第3章消失(Disappeared)

アルプスの山々から昇る太陽が、ドリーのゴールデンブロンドの髪をきらめかせ、透き通るような白い肌を淡いオレンジに染め上げる。その明るすぎる光に目を細め、彼は朝の訪れを知った。


一足先に目覚めていたジョーは、ハウスロボットのいない20XX年のシャレ―のキッチンで、コーヒーを淹れていた。リビングのテレビではニュースが流れ、戦争や内戦の爪痕が画面を埋め尽くしている。飢えに苦しむ人々、家を失った難民、NPOの支援を待つ痩せ細った子どもたち。次のシーンでは、濃厚なチーズがとろけるステーキや、金箔をまぶした高級チョコレートが、スローモーションで艶めかしく皿に盛られている。

まるで、悪夢と美食を同じ皿に乗せて提供する、狂ったシェフの料理みたいだった。

ジョーはわずかに顔をしかめ、ゆっくりとコーヒーを口に運んだ。深煎りの苦味が喉を滑り落ちる。

やがて、2階からふわりとコーヒーの香りに引かれるようにして、ドリーが降りてきた。まるで、鼻先に吊るされたマグロフレークに誘われる気まぐれな猫のように。


「早起きだね!ジョー」

そう言いながらジョーからコーヒーカップを受けとり、おはようのキスとした。

「君が遅いんだよ。相変わらずの寝坊助だな」

ジョーはやれやれというように、ドリーの鼻を指で軽く弾いた。

ドリーは聞こえなかった振りをして、流れているTVに視線を移した。

「20XX年を生きるっていうのは大変なことだな。さて、どうする?ジョー?」

「君はいつもノーアイデアなんだな」

ジョーはそういうとキッチンの冷蔵庫を開けて見せた。

「まずは食料調達だな。この時代にはスーパーがあるみたいだから、そこに行ってみよう」

ジョーは庭に停められた宇宙局所有の白いベンツに乗り込んだ。

この車両は20XX年製だが、彼自身が拡張ナノAIを組み込み、粒子ネットワークと接続できるよう改造した。

彼は手首を軽くこすり、投影ホログラムを起動すると、車のシステムと即座に同期した。

「AIリンク完了。20XX年型車両、プロトコル適応済み。」

電子的な声が響くと、車のダッシュボードに微細な光の粒子が走り、

旧時代のアナログシステムが、未来のテクノロジーによって書き換えられていく。

「自動運転、起動。」

ジョーが命じると、粒子ネットワークが車両制御ユニットに接続され、

わずかな振動とともにエンジンがスムーズに始動した。

ハンドルは自動で調整され、ダッシュボードには25XX年のUIがオーバーレイされる。

――20XX年の遺物を、25XX年のテクノロジーが支配する――


ドリーは、大型スーパーの冷蔵ケースの前で足を止めた。

透明なパックに詰められた肌色の鳥の足が見える。

「……これ、本物の鳥肉?」

彼は、子供のようにあわててジョーを見た。

「そのようだな」当たり前だというようにさりげなく答える。

ドリーは恐々手を伸ばし、パックを持ち上げる。ぶつぶつとした鳥の皮と切り口からは骨と赤い血が見える。

脳内のデータベースを検索するまでもなく、それが25XX年ではすでに消滅した概念のひとつであることは分かっていた。

「いやいやいや……ちょっと待てよ。まさか、本当に動物から切り取ったもの?」

「見てわかるだろう」ジョーはうるさく騒ぐ子供を叱るように言う。

ドリーの指先がわずかに強ばる。まるで、触ってはいけないものに触れてしまったかのように。

「つまり……つまり、これって……生きてたってこと?」

「その通り。」

ドリーは慌ててパックを戻した。

「まじで? いや、ちょっと待て……だって、肉って植物から作るものでしょ? ほら、細胞タンパクを再構築して、脂肪組織の分子レベルまで調整して、適当な食感を——」

「それは、25XX年の話だ。」ジョーはドリーの話を遮った。

「20XX年では、動物を育て、屠畜し、その肉を食べる。それが普通だった。」

「普通……?」

ドリーは、もう一度パックの中のは白い塊を見た。

「じゃあ、これ……どこかを歩いてたやつなの?……無理。」

ドリーは、棚に整然と並ぶパックを眺めながら、じわじわと現実を受け止め始めた。

「鳥って、生きてるんだよな? 目があって、口があって、餌を食べてさ。鳥や牛なんて生態系維持のために保護されてるだけで、食用にするなんてありえないのに……」

ドリーは、ふと隣のケースを見た。そこには「豚ロース」「牛もも肉」と書かれたパックが並んでいた。動物をペット以外の家畜として扱う20XX年という時代の価値観を改めて奇異に感じた。

