねえ、お兄ちゃんってば!」

「ん?何だ、美甘?」

「今度はあれに乗ろう!」

 美甘が指差すのは観覧車だった。

「ああ、良いよ。乗るか」

 兄妹仲良く観覧者に乗り込み、しばし、絶景を楽しんだ。

「ねえ、お兄ちゃん。円お姉ちゃんのこと、好き?」

 神酒は思わず吹き出した。

「な、何をいってんだお前は!藪から棒に!」

「えー、だってあたし円お姉ちゃん好きだし、お兄ちゃんが結婚したら本当の姉妹になれるでしょ?」

(なんだ、そんな理由か。心を見透かさされたと思って焦った)

「嫌いじゃないよ。いつもお前のお世話してくれてるからな」

 取りあえず無難な答えを返しておいた。小学生の恋愛観なんて、そんなものだろう。

 しかし、神酒にとって円が気になる異性であることは確かだ。気がつくと彼女のことを考えている。

(これは恋愛感情なんだろうか?)

一人で悶々としてしまう神酒だった。


 デパートから戻って、食事の後にプレゼントを渡すと、母は大層喜んでいた。WEBデザイナーとして、女手一つで円と環を育ててくれた母には感謝の念しかない。

「お母さん、喜んでたね」

 環はお風呂で、円に背中を洗われながら嬉しそうに言った。

「毎日忙しそうにしてるからね。自分の誕生日も忘れてたっぽいね」

 環の身体をシャワーで洗い流し、浴槽に浸かる。環は背中を円に預けて手でお湯を飛ばして遊んでいた。最近は危険な妖魔に遭遇もせず、平穏な日が続いていた。

(このまま穏やかな日が続けば良いけど)

 円は頭を浴槽の縁に乗せてため息をついた。


 遊園地から帰り、食事を済ますと二人でお風呂に入った。身体を洗い、お互いの背中を流し合う。

「あたしも円お姉ちゃんみたいにおっぱい大きくなるかな?」

 美甘の独り言が聞こえ、神酒は反射的に円の裸を想像してしまった。

(不味い!)

 神酒は慌てて浴槽に浸かった。

「?、お兄ちゃん、ちゃんと泡を流してから浴槽に入ってよ」

「あ、ああ!分かってる、悪かった!」

 美甘はシャワーで身体を流し、浴槽に入って来た。妹だが女の子の全裸を見たことで、円の裸をより具体的に想像してしまった。そんなことは知る由もない美甘は、いつものように背中を神酒の背中に預けた。

