Part4

 コンクリートに、凛とした鈴の音が反響する。鼓膜を優しく揺らし、蒼く爽やかな風が吹き込んだような心地を抱かせる音色だった。

 でも、その風はいずれ竜巻のような暴風へと変貌を遂げた。

 お姉ちゃんは、魂でも抜けたように倒れた。

 それからすぐ、両手で地面を押し返して立ち上がった。胸がコンクリートから離れ、その後に足を引き寄せ、地面わ捉えて力を込める。

 やがて、お姉ちゃんの顔が私の視界に映った。

 首は萎れた植物の茎のように折れ、口はだらしなく開かれ舌が垂れていた。虚ろな瞳も相まって、薬物中毒の末期症状患者のような異常な雰囲気を感じさせる状態だった。

「……そうだなァ……俺もコイツのことが大嫌いだ。今すぐ……ぶっ殺してやりてェッ!!」

 お姉ちゃんは、異常な顔のままに私へ走ってきた。二丁拳銃を手に、狂気的な勢いだった。

 そのまま銃口を私に向け、引き金を迷いなく引く。

「……ッは……!」

 また本能が作動した。背面のエンジンを稼働させ、反撃に転じようとお姉ちゃんの後ろに身体を導く。

 お姉ちゃんの背中が視界に入ったと同時、ミニガンのトリガーを引いた。

 弾幕。

 その言葉が適切に思えるほど、密度高く弾丸は放出された。

 でも、お姉ちゃんはその動きを見切っていた。

 上空に跳んで避けるのではなく、地に足を付けたまま、弾幕の中をすり抜けるように。その時の表情も、異常なままだった。

『あれは何なんだ……別人格か何かか?』

 耳元で、朱鷺さんがそんなことを言う。

 その発言を受けて、今一度これまでのことを思い出した。

 お姉ちゃんは、あの鈴を振ってからおかしくなった。

 一人称が『俺』になって、喋り方も別人のようになり、身体の動きも明らかに変わった。

 それは、確かに『別人格』が発露したともとれる。

『……あの鈴が起点になってるんだろうな。あれを使って、カイラを憑依させてるんだ』

 お姉ちゃんは確かに、カイラ、という名前を呼んでいた。それがお姉ちゃんに対し憑依して、お姉ちゃんの脳回路が書き換えられていたのだ。

 妄想に過ぎないが、それならば説明がついた。

 そんな事を考えている間にも、お姉ちゃんは攻撃を仕掛けてくる。二つの銃口から弾丸を放ち、私の心臓めがけて殺そうとしてくる。

 私は未だ痛みを主張する両頬の声を無視し、本能のままに避け続けた。

 結局何も解決策の見つからないままに、時間だけが経過していった。ずっとお姉ちゃんの攻撃を避け続けて、それだけだった。

『立花。今お前の中には、後悔や躊躇があるのかもしれない。でも、全部捨てろ。……それに、あれは姉じゃない。リベリアーズに魂を売った、悪魔だ』

「違うッ!!」

 鼓膜を揺らした朱鷺さんの言葉に、私は思わず叫んで返した。

「あれは、本当はお姉ちゃんなんだ。今だって、あの時だって……悪い悪魔が取り憑いてるだけなんだ」

 お姉ちゃんに、「そうでしょ?」と問いかけるように目線を送った。

 でも、帰ってきたのはカイラからの目線だった。

 だけど、違う。お姉ちゃんは、その後ろに閉じ込められてるんだ。きっとそこに、まだそこにいるんだ。

『……だったら、そこで死ぬか? 消えた姉の幻影を眺めて、心臓を撃たれて死にたいのか!?』

 朱鷺さんの言葉には、あからさまな苛立ちがあった。

「違う違う違うッ!! お姉ちゃんは、まだ消えてなんか――!」

 気づけば、地面に膝をついて叫んでいた。

 今、銃口が向いていることも忘れて。

 2発の弾丸が放たれた音がした。私は、動けなかった。

 決して、死を受け入れたかったわけじゃない。私が死ねば、お姉ちゃんを取り返すのを諦めたことになるから。でも、本当にお姉ちゃんが消えてしまったのかと思い込むような自分もいた。

 その二つがせめぎあって、脳を狂わせた。

 動かそうとするのに、足首を杭で固定されたかのようにびくともしない。今回ばかりは本能さえ発露せず、私は固まったままだった。

 弾丸が身体へ迫る。

 恐らくは、首元と鎖骨の辺りに当たりそうな軌道だった。

 私は瞼を閉じようとした。もう、全てが嫌になった。どうせ死ぬのなら、頭の中にいつものお姉ちゃんを思い浮かべておきたかった。

 視界が、上から徐々に狭まる。

 シャッターでも閉じるように、黒く染っていく。

 

 その最後に、銀色の輝きが映った。


 それはナイフであると、すぐに分かった。空気を切り裂く音がほんの一瞬前から聞こえていたから。ナイフは二発の弾丸を弾き返し、私の視界には人の背が映っていた。

 それが誰がなのかは、分かりきっていた。

「ファルク様ともあろうお方が、なーにやってんだ……」

 そう言ってナイフを腰に引き寄せる、煉馬。でも、彼がなぜここに来たのかは分からなかった。

「……何で」

「朱鷺さんに呼ばれたんだ。てかそういうのは後でな。今はとにかく……コイツを殺すぞ」

 煉馬はそう言って、私を置いてお姉ちゃんへ走り出した。

「待って、お姉ちゃんは――!」

 私は煉馬に手を伸ばした。

 でも、それは虚しく空を切った。

 手は、重力に従ってコンクリートの上に落下した。

 その向こうには、

 煉馬に殺されるお姉ちゃんが映っていた。

 お姉ちゃんは、カイラに取り憑かれながらも抗っていた。拳銃を向けて、引き金を引いて。

 でも、煉馬は常にそれを上回っていた。

 いつしかお姉ちゃんから漏れ出た血液が、彼を興奮させていたのだ。

 そこから、あっという間だった。

 獲物を貪る肉食動物のような、負傷した人間を喰いちぎるゾンビのような、そんな残虐なやり口で以て――


 お姉ちゃんは死んだ。

 

 灰色の上に紅いカーペットを敷いていくように、血を広げて倒れていた。

 そんなお姉ちゃんの遺体を、煉馬は何度も刺すことなくこちらへ走ってきた。

「怪我は? このまま戦えるか?」

 普段とは全く違った、慈愛に満ちた話し方だった。

 私は未だ現実を受け入れられないままに、とりあえず頷いた。

「……アイツのことはもう考えるな。つっても難しいかもしんねーけど……お前が前を向かなきゃ、蓮也も臥竜も、澪も死んじまうんだよ。どのみち、お前の姉はもう死んだ。諦めるしかないだろ」

 きっと、彼なりに前を向かせようとしてくれていたのだ。その言葉を一つ一つ噛み砕いて、飲み込んだ。

 確かに、全部正しかった。

 お姉ちゃんの死は、認めたくない。そもそもあれがお姉ちゃんだったとすらも、考えたくない。

 でも、私がそんなままじゃ皆が死ぬ。澪も死ぬ。それだけは嫌だった。澪は、お姉ちゃんと同じぐらいに大切な人だ。私を支えて、導いてくれた人だ。

 それに、もうどちらにせよ、お姉ちゃんがいないことに変わりはないんだ。

 だったら、前を向かなきゃ。

「……ありがとう」

 瞳を真っ直ぐに見つめて、言った。

「よし。じゃあ、さっさと蓮也達の所に行くぞ。走れるか?」

 頷いて、その場から走り去った。

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