「20XX年の人類は、タンパク質の摂取において、倫理よりも効率を優先している。」

「倫理よりも……」

「……いや、マジで無理。ちょっと外の空気吸ってくる。」

彼はスーパーの入り口へと足早に向かった。

ジョーも何も言わず、過保護の親のように彼の後をついて行った。


結局、その夜のディナーはパンと大豆から作った製品のオンパレードになり、まるでビーガンを極めたような食材がテーブルに並んだ。

「この日本製の豆腐はいいね。25XX年にも似たようなものがあるけど、風味は人工物だからね。こっちのは自然の料理って感じがしていいね。」

ドリーはそう言いながら、フォークで豆腐をすくい、口に運ぶ。

「……大豆の味しかしない。いや、悪くはないんだけど」

しばらく考え込んだ後、オリーブオイルをひと回し、塩をぱらりと振りかける。そして再び口に運び、今度はわずかに満足げに頷いた。

「さて、明日は何をしようか? ジョー?」小さくパンをちぎりながら尋ねる。

「また、俺まかせか?」

ジョーも軽く皮肉を口にしながら、つられるようにパンを手に取った。

「じゃあ、アイデアを出そう。明日はドイツのゴシック時代の街並みを見に行く。これでどう?」

ドリーはジョーの目をどや顔で覗きこんだ。

「君にしては悪くないアイデアだね。騎士道の時代の街並みは、後の大戦でほとんど失われてしまったし……バーチャルじゃない実物を見ておくのも、悪くない」

そう言って、ジョーはドリーの唇についたオリーブオイルを指先でぬぐった。


 道はなだらかに曲がりながら、アルプスの山並みに向かって伸びていた。朝の光が霧を透かして丘陵を照らし、芝生にはまだ露が残っている。ドリーは窓を少し開け、冷たい空気を深く吸い込んだ。

 「粒子移動で一瞬なのに、わざわざ車で移動するなんて、なかなか贅沢だよね。まあ、AI運転だけど」

 ジョーはフロントガラス越しに外の雪景色を眺めながら、軽く頷いた。

 「たまにはいいだろ。せっかくこの時代にいるんだ、移動の時間も楽しんでみるさ」

 「それにしても、昔の地球はやっぱりコンクリートの建造物が多いね」

 ドリーは高速道路から見えるドイツの街並みに目を向け、独り言のように呟いた。

 ベルンの旧市街に入ると、石畳の道路が車のタイヤの下で細かく振動した。道の両側にはアーケードが続き、重厚な石造りの建物が整然と並んでいる。空はどんよりとした雲に覆われ、湿った空気が体を包む。灰色の街並みの先には、中世の世界に迷い込んだような錯覚を覚えた。

 「おお……なかなか壮観だな」

 ジョーは車の中から歴史ある時計塔――ツィットグロッゲを見上げた。金色の針が時を刻み、その周囲にはゴシックとバロック様式が融合した装飾が飾られている。

 「これが13世紀から動き続けてる時計塔か……。25XX年じゃ、こんなアナログなものはまず見られないね」

ドリーは、迷うことなく車を降りた。近づかずにはいられなかった。

 「まずは、あの時計塔を間近で見てみたい。どうせなら、仕掛け時計が動くのを逃したくない。」

二人は、雑踏の中を縫うように、時計塔へと急いだ。

道端には小さなパン屋があり、ウィンドウにはベルン名物の“ベーレンブロート”がずらりと並んでいた。クマの形をした可愛らしいパンが、ほんのり焼き色を帯び、甘い香りとともに食欲をそそる。

ドリーは急に足をとめてウインドウを覗き込む。

 「ジョー、食べようよ」

駄々っ子のようにジョーの手を二度引っ張る。

 「時計塔を見たいんじゃなかったのか……まあ、いいか」ジョーはいつもの気まぐれに振り回されるのを観念し、パン屋の赤い扉を押した。

焼きたてのパンを片手に、二人は再び時計塔へと歩き出した。ベルン旧市街の中心にそびえるツィットグロッゲは、遠くから見ても存在感があったが、近づくにつれ、その細部の精巧さがよりはっきりと見えてきた。

