番外編
君が隣にいる。
それはもう、当たり前のように。
みくちゃんが俺の隣でぼんやりとジュースを飲んでいる。
ただそれだけで、どうしようもなく胸が痺れる。
そんな風に思うのも仕方ないと思うんだ。
だってもう、二年越しの片思いだったのだから。
一度諦めたはずの恋が向こうから戻ってきたんだ。
いまだに信じられない。
出会いは高二だった。
クラスは同じだったけど、俺の認識の中ではみくちゃんは女の子とばかり話をしていて、男の子と話をしているのを見たのはほとんどない。
だから俺とも用件以外話す事もなく、高二のクラスはしばらくスタートしていた。
それが急に、学校の帰りバイトに向かおうとしていた僕に向かって、傘を差しだした君。
それだけでも優しいと思った。
彼女のそれが下心も何もないと分かったものだから余計にいい子だなぁと思った。
その次の日、先生の暴露によって明かされた事実に胸が雷で打たれたような衝撃を受けた。
傘を自分は持っていなかったのに、俺に貸しちゃって、自分は困っただろうに。
彼女は俺が傘を持って帰った後、土砂降りの靴箱で一体どのような気持ちで佇んだのだろう。
そんな事を想像してしまうと、胸の内にかぁっと熱い感情がこみ上げてきた。
人間ってのは簡単に恋をするものなんだと初めて知った。
俺に近づいてくる女の子たちはミーハーなもので、きっと俺の見た目が少し崩れれば見向きもしなくなるんだろう。
俺だって周りの女の子たちがどんな性格だとか詳しく知らない。
だけど彼女は違う。
直感でそんな風に思ってしまうほど俺はあっという間に好きになった。
近くにいた派手な女の子に声を掛ける。
「ねぇ、西野さんって下の名前なんていうの?」
「え、あぁ、確かみくだったと思うよ。何、万里、あの子の事気に入ったの?」
「みく、かぁ。いや、まぁいいじゃん」
「へぇー。でも残念。西野さん彼氏いるよ」
「……あー、そうなんだ」
ショックだった。
なんでもないふりをしたけど、ものすごくショックを受けた。
彼氏がいなかったら俺と付き合ってもらえるとかそんな簡単に思っていたわけじゃないけど、西野さんの彼氏ならきっと素敵な人なんだろう。
二人は深い絆できっと結ばれていて、俺なんて入る余地もないのかもしれない。
そりゃ西野さんのように愛情深い人には、愛情深い彼氏がいる。空から雨が降るのと同じくらい当然のことだ。
だけど、彼女を知りたい。
その欲求は消えてくれるはずもなくて、俺はそれからずっとみくちゃんにべったりになった。
色んな人にみくちゃんはやめておけと言われた。
それは嫉妬からもあっただろうけど、大半はみくちゃんに彼氏がいるからと言う理由だった。
簡単に考えていた。
彼氏がいてもいいから、そばにいたいって。
でもそれは全然簡単な事じゃなくって、一緒にいればいるほど辛くなっていく。
彼女を好きになればなるほどしんどくなって、自分のものにしたくてたまらなくなる。
細い指を掴んでしまいたいし、笑うとゆるむ頬に手を這わせてみたい。
柔らかそうな髪に手を差し込んでみたい。
色んな欲求が溢れて、押し殺すのに必死だった。
その重みに耐えきれなくなって、高校を卒業すると同時にみくちゃんを諦める事を決めていた。
驚いたことが一つあった。
みくちゃんの彼氏は想像と違って結構ひどい人で、あんないい子が彼女なのに浮気ばっかりして、そんな人なんて辞めてしまえばいいのに、それでも好きって言う。
恋というのは単純なものではないんだろう。
大学に入って、みくちゃんとも会わなくなって、しばらく。
毎日考えない日はない。
今何してるかな。元気かな。
そんな風に思うけど、もうどうしようもなくて、辛くて、会いたくて。
いまだに思い返しては、はぁっと大講義室でため息を吐く。
そんな中で携帯が震動して、画面を見る「みくちゃん」の文字。
大学に入って電話が来た事は初めてだった。
足がもつれる。
走るようにして教室から飛び出して、慌てて携帯に出る。
「もしもし?」
声が震えた。
恋に落ちた時と同じように胸が痛くなって、あぁやっぱり俺はまだまだ好きでたまらないんだなぁなんて事を思う。
「もしもし? みくちゃん? どうしたの?」