「?、お兄ちゃん、何か固いものが背中に当たってるんだけど?」

 もう我慢の限界だった。神酒は前を隠して浴槽から飛び出した。

「お兄ちゃん?ちゃんと浸からないと湯冷めするよ」

「いや、十分暖まった!先に出てるな!」

 浴場の扉を閉めると神酒は深くため息をついた。バスタオルで素早く身体を拭いて下着を穿く。自室に入ると神酒は鍵を掛け、膨れ上がる欲求を吐き出すことにした。


 明けて月曜日。円はアラームで目を覚まし、ベッドから滑り降りるとパジャマから制服に着替えた。洗顔を済ませて隣の部屋を覗くと、環はまだ夢の中だった。

「環ー、起きなさい。朝だよー」

 肩を揺するとようやく環の目蓋が開いた。

「うー、お早う、お姉ちゃん」

「お早う。早く用意しなさいよ」

 リビングに向かうと母はすでに朝食の用意をしていた。

「お早う、お母さん」

「おはよー!今日の朝食は気合い入ってるわよ」

 昨日のプレゼントでご機嫌な母は満面の笑顔だった。

 食事を終えると歯を磨いて、カバンを持ち登校の準備を終える。

「環、早くしなさい!」

「待ってよ、お姉ちゃん!」

 母は珍しく玄関まで見送りに来た。

「行ってらっしゃい、気を付けてね」

「うん、行って来まーす!」

 八階でエレベーターに乗り下降する。程なくして五階で扉が開いて榊兄妹が乗り込んでくる。

「おはよう!円お姉ちゃん!環くん!」

「おはよう、円さん」

 しかし、円はフリーズして、顔をひきつらせた。神酒の背後に素っ裸の自分が立っていたからだ。

「わあああー!」

 円は思わず蹴りを入れて神酒をエレベーターの外に追い出した。全裸の自分がその側に座り込んだ。神酒は何が起きたのか理解出来ずにキョトンとしている。

「わあっわあっわあー!」

 円は閉まるボタンを連打して、目の前の光景から逃げようとする。

「ど、どうしたの、円お姉ちゃん!?」

 美甘が慌てて腕にすがってくるが、扉が閉まるとすぐに一階のボタンを連打した。

 三階に到着すると一つ年下の幼なじみ、雲類鷲仁美うるわしひとみが乗り込んで来た。

「おっはよー!って、円ちゃん、どうしたの?顔が真っ赤で物凄く怖いよ!」

「良いから!早く乗りなさい、仁美!」

 仁美が乗ると、円はまた一階のボタンを連打している。

「な、何があったの、美甘ちゃん!?」

「あ、あたしにも分からないです!今日の円お姉ちゃん、怖いです!」

 その声で、円はようやく頭が冷えた。

「ゴ、ゴメンね、美甘ちゃん!怖がらせるつもりはなかったんだけど、あれは流石に我慢出来なかった!」

「が、我慢って何の我慢ですか?」

 美甘はすっかり怯えてしまっていた。円は優しく抱き締めて謝ることしか出来なかった。


「おはよー!って、あれ?何か変な雰囲気じゃない?」

 通学路の途中で合流したのは、ショートカットの似合う空手部のエースにして円の親友、八月朔日摩利だ。

「摩利!実はね!」

 円はこっそりと摩利に耳打ちした。摩利の顔が驚いたような、怒ったような、複雑な表情になった。

「よっし、分かった!私も付き合うよ、円!」

 ということで、摩利も同行することになった。


「円ちゃん、本当に遅刻するの?」

 小学生組と別れた後、商店街の入り口で仁美は心配そうに尋ねてきた。

「うん、このままじゃ学校に行けないし、仁美は先に行ってて」

「良く分からないけど、また妖魔絡みなんだね?分かった、お大事にね、円ちゃん。八月朔日先輩、円ちゃんをよろしく頼みます!」

「うん、心得た!」

 仁美と手を振り合って別れると、円はシャッター街に不自然に存在する店を前にしていた。

 たかなし雑貨店。妖魔関連の問題を解決する専門家が経営する店だ。円でも具体的な問題を抱えてないと、見つけることが出来ない店だ。看板にはこう書かれている。

『見えるはずのないモノを視たことはありませんか?誰にも言えない悩みを解決します』

 円は摩利の手を握った。すると、摩利にも見えないはずの店が視えた。円は意を決して扉を開いた。ドアチャイムが鳴って、中にいる人物が振り向いた。長い髪をポニーテールにまとめ、派手な柄のポンチョを着た、二十代半ばくらいの美女が笑みを浮かべていた。

 小鳥遊永遠たかなしとわ。駄菓子から武器まで売ってる雑貨店の店主にして、妖魔退治の専門家、夢想士イマジネーターだ。

「おや、円ちゃん、摩利ちゃん。こんな時間に来るなんて珍しいね。もしかしてサボり?」

「ええ、まあ、サボりなんですけど。ほら、円!」

 摩利に促されて円は顔を上げた。

「とわさん!神酒くんを殺しても良いでしょうか!?」

「へ?うーんと、はい?」

 流石のとわも、戸惑ってリアクション出来なかった。


「ふーん、なるほどね。榊くんが裸の円ちゃんを連れていたと。それは低級妖魔だよ。前に妄想者の話はしたよね?」

「だって、素っ裸なんですよ!神酒くんは私の裸を想像してたってことですよね!?最低です!」

「いやー、高校生ならそれくらいの妄想はするでしょ?思春期だから仕方ないよ」

「そうだよ、円。私も最初は何てやつだって思ったけど、思春期の男の子が女の子の裸を想像するのって、無理ないんじゃない?」

 とわと摩利に諭されるが、円の気持ちは収まらない。理性では納得しても感情は納得しない。

「じゃあ、摩利も想像してみてよ!知り合いが裸の自分を侍(はべ)らせてるシーンを!」

「いや、榊くんも侍らせてたわけじゃないでしょ。そもそも視えないんだから」

「視える視えないの話じゃないよ!勝手に裸を想像されてたことに怒ってるんだよ!」

 とわは処置無しとばかりに肩を竦めた。

「じゃあ、円はどうしたいの?今後二度と榊くんとは関わらないの?そんなこと出来る?」

 妹の美甘が円の弟と仲が良いから、それは不可能だろう。だとすれば、一体どうすれば良いのだろう?

