第2話


 それからの毎日は、桜田にとって衝撃の連続だった。

 手始めの昼休みに、桜田は例の如く二人きりになれる体育館裏に拉致された。


「どうぞ召し上がってください」


 差し出された重箱弁当の蓋を開けると、高級和食屋で振る舞われるような色とりどりの食事がギッシリ詰め込まれていた。


「これ、高ノ嶺先輩が作ったんですか?」

「ええ。あなたが以前告白した女の子が重箱好きだったと聞いたので、わたしも作りました」

「なんかヘンな勘違いをしてそうですけど……凄げー。先輩って成績良いしスポーツも万能なのに、その上料理も作れるなんて。噂通り本当になんでもデキる人なんだなぁ……」

「世の中が女性に求めるあらゆる素養を習得していますので」

「壮大だなぁ……流石は高ノ嶺先輩。それじゃあ、いただきます!」


 高級な味わいと、真心の籠もった見事な重箱に舌鼓を打つ。

 勝手なお嬢様イメージを持っていたせいか、小手先な作業は苦手だろうと思っていた桜田だったが、彼の中で高ノ嶺は料理上手へと更新された。


 天は二物を与えずという言葉は、どうやら高ノ嶺麗花には通用しないらしい。桜田は改めて彼女のポテンシャルの高さを思い知るのだった。


「めっちゃ美味かったです。ごちそうさまでした」

「わたしを好きになりましたか?」


 高ノ嶺が落ち尽きなく訊ねた。自信に満ち足りた表情で、鼻息をフンとさせながら。


「……そんなに告白してほしいですか」

「違います。あなたの傾向として、そうあるべきだと言っているのです」

「相手を好きになるって、なんというか……そういうのとは違うと思うんですけどねぇ」

「では……これはどうでしょうか」


 桜田の左腕が、きゅっと高ノ嶺の胸の中に収まる。


「あの……高ノ嶺先輩」

「そして、こうです」


 高ノ嶺は、大きく潤んだ黒目で桜田に至極必中の近距離見つめ攻撃を繰り出した。


「じっー……」

「マンガ的擬音を口で言うんですか」

「愛読している作品で、ヒロインの子がやっていたので」

「先輩、それは空想だからですよ」

「ドキドキしたり……しませんか?」

「俺は……付き合いもしてないのに、こういうのは……反対です」


 桜田は絡まってくる高ノ嶺から腕を引き抜こうとした。だが抜けなかった。


「……離さないわ。ここで片を付ける」

「アンタは一体何と戦ってんだよ!」

「わたし、負けないもの……何事にも屈してはならないの!」


 小さな子供のようにぷくっと頬を膨らませた高ノ嶺が、桜田をガッチリホールドする。

 数分間の格闘の後、桜田はなんとか高ノ嶺を引きはがして事なきを得たのだった。




 その後も高ノ嶺の猛攻は続いた。

 不必要なボディタッチに、桜田の休憩時間の独占。蠱惑的な上目遣いの多用。放課後の待ち伏せからの帰宅デート。ときにはバイト先のコンビニに客として訊ねて来ることまであった。


 高ノ嶺が取る桜田を惚れさせるための行動は、いずれも人気の無い場所で二人きりのときにだけ行われた。それは、世間体を考慮した高ノ嶺の判断によるものであった。

 高ノ嶺麗花には、三つの呪縛がある。


『なんでも一番になれ』『みっともない真似をするな』『求められる人材であれ』


 幼い頃から両親に言い聞かせられて育った彼女にとって、これらはできて当然のことだ。

 だからこそ、桜田に求められないことは高ノ嶺にとって琴線に触れる出来事でしかなかった。しかしここ最近の自らの行動が見るに堪えないものだということも、彼女は十分理解していた。

 高ノ嶺は、早急に蹴りを付けたかった。

 高ノ嶺麗花としての――威厳を保つために。


 つまり、次に学校中の生徒を前に高ノ嶺が桜田と共にいる瞬間とは――、

 桜田が――高ノ嶺麗花に告白をするそのときなのである!