声が聞こえにくいから、受話口を耳に押し当てる。
目を閉じて耳を澄ます。
「会いたい……っ」
急に聞こえたその声に、俺がぼろりと涙を流したのは内緒だ。
そんな風に言われたら、会いたいし、期待もしてしまうし、どんなことでもしてやりたいってそう思ってしまう。
俺がお返しのようにしたたくさんの行為をみくちゃんは恐縮していたし、すごいねって言ってくれたけど、それは結局全部下心であって、みくちゃんのような純粋な優しさではなかった。
ただ、好きな子にはなんでもしてあげたいと思ったのも事実で、幸せになってほしいと思ったのも本当だ。
でも本当は。
本当は、自分が幸せにしてあげたかった。
みくちゃんが今目の前にいる。
久しぶりの再会を終えて、好きだと言ってくれて、俺はまた泣いて、そうしてカフェにまで来た。
今日の大学はもちろんサボりだ。
みくちゃんを置いて行けるはずがない。
そしてみくちゃんが目の前にいる今、彼女になった今、どうしたら幸せにしてあげられるだろうってそればっかり考えている。繰り返し。
「城山くん、ぼーっとしてどうしたの?」
「え、あぁ、余韻に浸ってて」
「余韻? 私も浸ってる」
そう言って、みくちゃんが笑う。
可愛くて頭がおかしくなりそうだ。
また鼻の付け根が痛くなって、あ、また泣くかもなんて事を考える。
「城山くんって、万里、だよね。呼んでもいい?」
「え、あ、もちろん。俺勝手にみくちゃんって呼んでるし」
「ふふ、うん。じゃあ、万里で。あ、万里くんとか万里ちゃんとかそっちの方がいい?」
「好きなように呼んでくれていいよ」
ていうかもうどれでも嬉しいです。ほんとに。
頭の中を見せてやりたい。
俺って黙っていればポーカーフェイスというか、何考えているか分からないように見えるらしくて、みくちゃんにもそう思われているんだろうか。
こんなにもみくちゃんの事ばっかりぐるぐるしてるのに、全く伝わってないんだろうな。
「あの、いきなりでごめんね。大学も抜けてきてもらって。ちょっと感極まっちゃって」
「ううん、でもなんで今更好きとか思ってくれたの?」
「あぁ、彼氏、えーっと元彼と喋っててね、万里が元彼の高校に行って怒ってくれたって話聞いたんだ。今まで知らなくって。それで、なんかいてもたってもいられなくなって」
そういう経緯だったのか。
あのダメ彼氏、殴ってやろうかって思ってたけど、殴らないで良かった。
あの彼氏のおかげで今付き合えているなら、ちょっとだけ感謝しておかないと。
みくちゃんがカフェで買ったマフィンの袋を開けようとして手こずっていた。
取り上げて開けてあげると、みくちゃんがぽかんとして笑う。
「ありがとう」
その言葉に、ぽかぽかと胸が温かくなる。
「一口いる?」
そう言って差し出されたマフィンにドキドキしながら、かぶりついた。
みくちゃんはそのあと、食べかけのそれを平気な顔で食べている。
あー、ドキドキしてるのって俺だけか。そうか、そうだよなぁ。いやいいんだけどさ、だってみくちゃんと付き合えるなんて本当に夢みたいで。今会えているだけでも嬉しいのに。
「万里、今日夜まで空いてる?」
「うん。どうしたの?」
「それだったら一緒に晩ごはん食べれたらなぁと思って」
「もちろん大丈夫だよ。みくちゃんの予定は?」
「私も空いてるよ」
みくちゃんが笑う。
それだけで俺はとろけるように嬉しくなる。
本当は夜に大学のゼミの友達と飲み会だったが、申し訳ない、キャンセルだ。
マフィンを食べ終わったのを見計らって、ナフキンを渡してあげると、みくちゃんが困ったように笑った。
「ありがと。でもそんなに気を使わなくて大丈夫だよ」
「そういうつもりじゃなくて、うん、色々してあげたいだけ」
「そっか。ありがとう」
それからカフェでゆっくりお茶をして、ちょっと散歩しようかという話になって、外に出た。
涼しい風が吹いて、隣に並ぶ少し背の低いみくちゃんをチラリと見る。
やっぱり可愛い。
「手つないでいい?」
聞いてみると、みくちゃんはびっくりしたようにこっちを見上げて、それから迷ったように頷いた。
その返事を見て、小さな手を握る。
きゅっと掴んでくれる指が愛おしい。
