第35話 光と星の決意

 その夜のことだ。


──眠れない。


 この世界にきてから、こういうことはたまにある。そういう時は少し散歩をするのだ。結衣菜は寝床から出て、魔結界の中を歩き始めた。砂を蹴る音だけが彼女と共に歩く。


 結衣菜たちはレイネルを出た後、ペペ砂漠の道中にポツンと存在するオアシスで野宿をしていた。昼間の暑さは夢だったのかと紛うほど、ぺぺ砂漠の夜はそのイメージとは変わってとても寒い。

 アズルフとロイドが新しく用意してくれた長袖の旅着の意味を伺うことが出来る。寝ているスイフトの横を通った時、その向こうから誰かの声が聞こえてきた。


「それにしてもハルキさんに出会えてよかったよな。ユイナも安心だろう」


 ガクの声だ。今日の見張りは二人だったか、どうやらエリスと話しているらしい。


「そうね。とても考えられないような偶然だけど……いいえ、全ての事柄は必ずどこかで繋がっているのよね」


 エリスは神妙な面持ちだ。ガクはオアシスの湖畔を映った自分の顔を見つめるとつぶやいた。


「繋がっている、ね。……クワィアンチャー族の俺とパリスレンドラー族の君が出会ったこともきっと必然だったんだろうな」

「突然どうしたのよ。いままでずっとその話題は避けていたようだったけれど……」

「……俺はもう逃げないことにするよ、エリス。自分自身の運命から、使命から」

「ガク……ありがとう」


 完全に出て行くタイミングを失った結衣菜はそこから動けなかった。オアシスの水を求めてやってきたトカゲが、結衣菜の足元に近寄り、チラチラと舌を出すとどこかへいってしまった。


「あと、話さなくちゃいけないことがあるんだ」

「話さなくちゃいけないこと?」

「ああ、クワィアンチャー族の本を読んでてわかったことなんだけど」


 ガクはレイネルを出る際、クンメルから例の古書を貰っていた。彼がそれを捲ると心地の良い音が静かなオアシスに響く。


「ああ、その本……それで、何がわかったの?」

「世界の扉を開ける方法の話だ。ユイナたちに伝えてないことが二つある」

「……隠していたの?」

「きっと言ってしまえばユイナは別の方法を探すと言い出すからね。あの子は優しい子だし。でも、他の方法もないんだ。ユイナたちが自分の力を制御できるようになるのに一体どれほどかかるのか……そもそも制御できるようになるという保証もないし。だから言わなかった」

「そう……それで、それはどんなこと?」


 砂漠の夜の風が少し鈍ったように感じた。


「扉を開けるために必要なもの。この前言ったものの他に、クワィアンチャー族の時とパリスレンドラー族の魂が必要と書いてあった」

「時と魂……」


 結衣菜は思わず立ち上がりそうになって、砂が音を立てた。慌ててかがみ込むと、その後に反応したのか、スイフトが寝相を変えた。


「誰かいるのか?」

「スイフトよ。……それで?」


「ああ。俺は……一体どうなるのか、俺自身の〈時〉を失うらしい。本来はその儀式をする際、何人ものクワィアンチャー族が協力をするから犠牲は少ないらしいけど、今回は俺一人だからどのくらいの時間を失うのかわからない。パリスレンドラー族の方は……」


「魂ね……覚悟はできているわ。元より、光の御子として生まれ落ちた時から、この魂は世界のもの。それに、今崩れかけている世界のバランスを戻すことができたとしても、その代償として私達双子は息絶えるでしょう。パリスレンドラー族は生まれるときも死ぬときもその時を同じくするの。それも、私達の宿命」


 思い沈黙が訪れ、暗闇に広がる砂漠の砂だけがサラサラと音を立てて風に舞った。空には月が白く強く輝いていて他の星々はそれに遠慮するように瞬く。

 景色は美しい。けれど、なぜかそれがとても悲しいことのように感じられて、結衣菜は拳を握った。


「なぁ……エリス」


 重い口を開けたのはガクで、「なぁに」と返したエリスの声は柔らかい。


「すごいくだらないことだけど……俺、今の旅、びっくりするほど楽しいんだ。アシッドが嫌いなわけじゃないけど、やっぱり虐げられて暮らすのは辛かったのも、あるかもしれない。たまたまユイナとチッタ、ティリス、あの三人と出会って。決して楽じゃなかったけれど、いろんなところを旅して。なんだか少しだけ、救われた気がするんだ。自分の過去のこともわからない俺を、暖かく受け入れてくれたあいつらにすごく感謝してる。ティリスこそ初めは戸惑ったと言っていたけど、彼女も歩み寄ろうとしてくれた。だから、俺がこれからの時全てを犠牲にしようと、それまでの時間はいままで以上に大事にしたいと思うんだ」

「そう……」


 彼の意思を認めた声。彼女も思い出したように話し出す。


「私は……私にとって話し相手なんて、弟と妹しかいなかったわ。光の御子として生まれた私を、両親はまるで精霊でも見るかのように崇めた。私はそれが気持ち悪かった。その両親が、普通の子として生まれてきた妹に、まるで〈不必要〉だというように接していたことも、私は気づいていた。でも私は光の御子として、使命を優先した。……後悔しているの。妹を置いてきたこと、弟の変化に気付けなかったこと。いつだっていい姉でいようと、尽くしてきた。でも……ダメだったのね……どこで間違えたのかしら……私は、一人の人間じゃなくて、御子……なのよ」


 彼女の声は震えていた。今にも嗚咽が混ざりそうな彼女の肩に彼の手が優しく触れた。


「大丈夫。俺もみんなも、ただ御子として君のことを見ているわけじゃない。君はパリスレンドラー族で、光の御子でもあるけど、それ以前に〈エリス・ベンチャー〉なんだよ」


 エリスは鳩が豆鉄砲を食らったかのように目を白黒させている。ガクが微笑むと、エリスもつられたように口角を上げた。


「ふふ、そうね。ありがとう。だからきっと私……。いいえ、まずはクラリスよ。あの子をどうにかしない限り、この世界はバランスを崩して滅びてしまう。きっと彼は誰かに操られているわ。あの時見たあの子の目は魔法をかけられているように見えた。……そしてその術者も、おそらく遺跡にいるわ」

「そうだね。俺もそう思う。クラリスはきっと一筋縄ではいかないだろうな。何か考えないと」


 人並みではないクラリスの強さ。それは誰でも恐怖するような絶対的なものだ。遺跡に行ったらまた彼と対峙することになるのだろうか。ぶるっと身震いをした結衣菜は急に怖くなり、寝床に戻ることにした。

 扉を開くための犠牲……彼らが話していたことを結衣菜は反芻する。けれど、まだ幼い少女の心の中では、その事実をどう処理していいのかという正解は見つかりそうになかった。

 彼らを照らす美しく輝く月だけが、冷たく夜空を照らしていた。

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