その心意気や良し

 アレッサスの操縦桿を握る手に力が入らない。強化服の下は汗でずぶ濡れであり、通気性の悪さと相まってケンプはじめじめとした不快感の中に漬け込まれている気分だった。


 機体の出力は著しく低下している。右腕は結合部の破損で外れてしまっており、脚部にも不具合が生じている。自動姿勢制御装置は機能しているが、アレッサスはまともに歩けない有様だ。各部位に動作を伝達する魔力回路サーキットは処理速度が落ち、機体反応の鈍化は手が付けられなかった。

 装甲の厚さは定評通りで炉心周りは無事であったが、各武装も一部を除いて弾もエネルギーも枯渇した状態。唯一残された天魔滅神剣アスラシャストラムは鋭さを失っていないが、今にも外れそうな左腕一本で振るうのは実に心許ない。


 ケンプが龍の姉妹と死闘を演じて分かったことがある。碧玉が圧倒的に強い。思えば大和日ノ本やまとひのもとにいた頃の彼女はとこに伏せがちであり、一人で黙々と書をしたためている印象だった。別れて十年の間にここまで力をつけたのか。


 いずれにせよ、今の状況は非常にまずい。このまま敗北すれば……。


「……Neinナイン,noch nichtイッヒ ニヒト. Ich habe auch nichtイッヒ ハーベ アウフ ニヒト nur nichts getanヌア ニヒツ ゲターン. Ich musste Trainingイッヒ ムスステ トレーニング dutchaufenドゥルヒラウフェン, das so hart warダス ゾー ハルト ヴァール, dass ichダス イッヒ fast gestorben wäreファスト ゲスターベン ヴェーレ!」

(いや、まだだ。おれだって腐ってばかりいたわけじゃない。死ぬほど辛い訓練だってやってきたんだ)


Dein Geistダイン ガイスト ist bewundemsewrtイスト ベヴンダーンスヴェルト. Dass du bisダス ドゥ ビス zum Schluss dieツム シュルス デイ Hoffnung nichtホフヌング ニヒト aufgibstアウフギブス, ist eine deinerイスト アイネ ディナー schönen Eigenschaftenシューエン エィヒサイテン, Bruderブルーダー

(その心意気やよし、なのですわ。最後まで希望を捨てないところが兄様の美点です)


Red keinen Unsinnレッド カイネン ウンジンDas ist nur einダス イスト ヌーア アイン Zeichenツァイヒェン von Überheblichkeitフォン ユーバーヘブリヒカイト

(馬鹿言ってんじゃないよ! ありゃ単に強がってるだけさね)


 ぐぬぬぬっ。ケンプは十年間ポロランドで過ごしているので公用語であるザクセン語を、それで夢を見る程度に習熟している。これなら姉妹にも理解できないだろうと踏んでザクセン語を使ったのに、彼女らは語学能力も堪能だった。恥ずかしさで顔面が紅潮し、心がえぐいほど削られた。


「ほらほら、つまらない意地を張ってないでさっさと降参しな」


「へ、へへっ! 生憎とおれはまだ倒れちゃいねえぜ」


 威勢を示すが、引かれ者の小唄。それを本人が最も自覚しているのだから嫌になる。まずい。このままアレッサスが落ちれば、ポロランドの国民が、仲間が、そして母が……。


「ほほほ、苦戦をしているようだな少尉」


「テリヴルヒ ⁉」


 魔窓から天元術士の声がした。「ここまでよく頑張った。あとはこちらに任せ、君はⅡ号機の第二操縦席へ移動したまえ」


「あ、ああ。そうさせてもらう」


 第二操縦席とは要するに脱出装置である。Ⅱ号機(胴体)から炉心を含むブロックごと操縦者を分離、射出する。

 ブロックは射出後に飛行形態へ変形するので、これで戦場を脱するのだ。


 ケンプはテリヴルヒの指示に多少の違和感も覚えたが、死中求活の思いが勝って迷わずに操縦席下部のレバーを引いた。直ちに床が左右に開き、座席が垂直降下を始める。移動装置が搭乗者を目的地まで運ぶと、室内に明かりが灯った。