「円ちゃんも仕返しに榊くんの裸を想像すれば良いんじゃない?」

「ええっ!?そ、そんなの無理ですよ!男の人の裸なんて、弟のしか見たことないし!」

「小学生の裸じゃ意味がないよ。ちょうどここに、本場のエロ本があるんだが」

 そう言ってとわは一冊の雑誌を取り上げた。

「無修正だからハッキリ写ってるよ、ほれ!」

 開いたページをこちらに見せるとわだが、円と摩利は思わず手で目を隠した。ただ、指の間隔が開いているので、まともに見てしまった。

「や、止めてください!私が神酒くんの裸の妖魔を作って、何の意味があるんですか!」

「んー、まあそれもそうだ」

 とわはあっさりと雑誌を引っ込めた。

「要は円ちゃんが榊くんに対してどう接すれば良いのかだよね?円ちゃんは榊くんが嫌いになったのかい?もう顔も見たくない?」

 とわの問い掛けに円は頭を冷やして、深く考える。妹思いで環にも優しくしてくれる神酒には好感を持っていた。クラスメイトの男子たちと比べても、神酒は下卑たところがない、清潔な印象を持っていた。だからこそ今回は過激な対応を取ってしまった。

「榊くんって他の男子と比べても好感度高いよ。そりゃあんたの裸を想像してたのは事実かもしれないけど、それってあんたのことが好きだからじゃないの?」

「す、好き!?神酒くんが私のことを?」

「好きでもない女の子の裸を想像したりしないよ。少なくとも榊くんならね」

 摩利に言われて円は神酒のことを思い浮かべる。そりゃ円だって神酒には好感を持っていた。でも、それは恋愛感情じゃない。

「私はまだ好きって感情がどんなものか分からない。でも、神酒くんに好意を持ってたとは思う」

「だったら・・・」

「でも、それは恋愛感情じゃないと思う。少なくとも今は」

 円は口をつぐみ、コーヒーを一口飲んだ。

「ふむ。それで?榊くんとはちゃんと向き合えそう?」

 とわは腕を組んで尋ねてくる。

「あの、裸の私を消さない限り無理です!」

「ふむ。思春期だから、また同じようなことが起きるとは思うけどね。榊くんはどうやら妄想者みたいだし」

 それを言われると円はずーんと落ち込んでしまう。

「まあ、低級妖魔なら円ちゃんでも消せると思うよ。そのブレスレットを着けてる限りはね」

「本当ですか!?どうすれば良いんですか?」

「いつものように手をかざし、『悪しきモノよ、大いなる光で消え去るが良い』と唱えれば良い。低級妖魔ならそれで消すことが出来る」

「それで裸の私を消し去ることが出来るんですね?」

「うん。後は円ちゃんが逃げずに立ち向かえるかどうかだね」

 しばらく俯いていた円だったが、意を決して顔を上げた。

「私、神酒くんと向き合います。それで裸の私を消し去ります!」

「うん、偉い。ただこれは姑息療法だからね。思春期の男の子である榊くんはまた同じことをやらかすかもしれないよ?」

「だ、大丈夫です!その度に私が消しますから!」

「何だかこれから忙しくなりそうだね、円」

 円の肩に手を置いた摩利が、うんうんと頷いている。

 円も両手で顔をパンッと叩いて気合いを入れた。


 結局、遅刻して学校に向かった二人は、担任にお小言を頂戴して教室に辿り着く。

「あれー、摩利と円が遅刻なんて珍しいね」

「何かあったの?」

 クラスメイトたちの追及を何とかかわして、円は自分の席に着いた。昼休みには決着をつけなければならない。円は休憩時間を、まんじりともせずに過ごした。

 そして、遂に昼休みがやって来た。

「じゃあ、円。榊くんを呼び出すから屋上で待っててね」

 摩利がポンッと肩を叩いて教室を出て行った。いよいよその時が来た。円は弁当を持って屋上に向かったのだった。


 屋上に出ると、ベンチにちらほらと昼食を摂って談笑している連中がいる。円はベンチの一つに腰掛け、神酒が来るのを待った。神酒の隣に立つ裸の自分を見て錯乱したのを思い出し、気が重くなる。

(いや、あれは単なる妄想、妄想。消してしまえば問題ない)