 ある日の放課後デート。雑多な車が往来する遊歩道橋を歩きながら、桜田は言った。


「そこまでしてくれなくても良いんですよ。高ノ嶺先輩」

「それはあなたが決めることではないです」


 隣を歩く高ノ嶺が、桜田の空いた手のひらを狙っていた。

 そして次の瞬間、獲物を狩る猫さながらに彼女の手が伸びる――が、桜田はそれをヒラリとかわして笑った。


「手を繋いだからって好きになるわけじゃないですよ、先輩」

「男性は、異性との肉体的接触によって好意が芽生えるという客観的なデータがあります」

「俺はそんなことないですよ」


 桜田の言葉に、高ノ嶺が「信じられない」とぼやく。


「一貫性がなくて、ただでさえ大変なのに……」

「大変? 何がですか」

「なんでもありません! とにかくあなたはわたしに心からの告白をしてくれればそれで良いのです!」


 トライ&エラーを繰り返していた高ノ嶺が、ようやく桜田の手を掴み取った。満足そうにする彼女を横目に、桜田が切り出す。


「……そういえば、最近、先輩の悪口を聞きました」

「なんですって? 誰よ、その愚か者は」

「愚か者って……先輩の取り巻きの誰かじゃないですか? ……まあ、十中八九俺とのことでしょうけどね」

「……そう」


 桜田の手のひらを離し、高ノ嶺はしゅんと肩を落とした。

 そんな彼女の様子を窺いながら、桜田は口を開く。


「すいません、先輩……知らないままのほうが良かったですよね」


 落ち込んだ顔に相反して、今日の彼女も相変わらず綺麗だ。先日とは違い、今日は明るめのリップをしているせいか、普段より活発な印象だった。

 高ノ嶺麗花は、毎日微妙な変化を桜田に見せてくる。

 それはヘアスタイルやメイク、カラーコンタクトなど手軽に変えることのできる装飾で、桜田は、彼女をまるで着せ替え人形みたいだな、と思った。


「先輩は――」


 桜田が口を開いた折り、正面から走ってきた男子中学生と肩がぶつかる。頭を下げてきた中学生に落ちた紙切れを手渡して、その後ろ姿を見送る。


「ちなみに高ノ嶺先輩って、俺の名前知ってます?」

「え? 桜田、でしょう」

「……そうです。よく知ってましたね」

「あなた、もしかしてわたしのことをバカにしているの?」

「だって先輩俺のこと呼ばないから」

「桜田桜田桜田。はいどうですこれで満足ですか」

「めっちゃ不服そう。てか早口すぎでしょ」


 ハハハと笑いながら、桜田は鉄橋をぺんぺん叩いた。



 * * *



 それ以来ぱったりと、桜田は高ノ嶺と会うことがなくなっていた。

 そもそも学年が違うため、故意に会おうとしないかぎり二人が遭遇することはない。

 桜田から会いに行くことは決してなく、彼はいつもの日常に戻っていたのだった。




 移動教室の際、たまたま高ノ嶺のクラスとすれ違うときがあった。

 桜田、これには流石に声をかける。


「あ、高ノ嶺先輩だ。最近どーしたんですか」


 足を止めて、彼女の表情を覗き込むようにして話しかける桜田。一方の高ノ嶺は彼を一瞥しつつも、歩みを止めることはなかった。


「ちょっと先輩、無視は良くないでしょ。人として」


 桜田の強めの声に、高ノ嶺が足を止める。

 彼女は取り巻きの女生徒たちを先に行かせてから、桜田を横目に言った。


「悪いけど、もう話しかけてこないで」

「なんでですか」

「……それは、あなたに関係ない」

「あ、そういう作戦ですか。あえて距離を取る的な」

「…………あなたみたいに、脳天気には生きてないってことです」

「ふぅん。じゃあもう俺に告白はしないってことですか?」

「はぁ? 何を勘違いしてるの! あなたが、わたしに告白するのよ!」

「俺、まだ先輩のこと好きになってないんですけど。諦めちゃうってことですか?」


 桜田の挑発的な言葉に引っ張られるように、高ノ嶺の眉と唇が微動する。


「……やっぱ、俺なんかに掻き回されてちゃ、高ノ嶺先輩としては面白くないですもんね。というかその周囲の人たちが……って感じかな。利口だと思いますよ、先輩の舵取りは」

「……知ったようなことを言わないで。別に、そういうわけじゃないから」

「あ、知りませんよ? 本当の事情とかは。先輩何も教えてくれなそうだし。俺が憶測で勝手に言ってるだけです。本音は、口にしてくれないと誰も何もわからないんですから」


 沈黙を続ける高ノ嶺に目をやりつつ、桜田は手を叩いた。


「あと、座右の銘は変えたほうが良いと思います。んじゃ」


 そのままペコリと頭を下げる。別れの挨拶のつもりだった。

 しかし――桜田の制服の袖が、引っ張られる。


「…………しょうがないでしょう。それが、みんなの望むわたしなんだから」


 桜田の袖をぎゅっと握りしめたまま、高ノ嶺は顔を俯けていた。

 そのときの彼女の表情は、いつもの美少女然としたものではなかった。かといって桜田の良く知る高飛車なものでもなく、ただ何かに悩んでいる女の子のものだった。


「……何か、相談ごとが?」

「別に。まったくないですけど」


 平然な顔で高ノ嶺が返事をする。桜田の袖は、とうに解放されていた。

「そうですか」高ノ嶺に背を向けて、桜田が再び歩き出す。

 やがて、くいっと身体を捻った。


「さっきの先輩……俺、なんか良いなって思いました」

「は? どうしてですか」

「さあ。わかりませんけど」


 おどける桜田と、困惑する高ノ嶺。

 少し離れた距離で、二人はかみ合わない表情で見つめ合った。


「帰って。もういいです」

「引き留めておいてなんですかー」

「引き留めてない! 糸のほつれを取ってあげただけです!」

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