 すべての機器が正常に働いていることを確認すると、ケンプは脱出装置の封印を解除してボタンを押した。


「……あれ?」


 もう一度押す。さらにもう一度。何度やっても装置が作動しない。「おい、テリヴルヒ! 脱出できない。何とかしてくれ」


 天元術士の力なら操縦席にいるケンプを安全な場所まで瞬間的に移動させることもできるだろう。

 だが魔窓から響いた声は非情だった。「私は君に第二操縦席に移動するようにと達しただけだ。脱出は指示してはおらぬ」


「なんだと⁉」


「だが、任せろとも言ったはずだ。何の心配もいらない……」


 憤慨するケンプの体に座席から拘束具が伸び、腰も首も両腕、両足もがっちりと捉えられてしまった。突然の拘束に驚き、罵詈雑言の限りを尽くして藻掻もがくケンプの眼前に魔窓が長方形に開き、一文が表示された。


 Krieger, erwacheクリーカー エヴァッヘ. Alles ist fürアレス イスト フュア den デン Dämonenkönigデーモネンキンギ. Nach deinem Willenナッヒ デイネム ヴィレン

(戦士よ、甦れ。すべては魔王のために。御心のままに)


「こ、これは……なんだかやばい!」


 気が付けば操縦席は真っ黒い瘴気で満たされ、それは明確な悪意を伴ってケンプの目、鼻、口、耳、全身の毛穴を通して彼の身心に侵入した。


「がっ、ぐごああああっ、おぅ、おおおっ!」


 想像を絶する恐怖に襲われて絶叫するケンプだが、その声が外に漏れることはない。悪意は欲望のままに彼を凌辱し、蹂躙した。


 一方で外で様子を伺う龍の姉妹は魔力モビルの異変に顔を見合わせていた。


「なんだい、急に大人しくなっちまって……おおい、ケンプ! 継之助! 観念したのなら素直に出ておいで!」


「待って姉様……。少し様子がおかしいのですわ」


 二人が見ている前でアレッサスの魔力炉心は黒い波動を発しながら起動を続け、エネルギーを魔力マナモビルの四肢にまで送り届ける。


 アレッサスの眼が光を放った。


「な、なんですの、この異常なまでの魂力ヴェーダは……? 兄様、兄様! 応答してください!」


「あいつめ、勝てないからって自棄ヤケでも起こしたってのかい!」


 魔力モビルが異様な気配で再起動する様は龍の姉妹を十全に警戒させた。すっかり萎えていた戦意が禍々しい殺気を伴って肥大化しており、アレッサスの破損した箇所が超常的な力で復元されていくのだから只事ではない。

 バラランダの甲板に転がっていた右腕が独りでに浮かび上がって本体に結合されると、この巨人兵士の顔を覆っていた面皰マスクが弾け飛んだ。するとその下に現れたのは人間を模して造られた口であり、巨人は牙を生やした咥内を全開にして雄叫びを上げた。


 この声たるや鼓膜を直撃するけたたましさで、龍の姉妹でさえ仰け反らせてしまう音量は笑えない。


「まったく、こんな大声上げるほど継之助はあたしらと一緒に来るのがイヤだってのかい」


「ともかく、あの機体は尋常ではありません。溢れる力を抑えるだけでも操縦者は相当の負担のはず……、私は大変に心配ですわ。早く兄様を引っ張り出しましょう」


 咆哮後のアレッサスは口を真一文字につむぎ、剣をだらりと提げた自然体で屹立している。あれほど増幅した殺気が今では感じられず、それが逆に不気味であった。


「やれやれ、骨が折れそうさね!」


「底の知れない相手ですが……やるしかありませんわ」


Deineデイネ Einstellungアインシュテリンク istイスト bewundernswertベヴンダーンスヴェルト……」

(その心意気や良し……)


「──!」


 不意にアレッサスの口が開き、まるで人間のように会話を投げ掛けてきたのだ。唖然とする龍の姉妹だが、緊張の高まりは抑えられない。

 それほどの圧力を感じて戦慄した。


「あんた、一体何者だい!」


「勇壮なる龍の巫女には初めてお目にかかる……。我名はハジュン。第六天魔王にして魔王軍ヴァイダムを統べる者なり……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る