 考え込んでいるところに、

「円さん」

 何だか引き気味に声をかけてくる者がいた。いわずもがな、榊神酒だ。

 円はゆっくりと顔を上げて神酒を見上げた。今朝と同じように全裸の円が神酒の隣に立っている。

 円は手をかざし、

「悪しきモノよ、大いなる光で消え去るが良い!」

 何の予告もなく、いきなり妖魔を消滅させる。手の平から光が放出されて全裸の円はサラサラと消えてゆく。

「はーっ!」

 円は膝に両手を当てて深い息を吐いた。

「ま、円さん、大丈夫?やっぱり僕はいないほうが良いかな?」

 神酒はかなり引いている。まあ、今朝のこともあるし、いきなり呪文を唱えられたらドン引きするだろう。

「あ、待って、神酒くん!今朝のことについて話したいことがあるの!」

「あ、うん」

「とりあえず、隣に座ってくれる?」

 円はベンチに腰を下ろし、神酒がその隣に座る。

「まずはゴメンね。いきなり蹴っ飛ばしたりして」

「あ、ああ。驚いたけど、気にしてないよ。何か事情がありそうだし」

 円は結局、自分の霊感体質や妖魔の存在などを話した。そして、自分が何を見たのか説明すると、神酒は顔を赤くしてダラダラと汗をかいていた。

「ぼ、僕が円さんの裸を想像したら、それが実体化した!?」

「そう。私が今朝テンパった理由はそれなのよ。神酒くんに悪気はなかったことは承知してるけど、いきなり全裸の自分を連れてる神酒くんを見たら、頭が真っ白になっちゃって」

 思わず蹴っ飛ばしてしまったと、話を締めくくった。

「ゴ、ゴメン、円さん!いきなりそんな物視たらビックリするよね!で、でも決してやましい気持ちがあったわけじゃなくて!」

 今度は神酒がテンパっている。円は手をかざして神酒の言葉を遮った。

「い、良いのよ。思春期の男の子って、ああいうの想像しちゃうんでしょ?」

「そ、それはそうだけど!あー、ダメだ!恥ずかしくて穴があったら入りたいよ!」

「そ、それは私もだよ!」

 しばし、会話が途絶えどちらからともなく笑いが漏れた。

「良かった、円さんに嫌われたのかと思ったよ」

「それは、私もだよ。いきなり蹴りを入れちゃったなんて、まるで摩利みたい」

「あー、八月朔日さん空手部だからね。もし彼女に蹴られてたら、僕は今頃入院してたかも」

「あはは、摩利ならやりかねないね」

 自然に話に花が咲く。円は勿論、神酒も自然体に戻れて嬉しかった。それから、お昼を摂りながら何気ない世間話で盛り上がる二人だった。


「おい、どういうつもりだよ」

 四月一日光わたぬきひかるは、拳を震わせて仁美に問いかけた。屋上の扉に隠れて成り行きを見守っていたが、仲の良い男女の関係なんて見せられて、何の嫌がらせだと四月一日は怒声を上げかけた。

「だって、円ちゃんのことが心配だったんだもん」

「だもんじゃねー!嫌がらせも大概にしやがれ!」

 四月一日は立ち上がると屋上のエントランスから階段に向かった。

(別に円先輩が誰と仲良くしても関係ねーし!)

 しかし、この胸の仲のモヤモヤは一体なんだ?ともすれば激しく何かをぶち壊したい衝動にかられていた。

(こんな時は妖魔退治だ!街を歩けば妖魔憑きの一人くらいいるだろう)

 四月一日は夢想士だ。Bランクだが、結構腕利きだという自負がある。四月一日は肩を怒らせ教室に戻って行った。


 放課後。いつものごとく摩利は空手部の部活に向かう。

「上手くいって良かったよ。そんじゃ円、また部活の後でね!」

 摩利は横ピースを決めて空手部のある武道場に行った。

「さて、それじゃ円ちゃん。オカ研に行こうか?」

「何でそうなるのよ。私はオカ研に入部したつもりはないよ」

「宿題は家に帰ってからやればいいでしょ?」

「まあ、それが普通だけど、私は家じゃ予習したいし」

「まあまあ、固いこと言いっこなしっしょー?」

 いつの間にか背後に立っていた、オカルト研究会の副会長、栗花落愛奈つゆりまなに、羽交い締めにされていた。

「ちょ、ちょっと栗花落さん!?」

「さー行こう行こう。雲類鷲ちゃん、平良ちゃんのカバン持って上げてねー」

「ちょっと、待ってってばー!」

 抵抗空しく円はオカルト研究会の部室に強制連行された。

「はー、強引だなあ、もう」

 円はため息を漏らすがそんなことを気にする栗花落ではなかった。

「平良ちゃん、日本茶と紅茶、どっちが良いー?」

「あー、じゃあ紅茶をお願いします」

「ほいほい、了解っと」

 栗花落がお茶を入れてる間、会長の勅使河原真てしがわらまことは、椅子に座り、何やら熱心に見入っていた。どうやらオカルト関連の本らしいが、その会長の背後に、典型的な悪魔の姿があった。