本当に可愛くて、可愛くて、幸せでたまらない。
「なんか手繋いでたら本当にカップルになった感じするね」
みくちゃんが言う。
俺はそれに頷きながら、見慣れた都会を見る。
いつもと景色さえ違うように見えて、本当に重症かもしれないと思ってしまう。
チラリとみくちゃんを見下ろすと、ぷっくりした唇が目に入った。
今それを考えたら多分まともに話できないから、キスをいつするかって事は今はやめにしよう。
「手繋ぐのこっちの方がカップルっぽいかな」
みくちゃんがそう言って、普通に繋いでいた手を、恋人つなぎに変えてくる。
密着度の増した繋ぎ方に、心臓がどきどきする。
別に中学生じゃあるまいし、女の子と付き合った事だってあるのに。
みくちゃんに片想いする前だから、もうずいぶん昔の話になるけど。
「万里って静かだよね。前からそうだったけど、今何考えてるの?」
「頭の中、みくちゃんばっかりだよ」
「私?」
「うん。みくちゃんがどうすれば笑うかなとか、どうすれば喜ぶかなとか、そんな事ばっかり考えてる」
はっきり言うと、みくちゃんは照れくさそうにかぁっと顔を赤くする。
あ、そんな顔は初めて見た。
赤くなった頬の熱が知りたくて、思わず頬に触れてしまう。
弾かれたように顔を見上げたみくちゃんは、さらに顔を真っ赤にしてとうとう俯いてしまった。
可愛い。
たまらなく可愛い。
「みくちゃん好きだよ」
「うん……私も」
「これからもずっと一緒にいたいって思うし、少しでもみくちゃんが俺といる間幸せにしてあげたいなって思う」
「……恥ずかしい」
「そして、俺も幸せにしてね」
みくちゃんが俺を見上げてぽかんとする。
それからすぐに頷いてくれる。
こくこくと何度も縦に振られる頭を見て、笑って、大好きだなぁと思う。
「みくちゃんお願い言っていい?」
「なに?」
「もう一回好きって言って」
「えー、むり。恥ずかしい」
「……そっか。わかった」
しゅんとした俺に気付いたのか、隣でみくちゃんが歩きながら苦笑する。
街行く人が普通にたくさんいる中で恥ずかしいよな、そりゃ。
TPOってものを考えてあげた方がいいもんな。好きになってくれただけでもありがたいっていうのに、早速欲張って、嫌な男だ。
一人反省していると、みくちゃんが俺の腕を引っ張る。
「ん?」
「みんな、万里の事見てるよ」
「え、なんで」
「かっこいいもん。女の人みんなすれ違う時、万里の事見ていくよ」
「……ああ。そういうの興味ないから気付かなかった」
「ふふ、万里のそういうところ好きだよ。人と違う空気が流れてる感じで」
好きって言われた。
それだけで胸がきゅうっと痛くなって、女の子みたいに恥ずかしくてたまらなくなる。
もっともっとみくちゃんに好きって言ってもらえるように、幸せにできるように、できたらいいな。
おわり
☆おまけ
大学の授業中、うとうとと居眠りをしていたら、携帯がポケットの中で震動した。
目が覚めて携帯を見ると、万里からメッセージが来ていた。
『みくちゃんおはよう。今日も一日頑張ろうね』
それにメッセージを返す。
『おはよう。ちょっと授業中眠っちゃってたけど今起きたよ』
すぐに返事が返ってくる。
『寝てたの? 寝不足かな? 俺の夢見てくれた?』
万里から珍しくふざけたようなメールが来て、思わず笑みが顔に浮かぶ。
ちょっといたずらを思いついて、メッセージを打ち返す。
『万里の夢見たよ。大好きって言って万里にぎゅっとしてた。願望かなぁ?』
喜んでくれるとは思うけど、どういう反応をするのか。
照れくさそうにして、嬉しいとか言ってくれるんだろうな。
そう思って返事を待っていたけど、なかなか返ってこなくて首を傾げた。
…………その頃、万里。
「うっ、うっ……ふっ。ぐす」
「ちょ、万里。何いきなり泣いてんの! 怖いんだけど」
「まじ万里なんで泣いてんだよ」
携帯を見ていきなり授業中に泣き出した万里に、友達たちはとても怖かったという話。
おわり
そして、たまらなく愛しい 【完】 大石エリ @eri_koiwazurai
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