第39話  人の行く裏に道あり花の山(1)

 寛和元年(985年)の夏、忠明達が必死になって人選し、無事に雨乞いの為の恩赦が行われたが、それから数日も経たないうちに、とんでもないことが起こった。


 恩赦の努力もむなしく、花山かざん天皇の最愛の人である女御にょうご"藤原忯子よしこ"が、子供を妊娠したまま急死したからである。


 実際、この年の夏は雨が降らないだけに暑かったのではなかろうか。


 雨乞いや、いろいろな祈願も虚しく、天候にも健康にも恵まれず、うら若い忯子はこの世を去った。


 もしかして妊娠中毒症にんしんちゅうどくしょうや、他の病気も抱えていたのかもしれない。


 今なら進んだ医学でサポートできるのだろうが、この時代の出産は本当に命懸けだったようである。


 その上、ただでさえ妊娠中ずっと体調が悪かった忯子を、花山天皇はしていたらしい。


 そこで忯子の死は、花山天皇の心に大きな衝撃を与え、結局、その悲しみを引金にしてしまうことになる。



 想像してみよう!


 花山天皇は十七歳、忯子にいたってはまだ十五歳ほどである。


 今の時代で置き換えるなら、"高校生夫婦"なのだ。


 世の中の事が、まだ充分に分からない年頃であっただろうに、周囲の大人達はあまりにも不親切だった。


 なぜなら、花山天皇がその無茶をしていた裏では、な公卿達が政治をボイコットしていたからだ。


 だが一方で、それを逆手にとって、花山天皇の庇護の下、大胆な改革に着手した者達もいた。


 それは、藤原義懐よしちかと藤原惟成これしげである。



 円融天皇の後を引き継いで即位した花山天皇だったが、支えてくれるはずの外祖父・藤原伊尹これただは既に亡くなっていた。


 そこで後ろ盾になって助けてくれそうな者といえば、三十歳になったばかりで、まだ公卿にもなれていない藤原義懐しかいなかったのだ。


 義懐は伊尹ので、本来、外叔父にあたる人だが、花山天皇が即位すると、早速、三位さんみの位を与えられ、国政に参加するようになった。そしてそのままスピード出世を成し遂げ、一年程経った頃には、参議さんぎ権中納言ごんちゅうなごんと順調に駒を進めたのである。


 しかし、彼を取巻く環境は、決して甘くなかった。


 既に、冷泉天皇の即位をめぐって、藤原北家とそれ以外の藤原氏の"外戚の座争い"は決着していたはずだが、今度は北家の内部でが始まっていたからだ。



 当時の藤原氏と天皇について語っている書物に、有名な 『大鏡』 や 『栄花物語』 があるが、どちらも藤原氏が栄えていく過程が描かれている。


 特に 『大鏡』 では、最愛の人を亡くし世を儚んだ天皇が、藤原兼家かねいえやその息子・道兼みちかねに半ば罠にめられるように出家する話が、それは見事に、まるで克明に書かれているから面白い。


 一方、『栄花物語』 は、藤原氏を賛美する目的で書かかれているような印象を受けるが、その中ですら、兼家は悪口を書かれている。 


 実際のところ、本当に残念な人であったようだ。

 まぁ、残念に描くことで、道長の優秀さを浮き立たせようと狙っていたのかもしれないが。



 やっと参議になった義懐だったが、兼家に迎合している貴族達にはあからさまに冷たく扱われた。


 本来なら、伊尹の五男である義懐は、兼家の兄の子供でにあたるが、この時代になると、同じ藤原北家の中で主導権争いが起こり、反目し合っていたのだ。


 もともと兼家は、兄である兼通とも仲が悪く、また、嫌いな者とは徹底的に会わないようにするなど、かなり偏ったところのある人物だったようである。


 そこで、先代の円融天皇とも対立していた時期があった。


 政治が有利になる潮目を待つかのように、自分の娘が生んだの"懐仁やすひと親王"(後の一条天皇)を自分の屋敷に隠し込んで、朝議や公式行事に出ない嫌がらせをしていたようだ。


 この姿勢は、花山天皇の時代にも変わるがことなく、本来なら"右大臣"として若い天皇を支えなければならない立場なのに、そのまま引き籠りを続け足を引っ張っていた。


 つまり義懐にとって、朝廷はずっと"アウェイ"だったのである。


 だが、そんな陰険な兼家に対して"向こうを張る"切れ者が現われた。


 それは花山天皇の乳母の息子、つまり乳兄弟ちきょうだいにあたる藤原惟成である。


 彼は、良くも悪くもで、花山天皇に取り立てられると、かなり思い切った改革を進めていった。


 例えば、この当時、この人は左衛門権佐さえもんのごんのすけという役職についていたのだが、これは検非違使庁の役職なので、少なからずとも、使庁の者達は彼の厳しい改革にと思われるのだ。


 そこで、話は彼の改革について展開することになる。


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 眩しい夏の日差しが降り注ぐ、そんな昼下がりことである。


 福安ふくやすは辛い仕事を任され現場に立っていた。


 目の前には、小さな田がゴミゴミと広がっている。


 今年の暑さは過酷な上、まとまった雨も降らない。そのせいか稲は全て弱ってペシャリとなり、田の土もカサカサに乾いている。


「これでは、田薙たなぎするまでも無かろう! 」


 ちょっと安堵したように、福安は呟いた。


 ここは都の西外れで、流れて来た者達が田を作り住み着いているのだ。


 今の福安は、忠明とは別件で放免達を指揮する仕事を担わされている。

 だが、それなりに出世してきたはずなのに気分がすぐれない。



 夏の乾いた風が吹きぬける。


 福安は、何とも言えない重苦しい気持ちで深呼吸をした。


 このの"不法な田"を撤去するのが、今回の仕事なのである。


 確かに、不法占拠した土地に勝手に田を作るのはいけないことだが、それも生きるためだと思うと心が動かない訳でもない。


 そして、この仕事こそが、惟成の改革を実行する為のものだったのだ。



 

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