「えーと」

 部室に入った時には確かに何もいなかった。ということは、勅使河原が妄想した低級妖魔ということになる。

(考えてみたら、オカ研の部員なんて普段から色々と妄想してそうだよね)

 とりあえず円は、手をかざして心の中で呪文を唱える。

(悪しきモノよ。大いなる光で消え去るが良い)

 円の手から光が放出され、会長の背後にいた悪魔は姿を消した。だからオカ研などに来たくなかったのだ。仁美はともかく、後の二人は色んな妄想をしているに違いないからだ。

「はい、平良ちゃん。紅茶だよーん」

 栗花落の能天気な声で円は現実に帰った。

「栗花落さん。言っておくけどオカ研には入らないからね?」

「まあ、そう冷たいこと言わないでよー。部員が少なくていつ潰れるか分からない弱小部なんすからー」

 栗花落は紅茶のお茶請けのクッキーにかじりつく。

「そうだよ。円ちゃんは基本、帰宅部なんだから、たまに部室に顔を見せてよー」

 仁美も何だか甘えた声で言い募る。ポリポリとクッキーにかじりつく姿はリスを連想させた。

「とりあえず、平良ちゃん。新しい七不思議の話、聞くー?」

「もう、とっくに七つじゃないよね?」

 円はツッコんだが、栗花落は物ともしない。

「何と!理科室にある・・・!」

「人体模型が動き出すんじゃないの?」

 円は機先を制してそう言ったが、栗花落は人差し指を降って、チッチッチと唇を尖らせる。円は少しイラッとした。

「そっちじゃなくて骨格標本のほうでしたー!それがね、夜の校舎を徘徊するらしいよー。しかも、何故か数が増えるらしいってー」

「骨格標本の集団?それは確かにやだなあ」

 円は想像して顔を歪めてしまった。それはお会いしたくないが、普通の生徒なら会うことはないだろう。

「それって、夜に徘徊してるんでしょ?一体誰が目撃したの?」

「うっ、それはー、えっとー」

 言葉に詰まる栗花落を横目に見ながら、円はオカ研からどう脱出するか、考えていた。


「ぐっ、くそー!」

 四月一日は錫杖を振るって群がる中級妖魔を蹴散らす。

 駅前付近で発見した妖魔の結界の中に入ったのは良かったが、上級妖魔の強さに手こずっていた。おまけにワラワラと中級妖魔が集まってくるから戦いにくいこと、この上ない。

「食らえっ、雷撃!」

 四月一日は稲妻を周囲に落として群れを全滅させる。そこに、黒い狼のような妖魔が牙を剥いて襲いかかって来た。

「雷撃!」

 四月一日は稲妻を飛ばすが、黒狼は物ともせず、喉笛を狙ってくる、

「うおおっ!」

 錫杖を噛ませて逃れるが、身体の上にのしかかられて、身動きが取れなくなった。

(くそっ、殺られる!)

 覚悟を決めたその時、黒狼の背中で何かが爆発した。身体に掛かっていた重みが無くなって、四月一日は上半身を起こした。そこには、ポニーテールに派手なポンチョを着た女性が立っていた。その手には日本刀が握られている。

「おいっ、ポンチョ!邪魔するな!俺の獲物だ!」

「おいおい、あのままじゃ君は食い殺されていたぞ。大体、結界の中に入るとはどういうことだい?中にいるのは上級妖魔だ。敵わないことは判ってただろうに」

 そこにいたのは小鳥遊永遠だった。

 黒狼は標的を変えてとわの方に殺到した。すると、赤い石がばら蒔かれて、次々と爆発が起こる。

 とわは緑の石を取り出し、動きの止まった黒狼の足元に投げた。

「急急如律令(きゅうきゅうじょりつりょう)!」

 術が発動する呪文を唱える。すると黒狼の身体は太い植物の蔓でぐるぐる巻きにされ、身動きを封じられた。地を蹴って疾走するとわは通り過ぎざまに刀を振るい、黒狼の首を跳ねた。