 「やっぱり、間近で見ると装飾が細かいね。それに、すごい人だ。」

ドリーは見上げながら言った。塔の壁面には時の流れを象徴するような黄金の装飾が施され、天文時計の針が時を刻んでいる。

そのとき、鐘が町中に響き渡った。

「もうすぐ仕掛け時計が動く時間だ!」

ドリーは嬉しそうに足を一歩踏み出し、前のめりに体を傾けた。

「観光地は大変だな。この時代、地球には80億人もひしめいている。」

ジョーは人の波に揉まれ、後ろから押されるたびにわずかに顔をしかめた。

やがて、時計塔の天文時計がゆっくりと動き始める。金色の太陽と月が回転し、十二宮の星座盤がわずかにずれる。そして、小さな扉が開くと、カクカクとした動きで姿を現した。王冠をかぶった人形が杖を掲げ、その後ろから、鎧をまとった騎士が槍を高く掲げて進む。さらに、砂時計を持つ老人の人形が、ゆっくりと時間を測るように動いた。

「すごい……! 仮想空間じゃなく、こんな複雑な仕掛けが13世紀から現実世界で動き続けてるなんて、まるで奇跡だ」

ドリーは興奮して、じっとその動きを見守った。

「奇跡というより、匠の技だな。こんな歯車の仕組みを最初に考えた人間がいたことに驚く」

ジョーは技術者らしく、当時の技法に興味を示す。

やがて、仕掛け時計の動きが止まり、小さな扉がゆっくりと閉じる。鐘の音が鳴りやむと、街の喧騒が戻ってきた。

「もう一回見たいな』」

ドリーは名残惜しそうに時計塔を見上げる。

「それなら、一時間ここにいることになるぞ」

子供のわがままをたしなめるように言いながら、ジョーはドリーの腰に手を回した。

 「次の町に行こう。」


彼らが車を走らせ、リヨンに到着した頃には、午後の陽射しが石畳の街路を黄金色に染めていた。ベルクール広場の大きな噴水が陽を受けてきらめき、広場を行き交う人々の足元には、長い影が落ちている。

「ベルンより、空が明るいね」

ドリーは窓の外を見渡しながら、明るい陽射しに喜んだ。

「ああ、リヨンはアルプスの影響を受けにくいからな。晴れる日が多い。」

ジョーは眩しそうにサングラスをかけながら、街を見つめた。

「で、どこに行く? 時間も限られてるぞ」

ドリーは広場の中心に立ち、ぐるりと周囲を見渡した。

「うーん、せっかくだから旧市街を歩いてみたい! それから、美味しいビーガン料理を探したいな!肉はだめだ。動物の顔が目に浮かぶから」

ドリーの提案に、ジョーも特に異論を挟まず頷いた。

リヨン旧市街は、迷路のように入り組んだ路地が続き、赤茶けた屋根の建物が並ぶ。店先にはチョコレートやフルーツが彩るケーキ、さまざまなエクレアが並び、フランスらしい魅力的なかわいらしい看板がかかっている。

 「これは、トラブールだ」

 ジョーは路地へ続く小さなアーチを指さした。

 「トラブール?」

 「リヨン特有の秘密の通路だ。建物の中をくぐり抜けて、裏道に出られる。昔は絹織物職人が布を運ぶために使ってみたいだ」

 「へぇ……合理的だな」

 ドリーは興味深そうにアーチをくぐり、薄暗い石造りの通路へと足を踏み入れた。建物の中庭を抜け、反対側の路地へと出ると、ダンジョンからでたように違う景色が広がっていた。

 「こういう構造、未来にはないよね」

 「そもそも、仮想空間以外に“路地裏”なんてものはないからな」

 ジョーはトラブールの建築技法には多少なりとも感心したように眺めている。

 「さーて、そろそろ何か食べようよ!」

 ドリーはジョーの腕を引っ張り、通り沿いのビストロへと向かう。

 リヨンは美食の都と称されるだけあり、ビーガン対応のレストランも増えていた。地元の野菜や穀物を活かした料理が並び、香ばしいスパイスやオリーブオイルの香りが漂っている。

 「ここはどう? ‘Bouchon Végétalien’って書いてある。(リヨンの伝統的な食堂)だって!」

ドリーが指差した小さな店は、木製の看板がかかったこぢんまりとしたビストロだった。

ジョーはメニューを確認し、「まあ、悪くはなさそうだな」と言いながら、小さなブドウが実るアーチをくぐる。

天窓から降り注ぐ太陽が、赤と白のテーブルクロスに柔らかな影を落とす。

フレンチジャズが流れ、ワインのグラスが揺れる。

人々はランチを楽しみながら、午後のひとときを味わっていた。

2人が注文したのは……

クネル・ド・レギューム(野菜のすり身で作ったグラタン風の一品)