 上級妖魔の死により、結界がグラグラと揺れて崩壊が始まる。

「さあ、行くぞ少年!結界が崩壊する!」

 刀を鞘に納めたとわは四月一日に手を差し伸べた。四月一日はそれを無視して一息で立ち上がった。

「うるせー!指図するな!」

「ふん、それだけ元気なら心配無用か」

 二人の夢想士は結界の出口に向けて疾駆した。


「どうして、あんな無茶をしたんだい?Bランクの君が上級妖魔に勝てるわけがないだろう?」

「うるせーな!俺はただ暴れたかっただけだ!」

 とわと四月一日は公園のベンチで、距離を開けて座っていた。

「A+ランクは指導する立場でもある。あまり無茶ばかりしてると、上に報告しなければならなくなる」

「けっ、勝手に何でも報告してろよ」

「何かムシャクシャすることでもあったのかな?例えば気になる異性のことで」

 それを聞くと四月一日は顔が火照って、赤面していることを自覚した。

「な、何もなかったって言ってるだろーが!」

「分かりやすいなー。君の周りには円ちゃんの姿がちらついているぞ」

 言われて四月一日は、慌てて自分の周りを錫杖で払った。

 夢想士は空想を現実化させる能力を持っている。その点だけを切り取れば、夢想士と妄想者に大きな違いはない。

「ま、円先輩は確かに綺麗な人だけど、それだけだ!」

「青春だねー。でも、円ちゃんは榊くんに気があるみたいだよ。少年も頑張らないとな」

「さ、榊神酒が何だってんだよ?俺はいざって時に円先輩を守れるぜ!」

 語るに落ちるとはこのことだろう。四月一日は口を手で覆ったが、すでに手遅れだ。

「ま、頑張りたまえ、少年。ほら、上級妖魔の魔水晶はあたしが貰うが、中級妖魔のは君にあげるよ」

 とわは小さい水晶を片手一杯に取り出し、ベンチの上に置いた。

「大きなお世話だ!・・・小遣いが要るからこれは貰っておく」

 四月一日は忸怩たる思いで魔水晶をかき集め、カバンの中に仕舞う。

「さてと。あたしは店があるからこれで帰るよ。少年も寄り道せずに帰りたまえ」

「うるせー!お袋かよ!?」

 立ち去る先輩夢想士の姿を見送り、四月一日は力無く立ち上がった。


 円はようやく家に帰りついて、ため息をついた。リビングを覗くと環と美甘が宿題を片付けていた。

「あ、お姉ちゃん、おかえりー!」

「円お姉ちゃん、お帰りなさい」

 心なしか美甘の元気がない。

「美甘ちゃん、安心して。神酒くんとはちゃんと話して解決したから」

「ほ、本当ですか!?」

「うん。じゃあ今夜は久しぶりにお泊まりする?」

「はい!それじゃあ用意してきます!」

 美甘は満面の笑顔でランドセルを背負い、自宅に一旦戻った。


 広いお風呂に三人で入り、身体を洗い合ってると、ふと、円は思い付いた。

「美甘ちゃん、環を羽交い締めにしてくれる?」

「え?あ、はい!」

 美甘は言われた通り、環を背後から羽交い締めにした。円はじっくりと観察する。その時、とわに見せられたエロ本の写真を思い出した。脳内変換されて、神酒の裸を想像してしまった。

「オーケー!もう良いよ、美甘ちゃん」

「うう、もう、何で僕ばっかり見られるのー?」

 環は身体を流しながらボヤいていた。円は脳内で作られた神酒の裸を、何とかして消そうとした。しかし、鮮明に焼き付いてしまい、頭から離れない。

(なるほど。神酒くんもこんな気持ちを味わってたのね)

 円は熱く火照る顔を冷たい水で洗った。


 翌日、美甘は一旦自宅に戻り、朝食を摂った後、円と環は支度を整えて家を出た。

「「行ってきまーす!」」

 エレベーターに乗り込んで下降すると、五階で榊兄妹が乗り込んで来た。円は僅かに顔をひきつらせた。今日も神酒の隣に全裸の自分が立っていたからだ。

(思春期だからって想像し過ぎだよ!)

 とりあえず、円は手をかざして全裸の自分を消し去った。それを見ていた神酒は、バツの悪そうな顔で頭をかいた。

「ま、円さん、ゴメン!昨夜もつい、想像しちゃって」

「・・・うん。分かってるから大丈夫だよ。もう蹴ったりしないから安心して」

 しばらくは自分の分身を消す日々が続くと思うと、自然に円は盛大なため息が出るのだった。







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