グラタン・ドーフィノワ(ジャガイモのグラタン)(ビーガンチーズを使用)

タルト・リヨネーズ(ナッツとフルーツのタルト)

「美味しそう……! 25XX年の食事に不満はないけど、こういう料理もいいな。」

ドリーはクネル・ド・レギュームをゆっくりとフォークで割る。

ふわりと、エストラゴンの甘くスパイシーな香りが広がった。

「ジョーは何も言わず、それを見ていた。」

「……なに?」

ドリーが問いかけると、ジョーはペリエをひと口飲む。

淡く弾ける炭酸とともに、ライムの香りがふわりと広がった。

「いや、のどかだなって思っただけ。」

ドリーはニヤリと笑い、皿をジョーの前に押し出した。

「本当はこれが食べたいんじゃない? ほら、一口やるよ。」

ジョーはわずかに眉をひそめ、グラスを揺らした。

「遠慮しとく。」

それでも、彼の視線はクネル・ド・レギュームの上で止まっていた。

「……。」

ライムの断面がペリエの泡に包まれていた。


食事を終えた二人は、ソーヌ川沿いを歩きながら街を眺めた。

陽が少し傾き始め、川面に映る建物の影がゆらりと揺れる。

石畳の道を進むたびに、カフェのテラス席からはコーヒーの香りと人々の語らいが流れ、角の花市場ではスイートピーやローズの甘やかなアロマが風に乗ってふわりと漂ってくる。

「このまま夜までいたら、夜景も綺麗だろうね。」

ドリーは立ち止まり、ゆっくりと川を見つめる。

遠く、青銅の屋根を持つ建物が夕陽を浴びて鈍く光っていた。

「ヴヴェイに帰る時間を考えろよ。」

ジョーは言いながらも、足を止めて空を仰ぐ。

金色の光がレンガ造りの街並みに降り注ぎ、すべてが優しい色に染まっていた。

「……まあ、そうだけど。」

ドリーは未練がましくリヨンの街を振り返る。

まだ名残惜しげに、路地の奥の古びた書店や、川沿いの小さなカフェを目で追う。

「また来ればいいさ。」

ジョーも、もう一度街を見渡し、二人は歩き出し、駐車場へと向かう。



車を走らせるうちに、リヨンのくすんだオレンジ色の街並みはゆっくりと遠ざかり、やがてスイスの緑豊かな景色が広がり始めた。

ヴヴェイに戻る頃には、レマン湖が穏やかに夕焼けを映し、湖畔のカフェにはランプが灯り、人の姿はまばらだった。

『やっぱり、湖のある街って落ち着くね。』

ドリーは窓を開け、頬をかすめる湖の風に目を細めた。針葉樹のウッディな香りがふわりと混じる。

  

翌朝、25XX年へ帰る準備を始めた。

 「転送のタイミングは調整済み。ここで粒子転送を開始すれば、問題なく帰れるはず」

 ジョーは慣れた手つきで端末を操作し、時空移動のプロトコルを確認し、転送プラットフォームの座標をセットする。

「……え?……え?」

一一消えた。

ジョーが、消えた。

一一跡形もなく、一一

ドリーは呆然とした。転送システムの作動音はまだ鳴っていない。

「ジョー? どこにいるの?」

焦る手でプロトコルを調べる。

エラーコードは表示されない。異常もない。

だがーー

『NO DATA』

何かの間違いかもしれない。見落としがあるはずだ。

シャレーの中を探し回る。寝室、バスルーム、キッチン。

すべてのドアを開け放ち、ジョーの名前を叫ぶ。

だが、答える者はいない。

探せない。

さっきまで隣にいた。確かにいた。

朝、コーヒーを飲んで、キスをした。

車の中では皮肉を言いながら、それでもドリーの行きたい場所に付き合ってくれた。

ベルンの時計塔。

リヨンのトラブール。

ビーガンレストランの食事。

そのすべてが、どこか遠くの夢のように感じる。

「ジョー……どこに行ったんだよ……ジョー。」

ドリーは崩れるように床に座り込んだ。

膝を抱え、顔を埋める。

声にならない叫びが、心の奥で何万回となく弾ける。

まるで、母犬を見失った子犬のように。

ただ、ただ、彼の名前を呼び続けることしかできなかった。

冷たい床が、彼の熱を奪っていく。

一一ジョー。一一

答えるものはいない。

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